セイロンティー (1)

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1. セイロンティー

セイロンティーという名称

セイロンティー(Ceylon tea )はスリランカ(Sri Lanka )産紅茶の総称で登録商標でもあります。スリランカの国名がイギリスから完全独立をした1972年までセイロン(Ceylon)であり、紅茶の名前としてセイロンティーが国際的に定着していた為、かつての国名を冠したセイロンティーという名称を使い続けることにしています。


ライオンのロゴ

また以下のライオンロゴはSri Lanka Tea Board (スリランカ政府紅茶局)が法的所有者として管理しています。このロゴを紅茶のパッケージに表示するには

1.消費者向けパックにのみ表示されること。
2.100%純粋なセイロンティーのみであること。
3.スリランカで包装されたものであること。
4.スリランカ茶局が定めた品質基準に準拠しているものであること。

の4つの条件をクリアする必要があります。

またSri Lanka Tea Boardは
「セイロンティーは生産が管理されている、認知度の高い紅茶であり、より高い利益を上げるために価値を高めた形で販売されるべきである。ロゴの使用を認可を受けた企業のみに制限することでお茶の品質が保証され、認定された品質の製品を望む多くの顧客にその良さを訴えることが出来る」
としています。

Lion Logo of pure Ceylon tea
Lion Logo of pure Ceylon tea

スリランカの茶の生産量

スリランカの紅茶の年間生産量は2010年に約32万9,000トンで世界第2位でした。北海道の8割ほどの面積の小さな国土で、日本(約8万5,000トン)の約4倍の茶葉が生産されています。また、紅茶の輸出量は常に世界1位を争う水準です。スリランカの紅茶は生産されたもののうち90%が輸出用になっています。

2010年の紅茶生産量ランキングです。1位はインドで51パーセント、2位がスリランカで15.8パーセント、3位がケニアの14パーセントと続きます。
国際連合食糧農業機関のデータをもとに森のくまがグラフを作りました。
紅茶生産量ランキング 2010
FAOSTAT(国際連合食料農業機関)(新しいタブで開きます)データによる
グラフ作製森のくま
2010年の紅茶輸出量ランキング です。1位はスリランカで30.1パーセント、2位がケニアで28.3パーセント、3位がインドの15.5パーセント、4位が中国の9パーセントと続きます。
生産量はインドがトップですが、国内消費量もトップなので輸出量が減ってしまうのです。
国際連合食糧農業機関のデータをもとに森のくまがグラフを作りました。
紅茶輸出量ランキング 2010
FAOSTAT(国際連合食料農業機関)(新しいタブで開きます)のデータによる
グラフ作製森のくま

日本とセイロンティー

日本で消費される紅茶のおよそ99%以上が輸入品で、その最大の輸入先はスリランカです。日本が輸入している紅茶葉の実に50%がスリランカ産です。したがって、日本における流通量もスリランカの紅茶が最多になります。

このことから、日本での紅茶のイメージはセイロンティーの風味である場合が多いといえます。

 2021年の日本の紅茶輸入量のグラフです。1位がスリランカで40.5パーセント、2位がインドで22.1パーセント、3位がケニアで20.1パーセントとなっています。インターナショナルティーコミッティーのデータをもとに森のくまがグラフを作りました。
日本の紅茶輸入量 2021
INTERNATIONAL TEA COMMITTEE(新しいタブで開きます)
のデータによる グラフ作製森のくま

クオリティーシーズン

後でセイロンティーについて産地の話をする時に出てくるクオリティーシーズン(Quality Season)について簡単に触れておきます。そんなの知っているよ、という方は読みとばしてください。

さて、紅茶の茶葉は1年の中で何度も摘まれますが、その中で紅茶の品質が最も良い時期、つまり旬の収穫期をクオリティーシーズンといいます。各産地の気候風土で異なり、またその年の天気によっても多少前後します。

クオリティーシーズンに収穫された紅茶はその特徴が一番よく出ていて、香りや味がもっとも充実しています。クオリティーシーズンに収穫した紅茶は間違いなく美味しいです。紅茶だって農作物なのですから、旬の時が美味しいのは当たり前ですよね。もちろん、価格も高いです。

ちなみにクオリティーシーズンがどのようにして決まるかの説明もくわえておきます。スリランカの山岳地帯は年2回のモンスーン(季節風)によってそれぞれ以下のように違ったエリアに雨季と乾季が訪れます。

貿易風 (12月~3月)
雨季:山岳地帯の東側
乾季:山岳地帯の西側 :Nuwara Eliya (ヌワラエリヤ)、Dimbula (ディンブラ)

偏西風 (6〜9月)
雨季:山岳地帯の西側
乾季:山岳地帯の東側 :Uva (ウバ)

クオリティーシーズンとはこの乾季のことなのです。乾季は紅茶の旬になるからです。

Sri Lankaの茶園
スリランカの茶園

2. セイロンティーの歴史

セイロンの植民地支配

1658年からオランダが植民地とし、1802年にイギリス統治に変わり、1948年にイギリス連邦内の自治領として独立し、1972年に国号をスリランカに改称しました。

コーヒー農園

スリランカを植民地としていたオランダが始めたのはコーヒーの栽培でした。しかし、イギリス統治に変わった後の1860年代にジャワ島からやってきたサビ病によってコーヒー農園は壊滅的な状態になってしまいます。

Sorting Coffee seeds, Ceylon
Sorting Coffee seeds, Ceylon / Lankapura(新しいタブで開きます)より

セイロンティーの父

コーヒー農園が壊滅的になっていく状況を目の当たりにしたScotland出身の青年ジェイムス・テイラー(James Taylor)が1867年に当時難しいとされていた紅茶栽培にルーレコンデラ農園(Loolecondera Estate)で取り組み、なんと1年足らずで根付かせることに成功します。これまで別のイギリス人植物学者たちがが同様の条件で、10年以上にわたり挑戦していたにもかかわらず失敗していたこともあり、彼のこの功績は驚くものでした。テイラーはさらに色々な交配に取り組み、病気に強い品種を作り出し、希望の欠片も残っていなかったコーヒー農園を茶園として蘇らせたのです。

さらに彼には茶樹の栽培だけではなく、製茶の才能もありました。従来の紅茶の製茶方法に、独自の研究や実験を加え、改良を重ねました。そして鍛冶屋に注文し、揉捻機 (下の写真の物)の開発にも成功しています。彼の功績が現在のスリランカの紅茶産業を生み出したのです。

Taylorの最初のティーローラー兼乾燥機 THE HISTORY OF CEYLON TEAより
Taylorの最初のティーローラー兼乾燥機
THE HISTORY OF CEYLON TEAより(新しいタブで開きます)

Taylorは「Father of Ceylon Tea (セイロンティーの父)」 「The God of Tea (紅茶の神様)」 「The Father of Ceylon Tea Industry (セイロン茶産業の父)」等と呼ばれています。また彼は生涯独身だったため「彼は紅茶と結婚した」とまで言われるほど、スリランカの紅茶産業に生涯を捧げ尽力しました。

しかしテイラーは内向的な性格で人とかかわることが苦手だった上に体が大きくて現地の人たちに、根拠のない恐怖心を与えてしまったため、その生活は孤独なものでした。それでも彼のスリランカの紅茶への情熱と愛は最後まで燃え続けていました。

スリランカで40年間過ごした後、彼は2週間の休暇を取ってインドのダージリンで紅茶の研究をしました。その後、セイロンの紅茶産業が急速に成長したため、大手茶会社が業界を掌握するようになり、テイラーのような小規模農家は業界から追い出されました。このため、テイラーはルーラコンデラ農園の経営陣から解雇されてしまいました。本当に非道い話です。

テイラーは、ルーラコンデラ農園から解雇されてから1年後の1892年5月2日にスリランカで赤痢のため57歳で亡くなりました。

死の翌日に、茶園労働者たち12人ずつからなる2つのグループが順番に棺を担いで、18マイルの行程の間、4マイルごとに交代でキャンディ郊外の墓場まで運んだと言われています。

彼の遺体はキャンディーの「マハイヤワ墓地(Mahaiyawa Cemetery)」に埋葬されました。墓石には「CeylonのLoolecondera EstateのJames Taylorを敬虔に偲んで。この島のキナと茶事業の先駆者であり、1892年5月2日に57歳で亡くなった。」と刻まれています。

テイラーが使用した器具等はCeylon Tea Museum (セイロン紅茶博物館)(新しいタブで開きます)に移され、博物館敷地内の「James Taylor Section (ジェームス・テイラー セクション)」に展示されています。

James Taylor
James Taylor / 出典 ceylonteamuseum.com

トーマス・リプトン

スリランカの紅茶が世界的に注目されたのは1891年のロンドン紅茶オークションでのことでした。トーマス・リプトン(Thomas Lipton)の所有するウヴァ地区のリプトン農園の紅茶が史上最高値を付けたのです。

現在

そして1920年代にはセイロンの紅茶生産量が年間20万トンにまで増えました。1972年に国名がスリランカに改称されましたが、紅茶の代名詞としての「セイロンティー」という名称は現在も使われています。


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