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3.マスカット説は正しいか?
再びmuscatel
muscatelという単語を検索していて、気になったことがあります。それは以下のような説明や例文がいくつも出てきたことです。列挙してみます。
・muscatel
muscatelという単語は、スペイン語起源のmuscatの変形で、強い甘みや果実味を持つデザートワインを指します。・muscatelという単語は「マスカテルワイン」という意味です。この単語は特に甘味がある白ワインや、特定の種類のブドウに関連して使われます。マスカテルワインは、主に地中海沿岸の国々で栽培されているマスカットという葡萄品種の一種から作られます。マスカテルワインは、独特な甘さと豊かな香りが特徴で、デザートワインとして人気があります。
・この単語はまた、マスカテルスタイルのワインを指すこともあります。マスカテルワインは、通常のワインよりも甘味が強く、果実の風味がしっかりと感じられます。このようなワインは、多くの場合アペリティフ(食前酒)やデザートと一緒に楽しむことが好まれています。そのため、ワイン愛好家やソムリエの間でもよく知られている用語です。
・muscatelは、特定の製品や料理に関連して使われることもあります。例えば、マスカテル風味のリキュールやデザートなど、様々な食文化においてその甘味が活用されています。このように、muscatelという言葉は、食や飲み物に関連する文脈で用いられることが多く、そのさまざまな使い方によって幅広い理解を得ることができます。
(天才英単語より)
🍷このワイン、怪しいと思いませんか?🍷
実はくまは、今は身体のためにほぼ禁酒していますが、一時期はとある日本有数のショットバー激戦区でオーナーバーテンダーとして毎日シェイカーを振っていたくまでもあります。そして、カクテルも好きですが、最も当時愛していたのが「シェリー酒」なのです。
🍷シェリー酒🍷
シェリー酒はもともとはスペインのアンダルシア地方で造られる酒精強化ワインで、白ワインの一種です。白ワインにブランデーを加えてアルコール度数をあげて、更に熟成させたものです。アルコール度数が高く、熟成方法や種類によって様々な味わいがあります。独特の風味と多様なタイプがあることから、ワイン以外のお酒に間違えられることもあります。そして、このシェリー酒には白だけでなく、赤も存在するのです。
白のシェリー酒はわりとさっぱりしていて、アルコールの度数が高いフルーティーな白ワインといった風情で非常に飲みやすいお酒です。対して、赤(と、いうか濃いマホガニー色に近い)は重いものが多いのですが、この中になんと「Moscatel (モスカテル)」という名前のものがあります。
🍷Moscatel🍷
Moscatelはモスカテル種(つまりマスカット種)のブドウを伝統的な「Asoleo(スペイン語:アソレオ / 天日干し)」して干しぶどうにすると、高い糖度が生まれ、典型的なレーズンの香りが現れます。この干しぶどうで作ったワインが「Moscatel de Pasas (モスカテル・デ・パサス / 干したモスカテル)」と表示されます。元々の糖度が高いため、そのままでアルコール度数が高いものができるので、ブランデーを足したりはしません。
そして、くまがもう一つ気になったのが、Teaepicre.comという海外サイトのダージリンティー2nd flushのレビューでのMuscatel flavorについてのレビューでした。それにはこうありました。
“dried raisins with a hay like finish”
Teaepicre.com
「干しぶどうの風味に、乾いた草の匂いのような後味」(くま訳)
という表現でした。これはMoscatelの風味の表現とかなり似通ったものなのです。Moscatelは、甘さとフローラルな香りが特徴で、Dargeeling teaのMuscatel flavorもその特徴に似ていることから、茶葉のフレーバーがMoscatelのような香りを持つことを表すために、この名前がつけられた可能性が高いのではないかと考えたのです。
4.Moscatel説
🍷老バーテンダーの言葉🍷
そこでくまは、Muscatel flavorというのは香りではなく風味をさしているのではないかと考えたのです。だとしたら香りにくわえてボディがしっかりしていることも表現していても不思議はありません。そう考えるとMuscatel flavorというのはMoscatelの赤にみられる香りとボディの強さをさしているのではないかと考えたのです。
実を言うと、随分前の話になりますが、くまがバーテンダーの修行をしていた時、師匠だった老バーテンダーに
「Moscatelは紅茶のDargeelingの香りの表現の元になっているんだよ」
というような話を聞いたことがあったのです。ただ、その当時は紅茶にはまったく興味がなかったので、そのまま聞き流してそれ以上深くは聞きませんでした。しかし、それが正しいとするならば「モスカテルフレーバーのフレーバー」は「香り」ではなく、「風味」をさしている事になります。事実「flavor」という言葉を辞書で調べると「風味」という言葉が第一義に出てきます。
風味については『 紅茶と香り』で詳しく取り上げましたが、簡単に繰り返すと、味覚による味と口から入った香りが鼻の方に抜けて感じる匂い(レトロネーザル)を総合した味わいのことです。
そもそも「flavor」と表現している時点で「香りだけではない」のです。そうなると、「マスカテル」という名前は、マスカットの香りに加え、モスカテルワインの特徴的なフレーバーに由来しているという説も、十分に成立するのではないかと思います。
もっと言えば香りだけでなく、風味(フレーバー)全体、つまり味わいやボディの強さも含んでいる言葉として「Muscatel flavor」という用語が生まれた可能性が高いと考えられるのです。
Moscatelの特徴的な所は、果実味の強さに加え、しっかりとしたボディ感やタンニンの存在があり、これがDargeeling teaの2nd flushの風味に似ている点で合致するとも言えます。
しかもとどめにマスカテルワインには
「Muscatel」というスペリング
もあるのです。もっと言えば、
- スペイン語:Moscatel
- 英語表記:Muscatel
なのです。この言葉が英語社会ではしっかりと市民権を得ている単語なのです。英語のWikipediaの「Muscatel」がこれを証明しています。そもそもよくDarjeeling teaをさして言われる「紅茶のシャンパン」という言い方もDarjeeling teaの風味をお酒に例えて表現するのが最適だということを表しているのではないでしょうか?
🍷英国紅茶文化における転用🍷
19世紀から20世紀初頭、イギリスではポート、マデイラ、シェリー酒などが上流階級で人気を博し、酒の表現語彙が豊かに育まれた。
その中で、インド・ダージリン産のセカンドフラッシュが持つ香味──熟したマスカット、レーズン、ウッディな奥行き──は、まさに Muscatel ワインの香味に通じるものであり、
「これは Muscatel だ」
と英国人が評したとしても、まったく不思議はないのです。
5.再び香気成分
🧪相対濃度の比較📉
これは紅茶(ダージリン)とマスカテル・シェリー酒に含まれる代表的な香気成分の相対濃度(推定値)を比較した表です:
化合物名 | 紅茶(ダージリン) | マスカテル・シェリー |
リナロール | 0.8 | 0.9 |
ゲラニオール | 0.7 | 0.8 |
ネロール | 0.6 | 0.6 |
シトロネロール | 0.4 | 0.5 |
メチルサリチレート | 0.5 | 0.1 |
ベータイオノン | 0.6 | 0.4 |
🧪香気スペクトルの比較図 🍾
下図は、両者に含まれる主要香気成分のスペクトル比較を視覚化したものです。Muscatel ワインとDarjeelingの香気成分のスペクトル図を見てみましょう。

図からも明らかなように、主成分はほぼ重なっており、「種類は同じだが、強さのバランスが異なる」という関係性が読み取れます。 これは、ダージリン紅茶とマスカテル・シェリーが「異なる楽器で同じ旋律を奏でている」かのような香りの構造を共有していることを意味します。
6.タンニン
Darjeelingにて
先日Darjeelingの茶園巡りをした方のとてもおもしろい話を拝見する機会がありました。以下引用させて頂きます。
僕は言われた通りその新芽を口の中へ頬張った。
ひと噛みすると、まず初めに青リンゴの様な鮮烈な味が口の中に広がる。そしてその後すぐ、舌の底からまさしく1stフラッシュダージリンティーのそのままの味が押し上げられてきた。
生の茶葉から、普段飲んでいる紅茶とほぼ変わらない味がする。
紛れもないダージリンティーそのままの味だった。僕は日本でも茶畑を訪れる際は必ず生の茶葉を食べる様にしているが、ダージリンティーの味など一度もした事がない。
さらに同じブログから違う部分を引用します。
結局、ウンカに噛ませたり萎凋や発酵の度合いの調整など、製茶する人間の裁量で、どの産地でもある程度似た様な味わいを作り出す事ができるのではないか?
しかし今この瞬間、この仮説がいかに愚かだったのかを思い知らされた。
摘み取られたばかりの揉んですらいない茶葉からダージリンティーの味がそのままするのだ。
日本の茶葉からは1mmも感じた事の無い味。
しかも、同じ中国種であるにも関わらず。紅茶の味は我々人間が想像している以上に、その茶産地の育成環境に依存する。
(以上『ダージリンティーを求めて単身で茶畑に乗り込んだ話⑨〜オレンジバレー茶園で到達した境地〜』卍茶狂人GEN卍より)
これは新茶(1st flush)の話として出てきていますが、時期が違えば2nd flushでも同じことが起こるのは当然のことだと思います。つまり、Darjeeling teaの風味はワインと同じでテロワール(土地の特徴)にとてつもなく大きな影響を受けていると言えます。たくさん引用させて頂きましたがこの大切なことを確信させてくれるという意味で重要だと思ったのです。著者に感謝です。
🍇葡萄とタンニン🍇
まず、葡萄に話を絞るのはムスクにはタンニンがないからです。
マスカットにおけるタンニンは果皮と種子に含まれています。下の表のように、マスカットは他の品種と比べてタンニンが少なく、渋みも弱いです。
ブドウの種類 | タンニン量 | 渋みの強さ | 用途 |
マスカット(白) | 少ない | ごく弱い | 生食・白ワイン |
カベルネ・ソーヴィニヨン(黒) | 多い | 強い | 赤ワイン |
ピノ・ノワール(黒) | 中程度 | 中程度 | 赤・ロゼ |
しかし、干しぶどう(レーズン)状態にしてから発酵させるマスカテル(モスカテル)タイプのワインでは、水分が抜けるため糖分と一緒にタンニンやその他の成分も相対的に濃度が高くなります。
また、甘口のマスカテルワイン(たとえばモスカテル・デ・ナバラやモスカテル・デ・セティューバル)では、果皮と長く接触させる製法を採る場合もあるので、そこからタンニンや香気成分が抽出されやすくなります。
さらに「糖度が高い=発酵によってできるアルコール度数も高くなる」のでアルコールはポリフェノール(=タンニンを含む)をよく溶かすため、タンニンの抽出効率が上がります。
これらはすべて特に「マスカテルフレーバー」と呼ばれるような、干しブドウ・ハーブ・蜜・スパイス様の複雑な風味に大きく影響を与えます。
ようするに、干しぶどう状態でワインを造ることで、糖分だけでなくタンニンその他も濃縮されるため、味わいに厚みと複雑さが生まれ、香りとボディの両方で「マスカテルらしさ」が形成されるわけです。
タンニンの種類
ちなみにマスカット種から作られるマスカテルワインに含まれるタンニンの主成分はProanthocyanidins(プロアントシアニジン) やGallotannins(ガロタンニンなど)です。これらはDarjeeling teaの茶葉にも含まれるものです。タンニンはいわゆる渋みを作る成分ですがそれがワインでも、紅茶でも「ボディ」、つまり「飲みごたえ」や「重厚さ」に寄与します。そしてマスカテルワインのボディとDarjeeling teaのボディを特徴つけているタンニンはほぼ同じものです。
フェニルプロパノイド経路
そして興味深いのはタンニンと香気成分はフェニルプロパノイド経路に共通するということです。フェニルプロパノイド経路とは、植物や微生物で見られるもので、アミノ酸であるフェニルアラニンやチロシンを基に、シキミ酸経路を経て生合成される、ベンゼン環に3つの炭素原子が付加した化合物(C6-C3)の経路を指します。リグニン、リグナン、クマリンなど、植物の構造物質や二次代謝産物であるフェニルプロパノイドの合成に関わっています。

ようするに、タンニンと香気成分は代謝的には兄弟のようであるということが言えます。Darjeelingのような高地で気温差が激しく、紫外線も強い環境では、ストレス耐性のためにフェニルプロパノイド代謝が活性化されて、その結果としてタンニンと香りの両方が豊かに蓄積されるのではないかと考えられます。
タンニンと香気成分は競合するものではなく共鳴しているといえるのかもしれません。具体的には、
・タンニン:主に丸みのある渋み・厚み・ボディ感を担う。
・香気成分:主にマスカット+レーズン様の香気を担う。
この2つが人間の口の中に入ったとき、味覚とレトロネーザルによってマスカルテルフレーバーとなる、ということなのです。
Darjeelingという土地の自然条件が、タンニンの力強さと香りの華やかさを共存・共鳴させている、つまりどちらも同じ茶葉の環境適応の結果として生じる、一つの植物の「表現型」だといえるるでしょう。まるで、タンニンという「骨格」が「香り」という衣を纏っているような関係です。
結論
以上の考察から、Muscatel flavorは単に香りだけでなく、Muscatelのような風味全体 (香り、ボディ感、そしてその豊かさを含んだもの) と捉えることができると言えます。
「Muscatel」という語が紅茶において定着した背景には、
- ワイン文化と紅茶文化の言語的・官能的融合
- 英国人による酒と茶の感覚的連続性の認識
- 官能記憶を媒体とするオーラル・ヒストリー
が複合的に絡み合っているのだと考えます。これに歴史的考察、言語的考察を加えれば、Muscatel flavorがMuscatel ワインのフレーバーからきているというのは、明白です。
なのでくまは
Muscatel flavorの「Muscatel(Moscatel)ワイン説」
を自信を持って主張します。