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森茉莉
森茉莉について
表題は森茉莉の随筆集のタイトルです。森茉莉と言えば森鴎外の長女で、ともかく鴎外に溺愛されて育った人です。何と言っても16歳まで鴎外の膝の上に乗っていたというのですから、溺愛ぶりも知れてくることでしょう。17歳になって膝の上に乗らなくなったのは単に結婚してフランスに行ったから、物理的にそういう機会がなくなったというだけ。
「とにかくパッパ大好き」と徹底した「父親っ子」なのです。一般的に父親という異性から愛され、全面肯定されて育つということは、娘にとってはその後の人生を生きていく上で「絶対的なもの」が与えられるようです。この「絶対的なもの」というのは「絶対的な自己肯定感」と言い換えることができます。
鷗外も鴎外で茉莉を溺愛し、膝の上に乗せては常に「お茉莉は上等、上等」と言って聞かせて育てたようです。前述の通り、茉莉は17歳で鴎外の紹介したフランス文学者の山田珠樹と結婚して、夫のいるフランスに赴くのですが、そこで鴎外の訃報を受け取ります。その後、2度の離婚を経て、茉莉は絶対的な自分の肯定者であった父親がいない実家に出戻りとして、母や妹たちと暮らすことになります。そしてなにか問題があったり、不都合があったりすると「これは父がいないからだ」と思うようになり、ついには「私にとって父親は、恋人以外の何ものでもない」と言い切るほどになります。

やはり昭和初期の時代という時代背景を考えると出戻りで実家暮らしというのはどうにもよろしくなかったようで、44歳のときに東京の世田谷にアパートを借りて一人暮らしを始めます。ところが、鴎外作品の著作権が切れて印税収入が無くなってしまい、自分で生活費を稼がなければいけない事態になります。逆に言えばその年まで父親の印税だけで生活していたというのもすごいですけどね。
54歳で鷗外に関するエッセイを集大成した『父の帽子』を発表して、そこから鴎外の想い出などを中心とした随筆などを多数執筆します。ただ、「子どもがそのまま大きくなったような人」と言われるほど生活能力はなかったらしいです。そして85歳のときに自宅アパートで心不全を起こして死去していました。いわゆる今で言う孤独死でした。
そして紅茶と薔薇の日々
森茉莉の特技のひとつが料理でした。作るのも食べるのも好き。ともかく食い道楽でもあったようです。飲食関係の随筆が作品のうちのかなりを占めます。そのような人の本のタイトルになっているくらいですから、森鴎外と紅茶の話とか、大正、昭和初期の紅茶の話なども出てくるに違いない、とくまはわくわくしながら、Amazonで注文しました。ともかく、飲食に関するアンソロジーとして編み直した本、ということだったのでその期待はとても大きいものでした。

結果、表題と同じタイトルの随筆『紅茶と薔薇の日々』が一番最後に
2ページと2行
おしまい。まて、と。
しかも「ボッチチェリの薔薇の茶碗」と茉莉が名付けた紅茶茶碗の紹介が数行。とりあえずその茶碗でリプトンの紅茶を楽しむということは出ていたけど、それだけ。そして締めが映画「酒と薔薇の日々」をもじって「紅茶と薔薇の日々」と。
これだけでした。たしかに、鴎外がご飯の上に葬式まんじゅうを乗せて、それにお茶をかけて、混ぜて食べていたとか、変な話も多くておもしろい本でした。しかし、くまとしては「紅茶ネタ」が欲しくて入手したわけです。なんかすっかり裏切られました。でも、そのままお蔵入りも悔しいので、こうして今、この本について書いています。一つ一つの話がとても短いし、テンポも良いので紅茶を飲みながら読むのにはちょうど良い本であるのは間違いないです。
ティーカップの大切さ
とはいえ、どんな貧乏生活でもどんなに生活破綻していたとしてもお気に入りのティーカップ(ここが大事。マグカップやコーヒーカップではダメ)で紅茶をゆっくり飲む時間を大切にすることの多大なる価値をほんの数行で見事に書きあらわしているのは、やはりというか、さすが森鴎外の娘だけのことはあると感心。
でも「ボッチチェリの薔薇の茶碗」ちょっと見てみたかったな。
