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Anna Maria Russell (1783-1857)
Anna Mariaの生い立ち
Anna Mariaは1783年9月3日に11人兄妹の3番目の長女として誕生しました。父はアイルランド最高司令官に従事し、外交官としてウィーンやベルリンにも派遣されていました。そして、母は当時の英国王ジョージ3世妃、シャーロット王妃の寝室女官を務めていました。このようにかなり裕福な貴族の家で育ちました。
1808年8月8日、24歳で John Russell, 6th Duke of Bedford(第6代ベドフォード公爵ジョン・ラッセル)の長男タヴィストック侯爵Francis Russell(フランシス・ラッセル)と結婚、1839年にFrancisが公爵位を継ぎ、Anna Maria Russell, Duchess of Bedford (ベッドフォード公爵夫人アンナ・マリア・ラッセル)となります。

1837年54歳にしてQueen Victoria(ヴィクトリア女王)の寝室女官に命じられます。1837年といえばQueen Victoriaが即位した年です。まだ18歳だったQueen Victoriaを身近な大人として見守り、仕えることが求められていたのだと思います。Queen Victoriaも母親のような年齢のAnna Mariaのことを大層慕っていたとされています。
女官辞任後は夫も知らない多くの慈善活動を行い1857年にAnna Mariaが亡くなった時にはその活動への多大な感謝と深い哀悼が捧げられたそうです。ちなみに上の絵がキリン『午後の紅茶』のモチーフになっているのではないかとくまは思っています。

産業革命と食事の時間
1840年頃、Bedford公爵とAnna Mariaは住まいである大邸宅Woburn Abbey(ウーバンアビー)で毎日大勢の客をもてなす日々を送っていました。記録によるとWoburn Abbeyでもてなされる客は年間1万人を超していたと言われています。

当時の食事は、朝食(10時頃)と夕食(20時頃)の1日2回でした。しかも、この頃のイギリスは産業革命によって人々の生活習慣が変わりつつあった時期でもあり、特に家庭用のランプの普及によって、人々は日が暮れた後も活動できるようになりました。このランプの普及が夜の社交を増やし、時間も遅くなるようになり、結果的に夕食の時間が遅くなってしまいました。
Afternoon Teaの始まり
Anna Mariaの憂鬱
Anna Mariaは毎日、昼下がりの時間が憂鬱でした。なぜならその時間にはいつも空腹に苦しめられていたからでした。そこでAnna Mariaは召使に午後3時から5時頃に、紅茶にサンドイッチや焼き菓子を添えて持ってくるようにさせました。これが彼女の習慣となり、最初は一人だけで午後のお茶の時間を楽しんでいたのですが、次第に友人たちをこの午後のお茶に誘うようになりました。
昼下がりのお茶会
当時のイギリスは、Queen Victoriaの下で、貴族の作法やマナーが大変重んじられた時代でした。なので、いつでも好きなように食事ができるわけではなく、またこうした慣習は簡単には変えられないものでありました。しかし、Anna Mariaの始めたお茶会は貴婦人たちから大好評を得て、男性たちが娯楽で出かけてしまうと、ディナーの部屋とは異なる自身の寝室近く、ドローイングルームで楽なドレスでコミュニケーションすることが目的のお茶会が開かれたのです。サンドイッチ、スコーン、ケーキなどのティーフードを添えて供されるようになりました。

1859年の記録ではWoburn Abbeyには年間1万2千人の人がAfternoon Teaに招待されたと記録されています。
そして王室へ
さらにAnna Mariaが側近を務めていたQueen VictoriaもこのAnna Mariaのもてなしを大いに気に入り、1880年代には自身も宮廷内で王室主催のAfternoon Teaを始めるようになりました。こうして、Anna Mariaの始めた午後のお茶の習慣は、普通なら既存の食事習慣に逆らうのはタブーとされるようなこの時代に批判されるどころか”Afternoon Tea”としてイギリスの慣習として受け入れられることとなり、定着していきました。
“Anna MariaのAfternoon Tea”という聖なる儀式
Queen Victoriaの生母であるケント公夫人Victoriaの女官であるLady Flora Hastings(レディ・フローラ・ヘイスティングス)の妊娠スキャンダルに巻き込まれ、後に誤解は解けたが、彼女の不用意な発言が原因の一つであったとされ、しばらくの間批判に晒されたことがあったりはしたものの、公平で親切で優しい性格で周りにも慕われていたお人柄があったからこそ”Anna MariaのAfternoon Tea”がイギリスの食事習慣に受け入れられた大きな理由のひとつであることは間違いなさそうです。
そしてこれが上流階級へ広がっていき、やがて余裕のある中流階級にも広がっていきました。そして、現在では広く一般的になっています。
ちなみにAnna MariaのAfternoon Teaでは、インドのアッサムや中国のラプサンスーチョンが主に楽しまれていたことが、当時の招待状や、茶園からの請求書などの貴重な資料がらわかっているそうです。また、1898年のRussell家の回顧録に「聖なる儀式Afternoon Teaは、1857年に他界した我が家系のDuchess of Bedford (第7代ベドフォード公爵夫人)によって考案された」と記載されているそうです。