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各国の王室の好みや哲学が紅茶にどう表れているのか、そうした視点でティーカップをのぞくと、また違った味わいがあるかもしれません。
👑インド皇族と「ダージリンを育てた名家」
インドはかつてイギリス植民地でしたけれど、現地のマハラジャ(藩王)たちの中には紅茶栽培に強く関心を持ち、自ら茶園を所有した人々もいました。特に西ベンガル州の一部には、イギリス統治下で協力的だった王族の協力によりダージリン茶園が発展したという歴史があります。
マハラジャたちは茶園経営に資金援助をし、イギリス貴族に紅茶を贈ることで外交の潤滑油にしたこともあったようです。王族自身が紅茶を嗜むことも多く、伝統的なチャイとは異なる、英国式のストレートティーやミルクティーを取り入れていたようです。
👑🎌日本の皇室と紅茶の出会い🎌
日本の皇室が紅茶を本格的に取り入れたのは明治時代以降です。明治天皇の時代には、外国使節をもてなすために英国式のアフタヌーンティーが導入されることもあったとされています。
また、昭和天皇や皇后も国際親善の場で紅茶を口にする機会が多く、香淳皇后は特にダージリンなどの繊細な紅茶を好んだという記録もあります。
現代でも皇室行事では紅茶が提供されることがあり、洋菓子とともに静かに味わうという、日本的な丁寧な紅茶文化が見られます。
👑清朝末期の紅茶外交
清朝末期(19世紀後半)、西太后(慈禧太后)は英国との外交関係を強める中で、紅茶をもてなしの一部として積極的に取り入れた人物としても知られている。
紫禁城の中に英国式のサロンを模した部屋が設けられ、輸入紅茶と中国の茶葉を融合した独自のティータイムが実践されたという説もあります。
この時代、中国ではすでに茶文化が長く存在していましたが、紅茶(特にセイロンティーやダージリン)を “異国の贅沢” として紹介する動きもあり、王族層の中では特別な外交用の飲み物としての紅茶が広がっていたようです。
👑タイ王室と紅茶の物語
タイでは伝統的に「チャー・イェン(ชาเย็น)」という甘いミルク入りアイスティーが有名ですが、王室が関わる紅茶の歴史は少し異なるルートをたどっています。
プーミポン国王と高地茶栽培
タイの茶文化が王室の手で大きく変わったのは、第9代国王ラーマ9世(プーミポン・アドゥンヤデート)の功績が大きいです。
1970年代以降、王は麻薬撲滅と高地民族の自立支援の一環として、北部チェンライ県などの山岳地帯に茶の栽培を導入しました。これが、現在の「タイ高地紅茶(Thai High Mountain Tea)」につながっています。
これらの茶園では台湾系の品種や製法が導入され、ウーロン茶や紅茶、そして近年では白茶の生産も行われるようになった。王室の後援によって品質も向上し、王室プロジェクトの茶葉は国際的にも高い評価を受けています。
王室御用達「Doi Tung」ブランド
王室プロジェクトの一つである「ドイ・トゥン(Doi Tung)」ブランドでは、紅茶やウーロン茶だけでなく、コーヒーや手工芸品なども販売されていて、王妃シリキットの支援のもとで立ち上げられた社会的企業なのです。紅茶も上品で香り高く、タイ王室が目指した「持続可能な農業支援」の象徴でもあります。
👑モロッコ王室とミントティーの伝統
モロッコでは紅茶というよりも、「アッツァイ・ナアナア(Atay b’naana)」と呼ばれる緑茶ベースのミントティーが王族から庶民まで広く愛されています。直接紅茶とは関係ないけれど、せっかく調べたので書いておきます。
「アッツァイ・ナアナア(Atay b’naana)」の起源は王侯貴族のもてなし文化と密接に関係しています。
王宮の儀礼としてのティーセレモニー
モロッコ王室では、外国の賓客を迎える際に、金や銀の装飾を施したポット(ベルベル様式)と美しいグラスでミントティーを提供するのが伝統となっています。
このティーセレモニーは単なるおもてなしではなく、王室の権威とホスピタリティを示す象徴的な儀式とされています。
特に現国王ムハンマド6世は、外交の場でもモロッコ文化の象徴としてミントティーを振る舞うことが多く、「心を開くためのお茶」として外交ツールにもなっています。
イギリスとの関係と茶の伝来
面白いことに、緑茶(主に中国のガンパウダー茶)がモロッコに入ったのは19世紀のイギリスとの貿易がきっかけです。
以降、モロッコではこれを独自にアレンジして、砂糖と大量のナナミントを加える甘く爽やかなミントティー文化が花開いたのです。王族たちは早くからこのスタイルを取り入れ、各地の宮殿で特製のティーが楽しまれてきました。