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多才だったAnna Maria
Anna Mariaの自画像
Anna Mariaが非常に素晴らしいアマチュア画家であったことも付け加えたいと思います。
この細密画には複数のバージョンが存在していて、Ireland(アイルランド)のDublin(ダブリン)にあるアイルランド国立美術館に1点、Woburn Abbeyに3点所蔵されています。

Dublinの細密画は自画像とされていますが、Woburn Abbeyのバージョンは、Woburn AbbeyにあるFrank Stone(フランク・ストーン)の絵を模したものだと言われています。しかし、Frank Stoneの制作年(1800年 – 1859年)からすると、彼の油彩バージョンの方が、1810年頃の細密画を模したものである可能性が高いのです。
同じくWoburn AbbeyにあるJohn Haslem(ジョン・ハスレム)による同じ絵を模したバージョンには、1847年の署名と制作年が記されています。1805年頃の、画家と姉妹たちを描いた自画像と、画家の家族の細密画作品群がアイルランド国立美術館に所蔵されており、Anna Mariaが並外れて才能のあるアマチュア・細密画画家であったことを証明しています。
ivory laidに描かれた水彩画
Royal Collection Trustによると、このAnna Mariaの自画像は”Watercolour on ivory laid on card”つまり「アイボリー・レイド紙に水彩画」だとされています。これは実はかなり興味深い話なのです。
Ivory Laid paperとは
Ivory(アイボリー)は象牙色、つまりクリームがかった淡いベージュ系の白です。真っ白ではなく、やわらかく温かみのある色合いで、目に優しい印象の色だということです。
Laid(レイド)は紙の製造時に、金網状の型(モールド)を使うことで、紙の表面に細かい縞模様(レイドライン)が生まれます。肉眼でもうっすら見える横縞と縦縞(チェーンライン)があるのです。手漉き風の風合いがあり、クラシックな高級感を演出します。
つまり「ivory laid paper」は「象牙色の、細かな縞模様の入った上質紙」という意味で、見た目も手触りも上品な仕上がりの紙なのです。ただ、これに水彩画というのは普通はしません。水彩画には通常、コットン100%の厚手(200gsm以上)の紙で表面に凹凸がある「Cold Pressed(中目)」や「Rough(荒目)」紙が使われることが多く、吸水性と耐久性に優れています。
一方で Ivory Laid Paper に水彩を使う場合、Laid紙は吸水性に劣るため、滲みや紙の波打ちが起きやすいです。しかし逆に、コントロールされたごく軽い水彩表現や線画・彩色を兼ねたスタイルには使われることがあります。また、紙の風合いそのものを活かした「古風」な表現にも向いています。つまり「描かれていた」としても、一般的な本格水彩とは少し違ったアプローチで、紙の風合いを活かすようなスタイルが多いように思われます。
Anna Mariaが採用しているということのおもしろさ
ここまでは一般的な話だったのですが、この紙と水彩画という技法でAnna Mariaが描いていたとなるとちょっと話が違ってきます。そこには、絵の技法や意図に時代的な背景が色濃く反映されている可能性が高いと思えるからです。
「ivory laid paper」の歴史的文脈
もう一度確認をします。18〜19世紀のイギリスでは、上質紙としてlaid paper(縞模様の入った紙)が依然として使われていました。「ivory」という形容が加わることで、象牙のような淡く柔らかな白色(黄みを帯びた温かみのある白)を指します。つまり、「ivory laid paper」=象牙色で縞模様の入った高級筆記・描画用紙ということになります。
そして絵の技法的には、おそらくは軽い色彩・薄塗り・輪郭強調型の肖像画で背景や陰影を抑え、線と淡彩で品のある印象を出す描き方を採用していると見て間違いないと思います。
このような紙を選んだ背景には、
1.高貴な風合いのある紙を使うことで、人物の格式や趣味を表す
2.当時のサロン文化に見合う洗練された装飾紙としての役割
3.薄く上品な紙
という理由があるように考えられるのです。
つまり、ivory laid paper は単なる画材ではなく、
・気品ある趣味と社交の象徴」
・まさに上流階級文化そのものの紙選び
だった可能性もあります。
さらにこの紙は18〜19世紀のイギリスで高級な筆記用紙や画材として用いられ、特に水彩画やドローイングに適していました。また、19世紀のミニアチュール(細密画)制作では、薄い象牙片をレイド紙に貼り付けて描く技法が一般的でした。この自画像はまさにこのミニアチュール(細密画)なのです。
Anna Mariaの自画像に使用された「ivory laid paper」は、彼女の気品や時代背景を反映する選択だったと考えられます。このような紙に描かれた作品は、当時の社交文化や美意識を感じさせる貴重な資料です。
象牙下地のミニアチュール
象牙仕立てについて
薄い象牙片をレイド紙に貼り付けて描く技法を簡単に説明します。19世紀のミニアチュール(細密画)において使われた「象牙片を紙に貼って描く技法」は、以下のような工程で行われていました。
- 象牙スライスの準備
薄くスライスした象牙(厚さ0.2〜0.5mm程度)を、紙(多くは laid paper)や厚紙に貼り付けて絵を描く土台とします。象牙のスライスは非常に薄く、半透明なので、下からの光を透過し、特有の柔らかい光沢が生まれます。 - 接着
象牙の片を平らにするために加圧・加湿して反りを防ぎ、その後天然のにかわやデンプン系糊などで紙に固定します。下地には laid paper のような強く、安定した紙が使われました。 - 表面処理(必要に応じて)
表面をサンドペーパーや軽い研磨で整え、絵具が乗りやすいようにすることもあります。 - 水彩絵具で描画
通常の紙よりも滑らかで絵具が弾きやすいため、非常に細かい筆使いで、層を重ねて色をのせる技法が用いられました。肌の質感表現に非常に優れており、肖像画によく使われました。 - 保護と仕上げ
完成後は、ガラス付きのフレームに入れるか、ミニアチュール・ケース(ロケット、ブローチなど)に入れて保管されました。

簡単に言えば、現代のアクリル水彩画を木などに描くときに下地に塗るジェッソの役割を贅沢にも象牙で行っていた、というわけです。ジェッソを下地に使って絵の具の発色や定着を良くするのと同じ理屈で、薄い象牙板を紙に貼ってから絵を描くというのは、色の沈み込みを防ぎ、微細な筆致やニュアンスを最大限に活かすための、非常に贅沢な “古典的ジェッソ” のような使い方です。
象牙は非常に緻密で滑らかな素材で、透過性もあり、絵の具の層に奥行きを感じさせる効果もあります。18~19世紀のミニアチュール(細密肖像画)で特に好まれましたが、Anna Mariaのような貴族が、自分の肖像を「特別なもの」として残すためにこのような技法を選んだのは、極めて理にかなっています。
ちなみに、象牙を用いたミニアチュールでは、水彩にガッシュを混ぜて不透明度を調整するなどの工夫もよく行われていました。
この技法の特長と背景
この技法は18世紀後半〜19世紀中頃、特にイギリスやフランスで流行しました。絵を描くのが好きな女性貴族や画家志望の令嬢たちにも人気があり、趣味として広く行われていました。Anna Mariaのような上流階級の女性が自画像をこの方法で描いたことは、美術的教養と身分の象徴でもあるのです。
この技法の作例など
ちなみにこの技法の代表的な作家には以下のよな人がいます。
・Richard Cosway(リチャード・コズウェイ / 1742–1821)
イギリスの肖像画家で、象牙板に描かれたミニアチュールで知られています。


・Jean-Baptiste Isabey(ジャン=バティスト・イザベイ / 1767–1855)
フランスの画家で、ナポレオン時代の宮廷画家としても活躍し、象牙板に描かれた肖像画を多く残しています。

Francois Gerard 1795

逆に言えばAnna Mariaは、こうした職業画家と並んでも決して引けをとらない画力を持っていたということになります。あまり歴史の表舞台に出てくる人ではありませんが点が二物以上を与えた人だったのは間違いありません。そういう人だからこそAfternoon Teaを生み出し、文化として定着させることができたとも言えそうです。