ボストン茶会事件

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概要

ボストン茶会事件(Boston Tea Party)は、1773年12月にアメリカ植民地マサチューセッツ州ボストンで発生した、イギリス本国の茶税法(Tea Act)に反対する抗議事件です。


背景

18世紀半ば、イギリスはフランスとの七年戦争後の財政難から、北米植民地に対して課税を強化しました。

さらに1767年のタウンゼンド諸法によって紅茶を含む輸入品に課税します。

1773年、財政難に苦しむイギリス東インド会社を救済するため、茶法(Tea Act) が制定され、植民地における同社の紅茶販売独占が認められます。

これにより、関税を免れた東インド会社の紅茶が安価に流通することになるのですが、植民地側は「課税の原則」自体を拒否していたため反発が強まりました。


事件の経過

1773年12月16日夜、モホーク族インディアンに扮した植民地の急進派市民グループ(サンズ・オブ・リバティ)が、ボストン港に停泊中の東インド会社の船3隻に侵入します。

そして積み荷である紅茶342箱(約45トン)を海に投棄しました。

この時、暴力的衝突は避けられましたが、イギリス政府に対する明確な挑戦行為となりました。

影響

イギリス政府は「耐え難き諸法(Intolerable Acts)」と呼ばれる制裁措置を発動します。そしてボストン港閉鎖などの強硬策を取りました。

植民地側は反発を強め、翌1774年に第一回大陸会議が開催され、13植民地の連携が加速します。結果として、1775年のアメリカ独立戦争勃発の引き金のひとつとなりました。

紅茶文化史における意義

この事件により、アメリカでは紅茶文化が衰退し、コーヒー消費が急速に拡大したとされています。今日でもアメリカ独立精神の象徴として語られ、観光・教育・ポップカルチャーで頻繁に引用されています。

Boston Tea Party
Boston Tea Party
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