contents
人物
多田元吉(1829-1896)は幕末の幕臣です。明治維新後、駿河国・丸子(現:静岡市駿河区丸子)で茶園を開拓し、近代日本における紅茶(和紅茶)製造の草分けとして位置づけられています。
※多田元吉の「唯一現存する写真」とされる画像が流布していますが、現時点で信頼できる出典・権利表示を確認できていません。当サイトでは出典確定まで掲載を保留します。情報をご存じの方はご一報ください。
歴史的背景
1869年、幕府崩壊に伴い拝領地の長田村・丸子に移住して茶の栽培を開始します。地域の在来茶の生産を基盤にしながら、近代的な製茶へと視野を広げていきました。
海外派遣と技術導入
明治政府の命により1876年、インドのアッサム/ダージリンおよびセイロン島(現スリランカ)へ渡航します。紅茶の製造法・栽培法を実地で学び、1877年に帰国後は、アッサム地方から持ち帰った原木・種苗を丸子で育成し、アッサム種の導入と栽培指導を行いました。これにより、日本の風土での紅茶づくり(和紅茶)の実践が一気に進むことになりました。
位置づけと影響
多田の活動は、在来系統に頼っていた国内の茶づくりに紅茶向け品種・製法という選択肢をもたらし、のちの各地の試作・普及の原点となりました。「日本の紅茶史を語るうえでの必要条件」にあたる人物であり、和紅茶の成立と初期発展を理解する際の起点となります。