禁酒運動と紅茶の関係(temperance movement)

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禁酒運動の時代背景

1830年、イギリスで「禁酒運動(temperance movement)」が本格的に始まりました。
この時代はヴィクトリア朝の前夜であり、産業革命によって社会構造が激変し、都市には急激な人口流入と貧困、過酷な労働環境が重なっていました。産業革命は華やかな発展と同時に、大きな貧富の差も生み出しました。人々は日々の疲れと絶望を忘れるために酒に頼り、労働者階級を中心に過度の飲酒が深刻な社会問題となっていきます。


T-totalと紅茶

このような状況の中で、社会を立て直すために生まれたのが禁酒運動(Temperance Movement)でした。1833年には、「total abstinence(完全禁酒)」を強調する意味で、“T-total”(後に tee-total とも綴られる)というスローガンが登場しました。これは演説の中で “total” を強調するつもりで「T-total」と発音したことから始まったとされており、当初は紅茶(tea)とはまったく関係がなかったとも言われています。

しかしその“T(ティー)”の音が“tea”と同じだったため、
「酒の代わりに紅茶を飲もう!」
という発想とスローガンが生まれ、紅茶が禁酒運動の象徴的な飲み物として定着していったのです。


禁酒運動とティー・ミーティング

こうして広まったのが、紅茶をふるまいながら節制を語るティー・ミーティング(tea meeting)の文化です。これは単なるお茶会ではなく、家族や地域社会の道徳を守るための集会でもありました。
特に中流階級から労働者階級の女性たちが主導する場として「アルコールの代わりに、家庭的で清潔な紅茶を」という価値観が広まっていきます。同時にそれまでは上流階級のものとされていた紅茶が一般化していったのもこの流れが大きなきっかけになりました。


ジン・クレイズ

一方、18世紀には「ジン・クレイズ(Gin Craze)」と呼ばれるジン中毒の時代もありました。安価な蒸留酒ジンが労働者層に広まり、家庭や地域が荒廃していったのです。
このような暗い過去と対照的に、紅茶は慎ましさ・清潔さ・健全な家庭の象徴として、広く受け入れられていきました。

さらに1839年には、16歳未満の子どもに対してビールを除くアルコールの販売を禁じる法律が成立します。これによりパブは衰退し、代わって家庭内でのティータイムが広く浸透することになります。

また、禁酒運動を支えた宗教勢力の中には、クエーカー教徒やメソジストなどの非国教派が含まれており、彼らは紅茶やココアといった飲み物を通じて、節制と労働の倫理を社会に根付かせようとしました。実際にクエーカー教徒のキャドバリー家(Cadbury)やフライ家(Fry)はチョコレート企業で名を成しました。このようにして紅茶は、道徳的で清潔な社会の再構築に寄与する象徴的な飲み物となっていったのです。