契約労働

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定義

契約労働(Indentured Labour)とは、一定期間の労働契約に基づいて労働者を拘束する制度であり、19世紀、奴隷制廃止後の植民地プランテーション経済を支えるために広く用いられました。


奴隷制との関係(前史として)

プランテーション経済の基盤は、17〜18世紀に砂糖や綿花の生産で確立された奴隷制にありました。

イギリス帝国は19世紀に奴隷制を廃止しましたが、大規模農業を維持する必要から、奴隷制に代わる労働制度として契約労働を導入したのです。


契約労働の実態

契約労働者は名目上は賃金労働者とされていましたが、実際には移動の制限、借金による拘束、世代的な固定などが存在していて、自由労働とは言い難い側面を持っていました。

インドにおける契約労働の写真
『The Empire of India』(1913) 出典:Bampfylde Fuller The Library of Congress

① 移動の制限(なぜ「逃げられなかった」のか)

表向きの建前

  • 契約期間:3年・5年など
  • 契約満了後は帰郷・再契約が可能
  • 自由意思による雇用、という扱い

実際の仕組み

a.契約書の言語問題

契約書は

  • 英語
  • 植民地行政語

で書かれていました。ですから、労働者は内容を理解していないことが多く、その結果、何が「違反」か分からない状態に置かれていました。

b.移動には許可証が必要

契約上、プランテーション外に出るには「通行証(pass)」が必要でした。

無許可移動は「契約違反」や「逃亡扱い」とされました。奴隷制のような物理的な鎖はありませんが、法的な柵があったのです。

c.警察・行政との連動

プランテーション管理者は植民地行政と直結していました。なので労働者が逃げると警察が連れ戻す、という仕組みでした。つまり国家権力が雇用主側に立っていたわけです。

② 借金による拘束(なぜ「辞められなかった」のか)

表向きの建前

  • 渡航費・住居・食糧は「前貸し」
  • 給料から少しずつ返済

実際の仕組み

a.渡航費・初期費用の前借り

  • インド→セイロン
  • 内陸→高地プランテーション

現地への移動費などはすべて借金として計上されました。

b.給料が返済に追いつかない

  • 賃金が極端に低い
  • 医療費・罰金・生活必需品がすべて帳簿上の追加借金

結局借金が減らない構造になっていました。

c.借金返済は「契約終了の条件」

  • 借金完済しない限り
  • 契約は「未終了」

結果として再契約を強いられたのです。これは奴隷制でいう「所有」ではなく、会計による拘束でした。

③ 世代的な固定(なぜ「子どももそこにいる」のか)

表向きの建前

  • 子どもは自由
  • 学校や医療も提供される

実際の仕組み

a.出生=プランテーション内

労働者家族はプランテーション内に居住しています。その結果、子どもは外の世界を知らずに育ちます。

b.教育の欠如

学校はありましたが、教える内容は読み書き・計算レベルで、外で仕事を得る能力が育たないようになっていました。

c.「労働力予備軍」としての子ども

10代前半から軽作業が与えられ、正式契約は後年でも、事実上は早期から労働させられていました。

このような仕組みによって、契約はあくまでも個人ですが、結果的に労働力が世代で再生産される仕組みができていました。

④ 3つをまとめるとこうなります。

移動できない → 逃げられない
借金がある → 辞められない
次世代が内部で育つ → 外に出られない

つまり、奴隷制が「身体の所有」だったとすれば、契約労働は「人生の射程を管理する制度」だったのです。

⑤ なぜ「合法」だったのか

  • 奴隷制:非合法(19世紀後半)
  • 契約労働:合法
  • 書類・契約・帳簿がすべて揃っている

つまり、道徳ではなく、制度として成立していたわけです。

紅茶プランテーションでは、インドやセイロンを中心にこの制度が広く用いられ、紅茶産業の拡大を支える重要な労働形態となっていました。


用語註

当時の史料では、契約労働者を”coolie”と呼ぶ例が多いのですが、これは植民地期の行政用語であり、現代では差別的語感を伴うため、史料引用の文脈に限って用いられます。


紅茶史における位置づけ

紅茶は、奴隷制そのものによって生産された作物ではありませんが、奴隷制プランテーションで形成された労働管理と生産の構造を引き継ぎ、契約労働という制度の上に成立した産業だったのです。


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