「セイロンティーの父」と呼ばれ、今でも尊敬されている人物です。
19世紀半ば、James Taylor(ジェイムス・テイラー)という一人のスコットランド人青年がスリランカ(当時はセイロン)に降り立ちました。わずか17歳でセイロンに渡ったJames Taylorは、当初はコーヒー栽培に従事していました。しかし、1860年代に「さび病」によってコーヒー産業が壊滅します。多くの農園が困窮するなか、彼は新たな希望として紅茶の栽培に挑戦します。
1867年、キャンディ近郊のLoolecondera(ルーラコンデラ農園)で、彼はセイロンで最初の紅茶栽培を開始します。今まで10年以上専門家たちが失敗してきたにもかかわらず、わずか数年で、手製の機械で製茶まで行う一貫生産体制まで確立してしまいます。彼の地道な努力が、やがてセイロンを「世界屈指の紅茶産地」へと変貌させるのです。
やがてCeylonの茶産業は大手による経営へと変貌していきます。そうした流れの中でJames TaylorはLooleconderaを追い出されるように解雇されてしまいます。そしてその翌年、1892年に重度の胃炎と赤痢で亡くなってしまいます。
死の翌日、墓地までの18マイルの行程を12人ずつの作業員からなる2つのグループがJames Taylorの遺体を4マイルごとに交代で支えて移動して、永眠の地まで運んだと伝えられています。今もキャンディのマハイヤワ墓地に眠っています。
James Taylorの情熱と勤勉さ、そして謙虚さは、今なお紅茶に関わる人々の尊敬を集めています。彼の育んだ茶園、Looleconderaは今も現存し、「セイロン紅茶発祥の地」として訪れる人々を静かに迎えています。
もしセイロンティーという芸術に創始者がいるとすれば、その名は間違いなくJames Taylorです。彼の手から生まれた一杯は、遠い時代と土地を越えて、セイロンティーを一番輸入している私たちの心を今も温め続けてくれているのです。

