団茶

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概略

団茶(たんちゃ)とは、茶葉を蒸して臼で搗き、型に押し固めて作られた固形茶の総称です。保存と輸送に優れた形状で、課税・貢納・交易と深く結びつきました。また、宋代の点茶法や日本の抹茶文化、さらには紅茶の工業化へとつながる重要な歴史的茶形態でもあります。

団茶 by T.Voekler Wikipediaより
団茶 by T.Voekler Wikipediaより

詳解

団茶は緑茶の前段階にあたる「固形化された茶」で、散茶(ばら茶)が主流となる以前に広く製造された「圧縮された茶」です。生葉を蒸し、臼で搗き、型に押して乾燥させることで茶を保存性の高い「固形物」へと変換したのです。この加工法は、運搬・保管性の向上だけでなく、茶を国家制度の中で扱うための標準化と計量性をもたらしました。つまり、団茶は茶文化が地域の嗜好品から国家管理の物資へと転じたことを象徴する存在ともいえるのです。

背景には、三国〜唐代にかけて整備された 茶の課税制度(茶税・貢納) があります。生葉では腐敗や重量の問題があったため、固形化は政策上の必然だったのです。こうして団茶は「飲みもの」である前に「国家管理の物資」として機能しはじめ、やがて税・軍需・交易の対象となりました。

宋代に入ると団茶は宮廷茶として制度化され、粉末状にして泡立てる「点茶法」が確立します。これは禅僧を通じて日本へ伝わり、のちの 抹茶文化の原型となりました。団茶はその意味で「茶の工業化と文化化の分岐点」に位置づけられるのです。

さらに17〜19世紀には、団茶は中国国内だけでなく ロシア・モンゴル・中央アジアへの主要輸出品として発展しました。清とロシアの「キャフタ条約」(1727年)以降、陸路交易が制度化され、団茶は寒冷地でも保存できる国際的な「交易茶」となります。シベリアでは貨幣の代替として流通した記録さえ残っています。

18世紀のロシア宮廷でも団茶が飲まれており、エカチェリーナ2世の時代に輸入されていた茶の主流はまだ紅茶ではなく固形茶でした。宮廷ではこれを削り、砂糖を加えて煮立てて飲むスタイルが採用され、これが後世の「ロシアンティー」文化の原型となります。ちなみにロシアで紅茶が主流化するのは19世紀後半以降です。

現在も団茶の伝統はチベット・雲南・モンゴル文化圏で継承され、バター茶や緊圧茶(プーアル茶)の源流として生き続けています。また、団茶は「茶の工業化の出発点」と評価されることもあります。


🧸くまの一言

団茶は日本ではあまり目にすることがないものです。先日あるお茶屋さんで団茶を見ましたが、結構高価で手が出ませんでした。

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