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✨ 概要
かつて日本の紅茶文化において、砂糖は単なる甘味料ではありませんでした。
それは紅茶を引き立て、もてなしの心を象徴し、ときには紅茶そのもの以上に贈答品として主役の座に立つこともありました。
特に昭和期の「お歳暮」文化では、紅茶+砂糖という組み合わせが、ごく自然に成立していたのです。
🌹 バラの角砂糖:紅茶の花を添える贈り物
紅茶とセットで贈られる砂糖として、最も記憶に残るのが「バラの角砂糖」でしょう。
ピンクと白のバラの形にかたどられた角砂糖が、40〜50cmの大きな箱にぎっしりと詰まって届く──
- その華やかさは、もはや“砂糖”というより視覚のもてなし
- 来客時には砂糖壺ではなく、専用の皿にバラを並べて提供
- 子どもたちにとっては、紅茶よりも先に心を奪う甘い宝石のような存在
そしてこの砂糖は、“大切に使うもの”でもありました。
- 母親が一粒一粒を大事に使っていた姿──
- 子どももそれを真似て、もったいなくて紅茶に入れるのではなく、お茶請けのように、そっとかじって味わったという記憶も少なくありません。
- 甘さの中に、“贅沢”と“感謝”が同居していたのです。
こうした「紅茶と砂糖をセットで贈る文化」は、昭和の終わりごろまで確かに存在していたものの、平成に入るころにはその姿をすっかり消し、代わりにスティックシュガーや実用的な甘味料が主流となっていきました。
🧪 チクロ騒動と「全糖信仰」
(補足追加案・昭和の砂糖文化背景)
1969年、日本で人工甘味料チクロ(チクロヘキシルスルファミン酸ナトリウム)の発がん性が報道され、厚生省(当時)が全面的に使用禁止とした「チクロ騒動」は、砂糖=自然で安全な甘味料という価値観を一気に押し上げる契機となりました。
この事件以降、飲料・菓子・缶詰・ジャムなどには
- 「全糖」
- 「チクロ不使用」
- 「天然糖のみ使用」
といった表記が積極的に行われるようになります。
🍬 「角砂糖」は安心の象徴だった
この社会的背景をふまえると、紅茶とともに贈られた角砂糖は単なる甘味料ではなく、
- 「この甘さは本物です」
- 「体にも心にも安心して摂れます」
という無言のメッセージを携えていたことになります。
だからこそ、洋酒入りの角砂糖や、香りづけされたバラ型角砂糖も、“添加物”ではなく“豊かさの香り”として歓迎されていたのです。
📌 関連項目
- 🫖 紅茶は贈答品だった?
┗ 「Liptonは家に、TWININGSは頂き物」──その定番の裏にあった文化。 - 🎁 お歳暮と紅茶
┗ 「なぜ“中元”ではなく“歳暮”なのか?」──贈るタイミングに込めた気遣い。 - 🧪 チクロと「全糖」信仰
┗ 「甘味料への不信」から生まれた砂糖への信仰──1969年の分水嶺 - 📦 進駐軍放出品と紅茶文化
┗ 紅茶缶も角砂糖も、“あちらから来た贅沢”だった。 - 🖋️ 紅茶缶は筆立てだった
┗ 子どもの頃、大事にしていた「誰かからもらった紅茶の缶」。