紅茶輸入再開

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📝 概要

戦時下の統制経済により、一時的に輸入が停止されていた紅茶は、1950年代半ばから段階的に再開されました。これは単なる貿易再開ではなく、日本人にとって“紅茶とは何か”という認識そのものを揺さぶる出来事でした。

📦 戦後の混乱と “見えなかった紅茶”

戦争による貿易遮断と物資統制により、紅茶は国内から姿を消していました。終戦直後の生活物資の中でも紅茶は「贅沢品」「進駐軍の飲み物」として特権的に扱われ、一般市民の手に届くことはほとんどありませんでした。人々の記憶から紅茶は徐々に薄れ、緑茶中心の生活へと再編されていきます。

📜 制度としての “解禁”

1952年のサンフランシスコ講和条約発効後、日本は主権を回復。貿易自由化の一環として、紅茶もまた輸入制限を緩和され、1954年頃から段階的に再開されていきます。この頃、明治屋や不二家などの輸入業者を通じて、英国系ブランドの紅茶缶が再び市場に登場するようになりました。

🌍 “紅茶=舶来”という記憶の再構築

再び目にすることとなった紅茶は、日本人にとって「外国の洗練された飲み物」として印象づけられていきます。特にイエローラベルで知られるリプトンの紅茶缶は、贈答品やハレの日の象徴として、新たな紅茶記憶を植え付ける存在となりました。

一方で、この輸入再開のタイミングで、“日本製の紅茶”の記憶はほぼ失われていったのです。

🧭 制度の都合が文化を作る──その象徴

この再開は、市場原理という名のもとに行われた制度変更でした。しかし、その結果として、 “本物の紅茶” =“輸入紅茶”というイメージが定着し、日本ブランドの紅茶や国産紅茶の存在は、意識の外に追いやられることになりました。

それは「制度が再開した」のではなく、制度によって“再定義”された紅茶の姿だったのです。

🧱 文化の断絶、そして沈黙

再開とともに市場に現れたのは、外国ブランドの鮮やかなパッケージ、缶、香り──
そしてそれを“本物”と感じる価値観でした。
その陰で、昭和初期まで輸出されていた日本紅茶の記憶、戦時中に細々と作られていた地紅茶の記憶は、誰に語られることもなく、数十年の沈黙へと入っていきます。

🔚 再開とは、回復ではなく再編だった

輸入再開は、失われた文化の回復ではありませんでした。むしろそれは、新しい記憶の上書きであり、制度による “文化の再編” だったのです。

そして、その下層には、忘れられた生産者、名もなきお茶たちの存在が静かに積もっていくことになりました。

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