紅茶の再制度化

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📝 概要

戦後日本において、紅茶は一度制度の空白地帯に落ち込みながらも、1970年代以降、再び制度的な枠組みによって位置づけられていきました。この過程は、「紅茶」という嗜好品がいかにして国家の管理対象から市場経済の中で再評価されていったかという、日本の再建期の経済と文化の交差点を物語っています。

🏛️ 1. 統制経済から自由化へ

戦後直後の紅茶は、統制経済のもとで物資として管理され、流通には政府の許可や配給制度が必要でした。しかし、1971年の輸入自由化によって紅茶は一気に「自由貿易品目」となり、市場競争にさらされることになります。これによって、国内ブランドの紅茶は一時的に存在感を失い、「国産紅茶=廉価品」のイメージが強まっていきます。

📏 2. JAS法との接続

紅茶の品質や表示を制度的に保証する仕組みとして、農林省の定めるJAS法(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)が再び重要視されます。特に1980年代には、輸入紅茶の増加とともに、JAS規格の制定や見直しが行われ、品質の均質化・信頼性の確保が求められるようになりました。

🏷️ 3. 表示制度との連携

JAS制度は、単なる品質規格ではなく、表示制度との連携によって「消費者にとって信頼できる紅茶とは何か」を提示するものでもありました。たとえば「紅茶」「発酵茶」「国内製造」などの表記のあり方が精査され、国産紅茶と輸入紅茶をどう識別・表現するかが議論されました。

📉 4. 市場からの退潮と再評価

輸入自由化後、日本製紅茶の市場シェアは縮小し、多くの生産者が紅茶から撤退する事態となりました。しかし2000年代以降、地域ブランドや無農薬茶への関心の高まりとともに、国産紅茶が再評価されるようになります。この流れは、制度上の裏付け(有機JAS、GI認証など)とともに、消費者意識の変化を反映したものです。

📚 まとめ

紅茶の再制度化とは、制度の復活というより、制度と市場の“翻訳”による再編成であり、日本的紅茶文化の再発見でもありました。法的な枠組みの中で再び紅茶が位置づけられることにより、ようやく「日本における紅茶」が“見える存在”として制度的にも文化的にも受容されていったのです。

🔗 関連項目

制度が再び紅茶を“文化”に変えた。