The Second Great Fire of London(第二次ロンドン大火)は第二次世界大戦中ナチス・ドイツによるロンドン空襲「The Blitz(ブリッツ)」の一環として行われた爆撃のうち、特に被害が甚大だった1940年12月29日の夜の空襲を指します。この空襲では、数万発の焼夷弾がロンドン中心部、特にCity of London(シティ・オブ・ロンドン)に投下され、建物の4分の1近くが被害を受けるという甚大な被害が出ました。
約1500の火災が同時発生し、ロンドン大火(1666年)以来の規模と称されました。多くの歴史的建築物が炎上・損壊しましたが、特にセント・ポール大聖堂は火に包まれそうになったが、奇跡的に被害を最小限に抑えられ、そのシルエットが煙の中に浮かび上がる写真(下の写真)は象徴的な「不屈のロンドン」を示すものとして有名です。ロンドン市民の士気は高く、多くの市民や消防隊が協力して火災を食い止めました。
けれども、その夜明け、被災を免れた家々では、やかんが湯気を上げていました。紅茶はこの時代、単なる嗜好品ではなく、日常を守るための「儀式」でした。牛乳がなくても、砂糖が配給制でも、人々はティーカップを傾けながら静かに語らい、心を整えたのです。
「紅茶を入れる間だけは、空襲を忘れられる」
そんな言葉を残した女性のように、多くの市民が一杯の紅茶に慰めを見出していました。政府も紅茶を戦略物資として扱い、前線の兵士にも空襲を耐える市民にも等しく支給を続けました。
瓦礫のそばで紅茶を配るカフェ、屋外にテーブルを出す老夫婦。紅茶は、人々の生活と尊厳をそっと支え続けたのです。
炎と煙のなかにあってなお、英国人は紅茶の時間を手放しませんでした。
それは「私たちは日常をあきらめない」という静かな誓いであり、まさに紅茶が英国文化の中核にある証でもあったのです。
この火災は単なる軍事的被害を超えて、「都市と市民の粘り強さ」を象徴する出来事となりました。英国の報道機関や作家たちはこれを「精神の勝利」として語り継ぎ、戦時下のプロパガンダや士気高揚の材料にもされました。
