contents
- 1.Twiningsの歴史
- 1600年代
- 1700年代
- 1800年代
- 1900年代
- 2000年代
- 2.Tea Brand
- 伝統と紅茶の楽しみ
- ただし、Twiningsに限って言えば
- 3.家にあるTwinings
Twinings(トワイニング)はイギリスの首都ロンドンに本店を持つ現存する中で英国最古のティーブランドです。
1706年にロンドンのストランド通りに世界で初めての紅茶専門店を出店した(現在もストランド通り216番地にて営業中)のもTwiningsです。
1.Twiningsの歴史
Twiningsの歴史はそのままイギリス紅茶の歴史と言っても良いほどです。(尚、歴史をまとめるに当たってTwiningsの英国ホームページを参考にさせて頂きました。)
1600年代
Twining家はイングランド南西部のグロスターシャーの出身で何世紀もその土地に根ざしていました。しかし英国大不況(1873年~1896年にかけてイギリスで発生した深刻な不況) の為、1684 年に一家はロンドンに移住しました。創業者Thomas Twining(トーマス・トワイニング)は、最初は父親の跡を継ぎ、ロンドンの織工(織物の製造に従事する職人)に弟子入りしました。職業に就くことは、ロンドン市の自由民になるために不可欠ででした。

1700年代
Thomas Twining
イギリスで最初のコーヒーハウスが、ロンドンにオープンしたのは1650年でそこからイギリス全土へ、そしてヨーロッパ全土へと広まっていきました。尚、コーヒーハウスは男性のみを顧客とし、女性は入れませんでした。
Thomas Twining(トーマス・トワイニング)は、1701年に26歳で自由民になり、織物業を辞め、裕福な商人のもとで働き、初期の紅茶の出荷の一部を扱いながら新しい職業を学んでいました。トーマスはその後5年間、この新しい紅茶ビジネスについて学び、紅茶の人気が高まるにつれて、紅茶が提供するビジネスチャンスに魅了されました。
1706年、Thomasはロンドン・ストランド地区(1666年のロンドン大火後に富裕層が新たに居住するようになった地域)にコーヒーハウス「Tom’s Coffee House(トムのコーヒーハウス)」をオープンしました。当時のイギリスで飲み物といえば、コーヒー、ジン、エールと考えられていました。その時代に、珍しい紅茶を出す「トムの店」は、ロンドン紳士から高い支持を得ました。そしてこの店で紅茶を提供するのと同時に紅茶の茶葉の販売も始めました。彼は茶葉を競合のコーヒーハウスだけでなく裕福な家庭にも販売しました。先にある通り、当時の社会規範では、女性がコーヒーハウスに入ることはタブーとされていました。しかし女性たちは自分の邸宅の応接室でこの新しい飲み物を楽しむことに熱心だったので、男性の召使いが茶葉を買いに行く間、トムズ コーヒー ハウスの外で馬車に乗って待っていたそうです。

The Golden Lyon Tea and Coffee House
紅茶の販売は大変人気となり「紅茶のブーム」が来ると考えたトーマスは、1717年までに「トムの店」に隣接する2軒の家を購入し、そのうち1軒をコーヒーハウスの横にある手作りのブレンドティーを専門に扱う店に改装しました。
慣習上、まだ女性がコーヒーハウスに入ることは認められていませんでしたが、買い物をすることは認められていました。この画期的なサービスは多くの女性に喜ばれ、またたく間に人気店となりました。そしてこの店を開店したことで、トーマスは自宅で紅茶を飲むことが流行していた当時の裕福な女性客に高品質の紅茶の茶葉(今後「紅茶」という場合、断り書きがなければ茶葉のこととします)を直接販売できるようになりました。トーマスは店の入り口を、堂々とした気品あふれる金色に塗られたライオンで飾りました。こうして「The Golden Lyon Tea and Coffee House (ゴールデン・ライオン・ティー&コーヒー・ハウス)」が誕生したのでした。これがイギリス初の、そして世界で最初の紅茶専門店です。そしてこの店は今でもTwiningsの有名店として営業しています。

海外輸出
トーマス・トワイニングは 1741 年に亡くなり、息子のDaniel Twining(ダニエル・トワイニング)が跡を継ぎました。ダニエルは、Twiningsの最初の海外輸出の流通経路を築きました。彼の元帳には、1749 年にTwiningsの紅茶がアメリカに販売され、ボストン知事が優良な顧客であったことが記されています。
1773年のThe Boston Tea Party (ボストン茶会事件/12月にアメリカ植民地で発生した、イギリスの茶法に反対した反英闘争) の時にボストン港には東インド会社の紅茶を積んだ船舶が停泊していました。その時ボストンの急進派がその船舶に進入し積荷の茶箱をすべて海に投げ捨てるという事件がありました。その当時のことを地元の作家は「ボストンの反乱軍が海に投げ込んだのはトワイニングの紅茶ではなかった」と記しています。

Mary Twining
1762年にダニエルの未亡人Mary Twining (メアリー・トワイニング)が事業を引き継ぎました。
彼女の在任中、紅茶に対する課税がピークに達し、フランスやオランダからお茶が密輸されることが一般的になりました。密輸業者はお茶に手を加え、乾燥した葉、小枝、樹皮を混ぜ、品質を落とし量を増やして利益を大きくしました。
メアリーは長い間日記をつけており、その日記にはTwiningsでは密輸された紅茶を一切買わず「最高品質の紅茶だけをブレンドして販売する」という顧客への約束を守り通したことを最も誇りに思う業績として記されています。

Richard Twining
Richard Twining (リチャード・トワイニング)は 1783年に母親から事業を引き継ぎました。彼はすぐに紅茶貿易の著名人となり、ロンドン茶商会の会長になりましたが、その頃は茶の密輸や改ざんが政治上の重要な議題となっていました。
密輸等が横行していた主な理由は、茶税が非常に高かったためです。リチャードは、紅茶は誰もが購入できる価格であるべきだと考え、首相のWilliam Pitt (ウィリアム・ピット)に茶への課税を 119% から 12.5% へと大幅に引き下げる提案をしました。彼は、税金が下がれば売上が増え、逆に高い関税は密輸を助長するだけだと主張しました。ピットは耳を傾け、1784 年に茶税を大幅に削減する減税法案を可決しました。その結果、紅茶の売上は急増し、紅茶は中流階級でも手が出せるものとなりました。
減税法案では茶税引き下げと同時に、イギリス東インド会社に国内市場を満足させるだけの茶を輸入することを義務付け、茶の価格はコストをカバーしつつも暴利をむさぼらない水準にするよう規制しました。リチャード自身は 1793年からイギリス東インド会社の株主となり、1810年から 1817年にかけて取締役となりました。彼が取締役を務めていた間に、イギリス東インド会社の権限の一部が制限され、インドにおける貿易の独占が廃止されました。
リチャードが紅茶の関税引き下げに成功すると、いよいよロンドンに紅茶文化が浸透しました。そして1787年にイギリスで継続的に使用されている最も古い、変更されていない商業ロゴの1つである「TWININGS」のロゴを掲げたストランドにある店舗の表門がオープンしました。

1800年代
Earl Grey
1818年に事業を引き継いだRichard Twinings II (リチャード・トワイニング2世)は、伝統を継承し、首相を始めとした顧客にゴールデン・ライオンで特注のブレンドを提供し続けました。
さて、イギリスが中国へ外交使節団を派遣した際、Charles Grey (チャールズ・グレイ)首相の特使の一人が、勇敢に中国人官僚の命を救うという出来事がありました。その感謝のしるしとして、お茶が贈られ、それを再現するためのレシピも添えられました。通常こうしたレシピは厳重に守られた秘密となるものです。特使はその贈り物を英国に持ち帰り、グレイに贈呈しました。この新しいお茶はグレイとその仲間の間で非常に人気となり、1831年にグレイはTwiningsにそれを再現して、多くの人に楽しんでもらえるように販売するよう依頼しました。このブレンドは、チャールズ・グレイ2世首相にちなんでEarl Grey (アールグレイ)として知られるようになりました。「アール」は英語で「伯爵」を意味します。
もっとも、歴史学的には実際には、グレイ伯爵はインドにも中国にも赴任したことがなく、当時の中国やインドにはベルガモット着香は存在しなかったことなどから、これらは全て事実ではない可能性が高いというのが定説です。
長年、TwiningsとJacksons of Piccadilly(ジャクソンズオブピカデリー社)が自分たちがEarl Greyのオリジナルだと主張し合っていました。当時はCharles Grey, 5th Earl Grey (第5代グレイ伯爵チャールズ・グレイ) がTwiningsがオリジナルであると認めていることを根拠として主張していましたが、1990年にTwiningsがJacksons of Piccadillyを吸収合併したため、この論争には終止符が打たれます。ただ、歴史学的にはJacksons of Piccadillyの方がオリジナルの可能性が高いようです。
もっとも、その合併を受けてという事なのかはわかりませんが、2013年に現7代目グレイ伯爵のPhilip Kent Grey 7th Earl Grey (フィリップ・ケント・グレイ)が、Twiningsのものがオリジナルブレンドであると公式に承認しました。

(1764 –1845 : by Thomas Phillips)

(1879–1963 portrait by Philip de László 1932 )

(1940 –2023 : Photo by Tony Buckingham)
Queen Victoria
その後、紅茶の輸入権を握り、イギリスの繁栄を築いたと言われるQueen Victoria (ヴィクトリア女王)が即位すると、女王は自ら「4時のお茶」の習慣(イギリス発祥のアフタヌーンティーのことです)を始めます。これまで貴族や上流階級に限られた楽しみだった紅茶は、次第に中産階級、労働者階級にも広まり、次第に国民的飲み物になりました。産業革命の結果、一般庶民までの可処分所得が増えたことがこれを後押ししました。
1837 年、ビクトリア女王はTwiningsに紅茶に関する最初の王室御用達の称号を与え、女王はTwiningsを女王の家庭への紅茶供給業者に任命しました。Twiningsは現在まで、歴代の英国君主全員に紅茶を供給する栄誉に浴しています。

(Alexandrina Victoria ; 1819 – 1901)
1900年代
広がって行く紅茶
20世紀に入り、Twiningsは創業200年になりました。その頃になると、イギリスだけでなく、ヨーロッパで広く紅茶が楽しまれるようになり、Twiningsのパリ店がオープンします。こうした広がりに伴って保管性や運搬性に優れた、缶や茶筒入りの紅茶を発売しました。
また、イギリスでは茶葉を使ってお茶を飲むことが好まれましたが、大西洋を越えたアメリカではもっと手軽に飲めることが求めれました。そこでTwinings は1908年に発明されたティーバッグを導入し、紅茶のティーバッグを開発しました。
Twiningsは紅茶が一般大衆に広がってきたタイミングで「朝食と一緒に飲むことを特に目的としたブレンド」を開発しました。ベーコンなどの朝食の強い風味を引き立てる「強い」紅茶を開発したいと考え「English Breakfast(イングリッシュ ブレックファストブレンド)」を発売しました。このTwinings初の紅茶と食事の組み合わせは、今日でもベストセラーとなっています。
1921年に皇太子・ウェールズ公・エドワード8世のために作られたパーソナル ブレンドで、その名を戴いた「プリンス オブ ウェールズ(Prince of Wales)」も発売されます。
第二次世界大戦
第二次世界大戦中、お茶を含む食料と飲料の配給制が実施されました。Twiningsは、赤十字の捕虜と女性ボランティアサービスに紅茶を供給しました。YMCA の移動式戦時食堂では、軍隊、救助隊員、爆撃の被害者にも紅茶を提供しました。これにより、人々は団結し、困難な戦時中に切望されていた安らぎのひとときがもたらされました。
イギリスの戦車にはBoiling vessel(ボイリング・ベッセル)という装置が装備されています。これは食料を温めたりするお湯を作る機械なのですが「紅茶を飲むためにお湯を沸かす装置」と言われたりもしています。事実、無線手と機銃手は紅茶を淹れることが業務の一環となり、「When in doubt brew-up」(困った時の湯沸かし)という言葉が生まれるほどでした。

2000年代
創業300年
2006年、Twinings社は創業300年を迎えました。
Twiningsはヴィクトリア女王から王室御用達を賜ったのちも、変わらず最高品質の紅茶を王室に献上し続けてきました。その後も途切れることなく王室御用達を付与され、ブランドとしてのクオリティも評価され続けます。また21世紀、イギリス国内もさることながら、世界中の人々が紅茶を楽しむようになり、日本でも紅茶の人気とともに歴史が深く、心やすらぐ香りと味が楽しめるTwiningsの知名度が高まりました。2019年のデータでは日本国内シェア第2位でした。
Twiningsの熟練したマスターブレンダーは、品質を守るために毎週3,000杯以上のお茶をテイスティングしています。創業から300年以上経った今でも、世界中の紅茶愛好家が心躍らせるような新しいブレンドを提供するために、開発に努力を続けているとのことです。
2.Tea Brand
Blender
この章ではTwiningsの資料を参考にTea Brand (ティーブランド)について考えてみたいと思います。Tea Brand にとってとても大切な職種にBlender(ブレンダー)があります。Tea Brand のオリジナルブレンドなどはすべてこのBlenderによって作られます。各Tea Brand で独自のしかし厳格な基準があります。
Twiningsの場合はtasting(テイスティング/紅茶を試飲して色や香り、味わいなどから特徴を分析すること。これによって茶葉を評価し、オークションで競る価格を決める大事な技術です)ができるまでに5年、一人前になるのに10年と言われています。こうして厳しいトレーニングをくぐり抜け、さらに15年以上のキャリアを持つ熟練のBlenderを「Master Tea Blender」と呼んでいます。TwiningsのBlenderはTwiningsのすべてのブレンドレシピに精通し、1日600杯もの試飲を行うそうです。
またBlenderがいかにTea Brand にとって大切かという実例としてTwiningsのライバル会社でイギリスでの紅茶のシェア1位のTetley (テトリー)という会社はBlenderのSebastian Michaelis (セバスチャン・ミカエリス)氏の味覚に100万ポンド(約1億8,880万4,997円)の保険をかけています。
産地の理解と品質
Blenderはティスティングをして茶葉の評価をしますが、同時にそれによってオークションで値をつけ、買い付けを行うbuyer(バイヤー/買い手や買人とも呼ばれます。卸売業や小売業、商社、デパート、スーパー、雑貨店などで活躍する専門職です。もちろん、Tea Brand にも必須です。行う内容は商品の仕入れや調達、価格や個数の交渉、商品の管理、 買い付けた商品を「売れる商品」に育てる所まで関わることも多いです。)でもあります。
Twiningsは35カ国に専門の産地を持ち、Blender自身が年間1000以上の茶園の訪問をします。茶葉の育つ環境を理解するために現地で一定期間生活することもあるそうです。

伝統と紅茶の楽しみ
Blenderに代表される職人たちによる作品を、一般の会社と同じようなマーケッティング、営業、経理部門、店舗スタッフなどさまざまな職種の人たちが支え、流通させているのがTwiningsを始めとするTea Brand です。
お茶は産地や時期によって味や香りが大きく異なってきます。また発酵の程度等によってもまったく違う味と香りになってしまいます。こうしたTea Brand があるからこそ私たちは美味しい紅茶を頂くことができるわけです。さらに大切なのは「伝統」です。長く蓄えられた「レシピという形の伝統」や「代々伝わる職人たちによる経験の蓄積という伝統」など、大切な伝統をあげていったらきりがないでしょう。さらにTea Brand が潰れることなく長く存続することがそれらの伝統を守ることになるわけです。
「強くあれ。そして、頑なであれ」
というTwining家の家訓はそうした意味でも非常に私たちが学ぶべきことがあり、そして同時にTwiningsの紅茶を通して私たちに恩恵を与えてくれているといえます。現在の10代目当主Stephen Twining(スティーブン トワイニング)氏まで続いており、これからも続いていくであろうということは私たちのように紅茶を愛するものにとっては決して大げさでなく福音なのです。
一杯の紅茶には、こうした伝統とそれに関わってきた、そして今も関わっている人たちの手によって私たちのティーカップへと運ばれるのです。こうしたことに思いを馳せることも大切かつ、楽しい紅茶の味わい方なのではないかとくまは思っています。
ただし、Twiningsに限って言えば
同じ名前の紅茶を「イギリス国内用」 「ヨーロッパ用」 「日本用」と中身の茶葉の質などを変えて販売する伝統(一応「その土地、その土地に合わせたブレンドなどにしている」と公式には言っていますが、あきらかにものが違います)は頂けませんが、これも「強く、頑な」なのでしょうか?
3.家にあるTwinings
以前は「家にある紅茶といえばTwinings」というほどTwiningsが溢れていたのですが、今は他のティーブランドのものを試すことが増えたので、相対的にTwinings率は下がってきています。でもやはり安心感が一番あるのはTwiningsの紅茶です。
Quality Darjeeling
インド北東部のダージリンは、簡単に行ける場所ではありません。谷間や山々を抜けて慎重に進まなければなりません。しかし、この地域特産のお茶のために困難を乗り越えてダージリンに行く価値は十分にあります。ヒマラヤ山麓ダージリン地方で育まれる、世界三大銘茶のひとつであるDarjeelingは洗練された豊かな香りと繊細な渋みは「Muscatel Flavor(マスカルテルフレーバー)」と称される特有の風味が特徴です。
Quality Darjeelingは今は廃盤になっていますが、その後継としてDarjeeling Loose Tea Caddy (International Blend)があります。缶のデザインも同じなのでおそらく名称が代わっただけなのではないかと思います。(もし違いをご存じの方がいらっしゃったらぜひお教えください)
非常にくせがなく飲みやすいのと、安定した美味しさから、くまは「迷った時はDarjeeling」と自然となっています。もちろんホットのストレートが好きですが、たまにレモンのスライスを浮かべることもあります。

Quality Earl Grey
爽やかなベルガモット(柑橘類の果実)風味と上質なブラックティーの見事なブレンドです。この絶妙なブレンドが19世紀のグレイ伯爵が初めて味わった瞬間から魅了されたのも不思議ではありません。上の写真が一般的に売られているEarl Greyで下の写真がQualityシリーズの Earl Greyです。味の差は特に感じませんでした。おそらく名前を変えただけだと思います。
くまも大好きなフレーバーティーです。TwiningsのEarl Greyが一応現在ではEarl Greyのオリジナルだという事になっているのは Twiningsの歴史で書いた通りなのですが、Earl Grey好きとしては他のティーブランドと比べて若干香りが抑え気味になっている気がします。これがオリジナルなのかもしれませんが、もう少し香りを強調したEarl Greyもアイスティーなどにする時はありだと思います。そういう意味ではこの紅茶はホットのストレートで楽しみ、アイスティーにするならリプトンなどの出している香りが強めのEarl Greyにするというのもありだと思います。


Gunpowder Green Tea
Gunpowder Green Tea(ガンパウダー グリーン ティー)は、香りの強い葉を小さな粒状に丸めた緑茶です。このお茶はイギリスなどでは香りがよく、濃厚でコクがあり、なめらかな味わいと評されています。Gunpowder Green Teaは、スモーキーさと甘さのユニークなバランスを実現しているということです。ちなみにGunpowderとは中国緑茶のことを指す言葉です。
いくつかのイギリスのお茶を販売しているサイトの紹介文などをまとめると以上のような感じですが、正直にいえば「美味しくなかった」です。グリーンティーはやはり日本で国産品をかった方が間違いありません。圧倒的に美味しいですし、値段も安いです。なお、これはAmazonなど通販以外では日本には入ってきていません。興味本位で注文してみましたが後悔しました。

Lady Grey
Twinings のマスターブレンダーによって生み出されて登録商標になっているTwinings Lady Grey は、瞬く間に定番商品となりました。香り高いブラックティーに矢車菊とオレンジ、レモン、ベルガモットの風味を加え、軽くて新鮮な柑橘系の味を生み出しています。
くまの好きなEarl Greyベースのブレンドです。くまはホットのストレートで飲むことが多いですが、もちろんアイスティーにしても美味しいです。ミルクやレモンをくわえても美味しいという人もいますが、何かを加えてしまうと香りが抑えられてしまうのでもったいないと思います。

Vintage Darjeeling
幾多の条件をクリアして選ばれたダージリンの逸品。ヒマラヤ山麓・ダージリン地方の高地で育まれる特別な紅茶です。ダージリンの中でも収穫時期や茶園に拘り、手摘み茶葉のみを使用した茶葉は、繊細でありながら芳醇なマスカテルフレーバーと上品な渋みを生み出します。
くまはホットのストレートで頂くのが一番美味しいと思っていますが、レモンティー、ミルクティーにしても良いと思います。ただし、ミルクティーにする場合は「ミルクを後から加える」という方法で作る方が香りと風味が良いような気がします。「ミルクを先に入れるか?後から入れるか?」という問題についてはいずれ別に扱う予定ですが、この茶葉に関しては「後から」が味と風味と香り的に正解だと思っています。


Prince of Wales
1921年に皇太子・エドワード8世のために作られたパーソナルブレンド。Twiningsが、皇太子よりその名をブレンド名につける栄誉を賜ったという由緒正しいブレンドです。中国のKeemun(キーマン)を使用した穏やかな渋みと優雅な香りが特徴です。
非常に優雅な香りで、香りを楽しむだけでも気持ちが落ち着いてくる感じがしています。くまは1日の最後に楽しむイブニング ティーに最適ではないかと思っています。もちろんアフタヌーンティーなど他の時間のお茶でも良いと思いますが、いつ飲むにしても「落ちついた時間に飲むべき紅茶」だと思います。慌ただしい時には似合わないと感じています。

Irish Breakfast
Assam(アッサム)のブレンド紅茶の一つです。アイルランドで人気のある紅茶です。Irish Breakfast(アイリッシュ・ブレックファスト)は、とても濃く出るのでミルクと共に出されることがほとんどです。また黒砂糖や蜂蜜を入れて飲むこともできます。
この紅茶はロイヤルミルクティーやチャイにも向いていると思います。くまが作るロイヤルミルクティーはアッサムかこのブレンドということが多いです。また、このブレンドにはシナモンがわりとあうのではないかと思っています。その辺を試しながら自分好みのミルクティーを作るのに適した紅茶だと思います。

English Breakfast
伝統的なブラックティーのブレンドで、満足感のある豊かな味わいを生み出します。世界中の朝食のテーブルに並ぶ Twinings English Breakfast は、その芳醇で豊かな味わいで知られています。そもそもアッサム茶、セイロン茶、ケニア茶のブレンドとして誕生したこのブレンドは、風味や香りが強くこくのある紅茶なのでミルクと砂糖があうようにブレンドされています。
くまはこの紅茶はストレートに砂糖を加えて頂くことが多いです。このブレンドはたっぷりミルクを加えた方が飲みやすいし、そもそもそのように設計されてブレンドされていますからミルクティー用の紅茶だと思います。Irish Breakfast同様にアッサムが強いのでロイヤルミルクティーを作ったりするのにも向いていると思います。くまの個人的な好みでいえばミルクだけよりも、クリームを少し足す方が美味しいと思います。

Fine Assam
Assam(アッサム)のストレートティーです。ロイヤルミルクティーを始めとするミルクティーによくあう紅茶です。茶の木が自生している場所は、世界で 2 か所しかありません。そのうちの 1 つがインド北東部のアッサムです(ちなみに、もう 1 つは中国です)。Twiningsでは1838 年以来、ブラマプトラ川の氾濫原にある茶園からお茶を仕入れています。どの葉が一番風味が良いかなど、200 年近く研究されているそうです。
Assamは普通ミルクティーにして飲むことが多いのですが、このTwiningsのFine Assamはストレートティーで飲んでも美味しいです。ただ、残念な事に今はティーバッグでしか販売されていません。写真の缶は中身はもう空で、かつてこうしたleafteaがあって、美味しかったということをお伝えしたくて例外的に空き缶のものを最後に取り上げました。

Ceylon Orange Pekoe
豊かな香りのセイロン茶をブレンドし、色、味、香りのバランスがとれた紅茶。葉のグレードは「Orange Pekoe (オレンジ ペコー)」で、これは、端の芽が葉に開いた直後に収穫された長く尖った葉が含まれていることを意味します。
ストレートティー、レモンティー、ミルクティーなど、どの楽しみ方でもできる紅茶です。

Quality Uva Ceylon
ウバを代表するために、7月から9月までの最高品質の季節のものが選ばれています。この紅茶は、この時期(Quality Season)にのみ感じられる、わずかに(そして非常に高く評価されている)メントールの香りが特徴的で、刺激的で強い風味を示します。銅色の液体は非常に滑らかで、非常に香りが強いです。
これはストレートで頂くべき紅茶です。もっともイギリス人はこれにミルクを入れる場合が多いようです。でもその場合はイギリス人と同じように低温殺菌のミルクを入れるべきです。そうでないとせっかくの香りを牛乳臭さで台無しにしてしまいます。
