共にあったはずのふたつのお茶~日本茶と紅茶の戦後史~

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📝 はじめに

戦後の日本において、日本茶と紅茶は一見対照的な道を歩んできました。日本茶は「伝統と日常」、紅茶は「洋風と贅沢」の象徴とされ、それぞれの飲用文化には時代ごとの価値観と生活様式の変化が色濃く反映されてきました。今回は、このふたつのお茶がどのように並走し、ときにすれ違いながら、戦後日本の中で位置づけられてきたかをたどってみようと思います。


🇯🇵 1. 日本茶=日常、紅茶=非日常

かつて、病院、家庭の団らんでは「お茶」と言えば多くの場合は緑茶でした。あるいはほうじ茶という思い出の人もいるでしょう。これは今にも通じるものでもあります。

一方、1980年代半ばくらいまでは紅茶は贈答品や外食産業、洋菓子との組み合わせに特化した「ちょっと特別な飲み物」として扱われ、同じ” 茶” でありながら違う階層に置かれてきました。紅茶が当たり前に一般普及したころになると、今度はアフタヌーンティーなどが文化輸入され、やはり「特別な地位」を与えられていました。


📈 2. 経済と共に変化する茶の立場

戦後の復興期には、手軽に手に入る日本茶が日常生活の支えとなりましたが、紅茶は高度成長期から贈答・洋風文化の象徴として普及していきます。1980年代以降のバブル期にはティーバッグ、アフタヌーンティー、フレーバーティーの登場が紅茶を身近にし、両者の棲み分けは曖昧になり始めました。


💠 3. 時代精神の交代とイメージの変化

日本茶は伝統と安定の象徴であり、紅茶は変化とモダンさの象徴でした。戦後の日本人は、時にこの両者の間で精神的なバランスを取りながら生きてきたとも言えます。しかし近年では、紅茶が「安価なティーバッグ」の日常飲料となり、日本茶が「高級で特別なもの」へと逆転しつつあります。


🧠 4. 対立ではなく共存へ

日本茶と紅茶は「伝統vs西洋」「日常vs贅沢」といった単純な対立ではなく、社会の変化とともにその象徴性を入れ替えながら共に存在してきたのです。対立軸としての構造はあったものの、最終的には「共存するふたつの文化」として、日本の飲用文化を豊かにしてきました。


🧸 くまのひとこと

くまは紅茶を日常的に飲んでいますが、時々無性に日本茶が飲みたくなることもあります。また、気分が良い時にはお茶を点てたりもします。だから、どちらか一方を特別に持ち上げるのではなく、ふたつのお茶が「共にある生活」が日本人ならではの贅沢だと思っています。

でも、もしも、イギリスの作法が文化輸入としはなくされていたら、日本の茶道とバッティングする歴史もあったかもしれません。そんな「もしも」をつい考えてしまうこともあります。