なぜ「国産紅茶」には基準がないのか?(2)

Contents

4. 戦後から続く制度的「無視」の構造

🏛️ なぜ「紅茶だけ」が取り残されたのか

戦後の日本で紅茶は、「贅沢品」「外来文化」「特殊な嗜好品」といった印象のもと、 長らく制度的関心の枠外に置かれてきました。実際、JAS制度が整備されていく過程においても、紅茶はほぼ議題に上がることがなく、農林水産省の公式文書でも、

「紅茶は品質が主観的であるため規格対象外とした」

という定型的な一文だけで処理されてきました。
しかしこのような理由づけは、次章でも触れるように、海外では通用しないどころか、日本の制度的遅れを際立たせる要因となっています。


🧩 JAS規格が紅茶に適用されない「定型理由」の再検討

以下は、よくある「JAS対象外」の理由とその再検討です。

  1. 品質が主観的 → 本当にそうか?
    → 味や香りの評価は確かに主観が絡みますが、ワインや日本茶にも等級制度はあります。
     紅茶だけが「例外」である根拠は極めて乏しい
  2. 等級の国際基準が主導 → ならば逆に乗るべきでは?
    → 欧州やインドには確立された等級分類が存在し、これをベースにすることで国際互換性の高い制度が可能です。
     JASがそれを取り入れない理由は説明不能です。
  3. 国内生産量が限られる → JASは「量」のためにあるのか?
    → JASの本質は品質保証の制度であり、生産量の大小ではありません。むしろ規模の小さな農家こそ制度に支えられるべきです。
     「量が少ないから後回し」という判断こそが不作為です。

⚙️ 立法と行政、責任のたらい回し

紅茶が制度の網から漏れ続けてきた背景には、立法と行政の曖昧な関係があります。

  • 行政(農林水産省)
    → 「立法化されていないから手を出せない」と説明
  • 立法(国会・族議員)
    → 「農水省から提案がないから進めようがない」

このように、どちらも相手の動きを待っているだけで、実際には何十年も放置されてきたのです。
特に紅茶は緑茶と比べて政治的ロビーが弱く、「誰も動かない」分野として扱われ続けてきました。


🧱 利権・予算・声の届かない農家

農水省や地方自治体が動く際には、

  • 利害関係者との調整
  • 予算の確保
  • 支持母体の強さ

といった要素がどうしても絡みます。その中で、声を上げにくい小規模茶農家の「クラフト紅茶」の声は、制度形成のテーブルに乗りづらい構造があります。紅茶をめぐる制度は、意図して無視されたのではなく、「関心を持たれなかった」ことによる「構造的な空白」だったとも言えるのです。


5.国際比較から見えるギャップ

🌍 世界の「茶と制度」のスタンダードはここまで来ている

紅茶は、インド・スリランカ・中国などの生産国だけでなく、欧米諸国でも輸入・流通・品質管理の対象として制度化されています。
特に「有機紅茶」や「フェアトレード」などのラベル制度は、各国で国家レベルまたは国際枠組みとして運用されており、日本とは大きな差があります。


🇪🇺 EUの場合 規格は「保護」でもあり「商機」でもある

EU(欧州連合)では、EUオーガニック制度(EU Regulation 2018/848)のもと、紅茶も明確に「有機農産物」として定義されています。

さらに「PDO/PGI(原産地呼称制度)」の枠組みにおいて、地理的に特定された紅茶(例:ダージリン)が公式認証を受けることも可能です。

  • 紅茶が制度に明記されている
  • 品質管理やトレーサビリティが義務化
  • 輸出入にも互換性のあるルール

このように、制度は単なる縛りではなく、「EU域外への輸出のブランド戦略」でもあるのです。


🇺🇸 米国の場合 USDA Organic と紅茶の関係

アメリカでは、USDA Organic(米国農務省有機認証)の中に、明確に紅茶が含まれています。 例えば、有機紅茶に対しては、

  • 有機肥料・農薬の制限
  • 加工工程での化学物質管理
  • 成分表示やラベル使用の厳格な規定

などが求められ、違反すると「Organic」の表記ができなくなります。制度があるからこそ、消費者も安心し、生産者も価格に見合った評価が得られる仕組みが成立しています。


🗾 対して日本は? 「定義も何もない」のが現状

日本では、「有機紅茶」の定義はJAS制度上に存在していません。有機農産物JASの中に紅茶の分類が明記されておらず、運用も地域ごとの裁量に委ねられています。

例えば、「有機農産物検査認証制度ハンドブック」(改訂第5版)でも紅茶の項目は存在せず、事実上「紅茶は想定されていない」状態です。
その結果、

  • 地域や認証機関によって判断が異なる
  • 消費者にとって基準が不明確
  • 輸出の際に国際認証との整合性を欠く

という状態に置かれてしまっています。


🧭 比較して見える本質的なズレ

項目日本EU/米国
紅茶の定義明文化されていない明確な法的定義がある
有機制度の対応実質未定義紅茶を明示し制度運用
等級制度なし国際規格や地理的認証と連携
輸出支援個別の事業・助成に依存制度がそのまま輸出ラベルとして機能
消費者説明性担保が難しい認証に基づく共通見解がある
世界と比べた日本の致命的な遅れ

まず、日本の紅茶制度についてです。

日本では、紅茶の品質や基準を定める制度が実質的に存在しません。JAS制度には「紅茶」のための規格がなく、有機JAS認証の対象にも明示的に含まれていないため、国産紅茶は「表示基準がない」状態に置かれています。そのため、生産者や販売者の「自主的な判断」に頼ることになり、消費者にとっては品質や安全性の判断が難しくなります。

次に、EU(ヨーロッパ連合)の制度についてです。
EUでは「ハーブ・スパイス・茶類」などを含めた食品に対して、統一された表示規則とオーガニック認証制度が整備されています。たとえば、有機農産物であることを示すEUオーガニックロゴ(葉っぱのマーク)は、紅茶にも適用可能で、生産~流通~表示までを通した監査体制が確立されています。これにより、消費者も「基準に基づく紅茶」として選ぶことができます。

最後に、アメリカの制度です。
アメリカでは、USDA(米国農務省)によるNational Organic Program(NOP)が存在し、紅茶やハーブティーも有機認証の対象として明記されています。さらに、成分分析や残留農薬の検査が制度に組み込まれており、農産物としての一貫管理が可能です。消費者は「USDA Organic」マークを基準に商品を選ぶことができ、生産者側も「制度の中で紅茶を取り扱える」仕組みが整っています。

🎯 まとめると……

  • 日本は「制度の空白」があり、表示や認証に一貫性がなく、消費者・生産者ともに判断基準を持ちにくい状況です。
  • EUは「食品としての茶」を制度に組み込み、統一ルールのもとで表示・認証がなされています。
  • アメリカは「農産物・食品としての紅茶」に制度的な枠組みを提供し、有機紅茶も正式に認定されています。

このように比較すると、日本の遅れは明らかであり、「制度によって紅茶が“制度外”に置かれている」という構造的な問題が見えてきます。


⚠️ なぜこのズレが問題なのか?

  • 日本国内の「有機紅茶」は、明文化されていない定義の上で「なんとなく」流通している。
  • 一方で、EUや米国の紅茶は、明確な制度的裏付けがあるため輸出競争力・消費者信頼性ともに高い。
  • 結果として、日本の「クラフト紅茶」は品質が良くても「制度で損をしている」現実がある
    世界標準では「制度設計も品質の一部」と見なされる時代に、日本だけが制度空白にとどまっているのです。

6. 制度設計の見直しを求めて

🍵 小さな紅茶農家こそ「基準」が必要な時代

「国産紅茶」は、かつての輸入再開・自由化の歴史を経て、ようやく芽吹いた「国内生産」の可能性です。その多くは、家族経営の小規模な農家や若い世代の挑戦によって支えられています。しかし、JAS制度をはじめとする制度設計は、いまだにこの現実を正面から見ていないように見えます。

そもそも「制度がない」ことは、

  • 生産者にとっては参入障壁
  • 消費者にとっては信頼形成の壁
  • 行政にとっては無責任の温床

となりかねません。「ないままでよい制度」など、農業にも、暮らしにも、存在しないはずです。


🏛️ 制度は「統制」ではなく、「信頼の橋」として使われるべき

制度とは、誰かを縛るためのものではなく、「信頼を共有するための枠組み」であるべきです。
現在のJAS制度が「紅茶は主観的」「生産量が少ない」などの理由で外されてきたことは、むしろ「小さな農家」への制度的想像力の欠如を示しているとも言えるでしょう。現場の努力に甘えて制度を組み立てないのではなく、現場の努力が生きるような制度を、私たちは求めるべきなのです。


🧩 誰がこの制度を考えるべきか?

  • 農水省だけで完結させない
  • 茶業界団体だけに委ねない
  • 消費者の声とともに作っていく

つまり、「紅茶を日々の飲み物として選ぶ私たち自身」がこの制度の再設計を語り、参加していくべき時期に来ているのです。


名前のある紅茶に、物語と制度を

「無名で、制度もない」

これは、無視される対象になる危険をはらんでいます。一方で、「名前があり、物語があり、制度がある」ものは、選ばれ、残され、未来に語り継がれていきます。 国産紅茶という「物語」を、制度でも裏打ちしていく。その第一歩が、いま必要なのではないでしょうか。