紅茶とISO(1)香料の国際規格

様々な色のバラの花。どれも香料の原料になります。

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はじめに

私たちが日常的に使う「香り」という言葉。それがどんな香水であれ、紅茶であれ、あるいは洗剤や柔軟剤の香りであっても、どこか「感覚的」で「主観的」なものに思えるでしょう。ところが、香りの世界にも国際的な「基準」や「規格」が存在します

その代表例が、ISO 9235という香料に関する国際規格です。この規格では、天然香料とは何か、どのような抽出方法を経て得られたものをそう呼べるのか、という定義が明確にされています。

しかし、ここで一つ大きな問題があります。

日本では、「天然香料」が法律上は存在しない、という事実

です。これは単なる制度上の細かな違いではなく、国際規格と日本の法律の「設計思想の違い」を映し出す重要な点なのです。


ISOとは何か? 国際規格の基本構造

まず、ISOについてごく簡単に整理しておきましょう。

  • 正式名称:International Organization for Standardization(国際標準化機構)
  • 設立:1947年(スイス・ジュネーヴ)
  • 加盟国数:現在160か国以上
  • 目的:製品、サービス、システムの品質、安全性、効率性を保証するための国際的な標準を策定

ISOには何千もの規格があり、大まかに以下のような分野別カテゴリで分類されます。

業界別に見た代表的なISO規格カテゴリ

横棒の長さは「一般的なISO規格の認知度・実用度」を示します。単位は25点満点(5段階×5点換算)。 視覚が不要な場合は、直下の表を参照してください。

一般的なISO規格の認知度・実用度(5段階/25点満点)
カテゴリ規格番号点数(0–25)5段階換算
情報セキュリティISO 27001153 / 5
環境管理ISO 14001255 / 5
香料定義ISO 9235153 / 5
食品安全ISO 22000204 / 5
品質管理ISO 9001255 / 5
  • 品質管理 ISO 9001 最も普及した規格。業界を問わず使われる。
  • 食品安全 ISO 22000 食品・飲料業界でHACCPと組み合わせて使われる。
  • 香料定義 ISO 9235 「天然香料」とは何かを定義する核心的な規格。
  • 環境管理 ISO 14001 サステナビリティや環境保全に関連。
  • 情報セキュリティ ISO 27001 サイバー対策やリスク管理の指針として広まる。

ISO 9235 香料業界における天然物の定義

ISO 9235は、香料の素材における「天然」か「合成」かを分類・定義する国際規格です。定義の例を挙げると、以下のようなものがあります。

ISOの定義(簡略)

天然香料(Natural Aroma):植物や動物から物理的手法で得られた揮発成分(蒸留・圧搾など)。

自然同一香料:自然界と同一構造を持つが、合成で作られた成分。

合成香料:人工的に合成され、自然界に存在しない構造を含む香料

この定義に従えば、ラベンダーの精油やベルガモットの抽出油は「天然香料」に該当します。ただし、そこに「溶媒抽出」や「熱変性処理」が加わると、もはや天然とは言えなくなるケースもあります。

つまり「どこまで加工すると“天然”でなくなるか」という線引きを、ISOは非常に厳密に行っているのです。


日本の制度における違和感

ここで奇妙な点に気づきます。日本の食品表示法や香粧品関連の制度では「天然香料」という分類がないのです。

  • 「香料」という分類はあります。
  • 「天然香料」「合成香料」という法的な定義や表示義務はないのです。

実際、日本では「天然香料です」と謳っていても、それを裏付ける法的根拠は曖昧な場合が多いのです。

この背景には、日本の制度設計が「加工・表示・用途」を中心に据えた合理主義的設計である一方、ISOは「成分の由来・変性の程度・手法」を基準とする哲学的な定義主義に近い思想を持っているという構図があります。

最初にくまがこの定義を知った時「日本ってもしやこの分野の後進国なのでは?」と思いました。その後何年かして、制度の設計思想の違いがこうした違いを作っているのだと分かった時、やっと理解できたという経験があります。


「天然」は誰が決めるのか?

「この香料は天然です」
そう書かれている商品を、私たちは日々の生活でたくさん目にします。
けれど、ふと立ち止まってみると、ひとつの疑問が浮かびます。

いったい、誰が「天然」と定義しているのか?
そして、どういう基準で「天然」なのか?

日本の法律はこれには答えてくれません。そしてこの問いに答えるために存在するのが、ISO 9235という国際規格なのです。

この規格は、食品や香粧品、そして紅茶にも深く関わる「香料」の世界において、「天然」と呼んでよい範囲を明確に線引きしてくれるものです。とても地味なようでいて、実は私たちの生活に驚くほど密着したルールなのです。


ISO 9235は香料の「由来」と「製法」による定義

ISO 9235のタイトルは次のように記されています。

“Aromatic natural raw materials — Vocabulary”
(芳香性天然原料 ― 用語集)

ここで定義されている「天然香料(natural flavor)」は、単に「自然にあるもの」という意味ではありません。
「どんな原料を、どんな方法で取り出したか」という「プロセス込みの定義」なのです。

🔹定義の主なポイント

  • 植物や動物など自然由来の素材から得られ
  • 物理的な方法(蒸留、圧搾、抽出など)で得られ
  • 化学的構造を変えない

この3つが守られているものが「天然香料」だと定めています。つまり「化学合成をしていない」とか「原料が自然のもの」というだけでは不十分なのです。その「取り出し方」まで問われるのがISOのスタンスなのです。


精油とアブソリュート

同じ花からでも「天然」にならないことがある

たとえば「ローズの香り」とひと口に言っても、その取り出し方によって定義は変わってきます。

精油(essential oil)

水蒸気蒸留などの物理的方法で得られる揮発性香料のことです。アロマテラピーなどでなじみ深い人も多いと思います。ラベンダーやベルガモットなどはこの方式で抽出されることが多く、ISO上も「天然」として認められます。

アブソリュート(absolute)

バラやジャスミンのように精油としては取れにくい花から、有機溶媒(ヘキサンなど)を用いて抽出する手法で、この手法で作られたものを呼ぶこともあります。香りは非常に繊細で豊かですが、ISO 9235では、この「溶媒抽出」によって得られた成分は「非天然」とされます。

このようにその香りの成分の取り出し方の違いによって「お名で天然のバラから採ったのに、“非天然”扱いされる」ということが起きるのです。


🧸 くまのひとこと

実をいうとくまは古くなった紅茶にエッセンシャルオイルを少量垂らして香りづけすることがあります(非推奨)。でも、その「精油」が天然かどうかといえば、製法を問わないと判断できないのです。もちろん、作っている工場まで行って自己責任で使っていますけど。


紅茶と香料

天然? 合成?

フレーバーティーと呼ばれるジャンルでは、紅茶にさまざまな香りを加えることが一般的になっています。

  • アールグレイ → ベルガモットの香り
  • フルーツティー → ピーチ、ベリー、マンゴーなど
  • ハーブティーブレンド → ラベンダー、カモミール etc.

こうした香りの多くは、「香料(flavor)」として後から添加されているものです。


香料の種類

天然香料と合成香料のグラデーション

香料と一口に言っても、実は分類にはいくつかのグラデーションがあります。

分類由来と特徴ISO 9235での扱い
天然香料(natural flavor)自然素材から物理的方法で抽出「天然」と定義
天然同等香料(nature identical)自然界に存在する成分を、化学的に合成して再現した香料。ISO 9235では「非天然」「合成」
合成香料(synthetic flavor)自然界に存在しない化学構造の香料ISO 9235では「非天然」「合成」

つまり、自然と似ていて、まったく同じ化学式でも合成されて作られたものは「合成」になるのです。
ISO 9235では「出どころ」ではなく 「製法」によって区分されるのが大きな特徴です。もっと言えば「似ているか」や「同じものか」ではなく 「どう作ったか」 が大切なのです。


「ナチュラルフレーバー」の表示に注意

日本では、商品パッケージに「ナチュラルフレーバー」と書かれていても、それがISOでいう「天然香料」にあたるとは限りません。

たとえば

  • ローズアブソリュート使用 → ISOでは「非天然」
  • ベルガモットの合成成分使用 → 「合成」でも「ナチュラル」と書かれていることがあります

これは、日本の表示制度では「製法」による明確な定義がないことが理由です。つまり日本の法律などでは、「天然香料」の法的定義が存在しないため、ISOのような線引きはまだ普及していないのです。ある意味「言った者勝ち」と言えますし、イメージさえよければよい、というマーケッティング戦略の一環として「ナチュラル」や「天然」という表示が使われているのです。繰り返しになりますが日本では完全な合成香料も純粋な天然香料も法的には「香料」という表示にしなければいけないのです。


🧸 くまのひとこと

「香り」は嗜好だけでなく、安全性にも深く関わっています。
天然かどうか以上に「どんな濃度で、どこに使うか、何に使うか、そもそも安全か?」を問う姿勢こそ大切なのかもしれません。

実は私自身、かつて広告制作や企画の仕事にも関わっていました。
「ナチュラルフレーバー」という言葉が、「安心できそうな響き」として巧妙に設計されていたことを実感としてよく知っています。だって、そう書いた商品と書かなかった商品、同じものでも売り上げが全然違いましたもの。

だからこそ、いまこうして「言葉の裏側まで伝える記事」を書いているのです。


リモネンと猫

「天然の香料なら、体にも環境にもやさしいはず」
そう思っている人は多いかもしれません。

ですが、「天然=無害」とは限らないのです。

柑橘の香りとその裏側

リモネン(limonene)は、オレンジやレモンの皮に多く含まれるテルペン類の一種で、爽やかで明るい香りが特徴です。

  • オレンジ精油の主成分(約90%がリモネン)です。
  • 洗剤や芳香剤、香水にも幅広く使用されています。
  • 食品添加物としても身近な物質です。

まさに「生活に入り込んだ香り」といえる存在です。

でも、リモネンには弱点がある

  1. 揮発性が高く、空気中で酸化しやすい
  2. 酸化生成物がアレルゲンになることがある
  3. 猫にとっては特に危険

代謝経路の違いが引き起こす毒性

人間ではごく低濃度なら問題にならないリモネンも、猫にとっては「肝毒性」のある成分とされています。

理由は単純で、猫は肝臓の特定の酵素群を持たないため、リモネンを分解・排出できずに体内に蓄積→中毒症状を引き起こすことがあるのです。

  • アロマオイルの誤飲や吸入
  • オイル入り加湿器の使用
  • 柑橘系洗剤をなめてしまう etc.

これらが原因で猫がリモネンを摂取してしまい、嘔吐や昏睡、最悪の場合として死亡例も報告されています。


IFRAコード

香料の安全使用を守るもう一つの国際基準

香料が「天然か合成か」を超えて、もうひとつ重要なのが安全使用のための基準です。
それが、IFRA(国際香粧品香料協会)によって発行されているIFRA Codeです。

このコードは、香料ごとに「使ってよい濃度」「使ってよい部位」「用途の制限」などを示したもので、ISOとは別系統の国際規範です。もっと具体的に言えば、ISOと異なり「安全使用のための指針」という側面が強い規格です。ISOとIFRA Codeは相互に補完し合う役割を果たしています。

たとえばリモネンは、IFRAでは「酸化生成物のアレルゲン性に注意」と明記されており、一部の製品では濃度制限が設けられています。


ISO 9235が示すのは「思想としての線引き」

ISO 9235は、単に成分や物質を機械的に分類しているだけではありません。

それは「香りという見えないものに、科学的な輪郭を与える」設計思想なのです。

  • 「天然」とは、素材と製法の両方を問う概念
  • 精油とアブソリュートの線引きが逆説を生む
  • リモネンのような「天然でもリスクあり」な成分もある
  • 安全性や使用用途への意識を喚起
  • 自然志向と自然科学のあいだに橋をかける基準

そしてIFRAとISOは、安全と定義の2本柱となっているのです。