紅茶と宗教(5)仏教と紅茶

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🍵 第1章 喫茶去の精神


「喫茶去(きっさこ)」という禅語があります。この言葉は「お茶でもどうぞ」と訳されることが多いのですが、その言葉に込められた意味はもう少し深いものがあります。禅寺では、たとえ相手が修行僧であれ訪問者であれ、師であれ弟子であれ、分け隔てなくこの言葉が使われます。そこには「地位や関係などはひとまず置いて、まずは一杯のお茶を」という、平等性の精神があるのです。

茶というものは、上下の区別をいったん忘れさせてくれるものです。茶室に入れば、武士も町人も関係なく、にじり口をくぐって同じ空間で向き合うことになるように、一杯の茶には、人と人との間にある「見えない線」をやわらかく消してくれる力があります。

紅茶もまた、人と人の間をなめらかにつなぐ力を持っています。アフタヌーンティーは、形式と礼儀に満ちた社交の場であり、そこには階級や装い、ふるまいといった“線引き”もまた、確かに、しかもかなり明確に存在していました。

それでも、紅茶のなかに「ほっと一息つく」という習慣が広まっていったことは事実でしょう。誰といるかに関係なく、カップに注がれる紅茶がふと場の緊張をゆるめ、小さな沈黙や、共有される笑みを生むこともあったのではないでしょうか。

それは、「喫茶去」のような仏教的平等とは全く異なるものではありますが、紅茶にも確かに、人の距離をほんの少し近づける、静かな「語らいの間」を生む力があるのは事実でしょう。

もっとも、茶の世界も「ただの純粋な平等」で成り立っているわけではありません。茶席では、客が茶扇子を前に置くことで「ここから向こうは亭主の領分」という結界を張る所作があります。それは相手を拒絶するためではなく、自分の在り方を定め、互いの敬意を守るための静かな区切りではありますが。一杯の茶が生むのは、無境界な自由ではなく、「敬意をもった間」なのです。紅茶にも、おそらくそれに似た沈黙のやりとりが、確かにあるといえると思います。


📜 第2章 歴史に現れる茶と仏教

茶が仏教と深く結びついていたのは、何も現代になって始まった話ではありません。中国では禅宗の修行と茶は分かちがたく、坐禅の眠気覚ましとして、また心身を整える手段として、茶は欠かせないものでした。

日本でも、臨済宗の宗祖・栄西が宋から茶を持ち帰ったことが広く知られています。彼の著した『喫茶養生記』には、茶を“万病の薬”とする記述すらあります。

鎌倉時代に入ると、禅宗は武家社会に広まり、茶の文化もまた武士の教養として根づいていきました。とりわけ鎌倉五山の寺々(建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺)では、修行と日常の合間に茶をたしなむ静かな時間がありました。

くま自身、これらの寺を訪ね、住職と共に一服のお茶を頂くことが日常だった経験があります。そこで供されるのは、抹茶や番茶よりも、むしろ煎茶や玉露が圧倒的に多かったです。そして面白いことにどの寺院でも、その傾向は変わりなかったです。その時に実感したのは仏教における茶は、儀式ではなく「間」であり、「呼吸」であり、「無言の対話」だったということです。それは宗派を問わず、仏の教えを体の奥で咀嚼するための時間だったのかもしれません。


🌫️ 第3章 無常と茶

茶は変化します。

湯を注いだ瞬間から、茶葉は開き、色が滲み、香りが立ち、そしてやがて冷めてゆく。そして当たり前ですが、その変化をとどめることはできません。茶を味わうという行為は、つねに「今この瞬間」にしか成立しないものといえるのです。

これは仏教で説かれる「無常」の感覚に、どこか似ています。すべてのものは刻一刻と移ろい、元に戻ることはありません。湯気の立つ茶碗を手にしているとき、そのぬくもりがゆっくりと逃げていくのを感じます。あの一杯は、今の一杯でしかなく、次の一杯はもはや別のものなのです。

私はかつて、密教の滝行のあとに、お茶をいただく場を何度も経験したことがあります。といっても、私が経験してきたのはすべて10月から3月にかけての寒の季節で、身体の芯まで凍てつくような冷水から上がったあとの話に限られます。

水で冷えきった身体に、まずはぬるま湯が出され、次に薄く温かいお茶、そしてようやく熱いお茶が差し出されました。それは単なる段階的な体温調整ではなく、「身体と心の温度を、順を追って取り戻していく儀式」のように感じられました。

茶は、ただ味わうものではないのです。

茶を通して、自分が「変化する存在」であることを思い出すことが大切なのかもしれません。ぬるくなること、香りが飛ぶこと、苦くなってしまうこと、それすらも愛おしく思える瞬間が、茶にはあるのでしょう。


✍️ 第4章 苦楽と茶

茶の味を語るとき、しばしば「渋い」が悪いものとして扱われます。けれどくまは、それを否定的な意味では使いません。渋味は、茶の中にある「人生の奥行き」のようなものだと思っています。

仏教では、人生は「苦」であると説きます。四苦八苦、生老病死、それらは取り除くべきものというより、まず「受けとめるもの」なのだ、という教えです。楽観主義者のくまはどうもこの「人生苦である」という発想はなじめないのですが、それでも、渋味を「味わう」ことは、苦しみを「排除しない」という仏教的態度に、どこか通じているように思いますし、それは否定できません。すべてを甘く仕立て直してしまうのではなく、渋さもまた人生の一部として認めること。茶を通して、そんな心のしなやかさに触れる瞬間があるのは事実でしょう。

とはいえ、仏教と茶の関係は、渋味ばかりではありません。そこにはもうひとつの「優しさの味」があります。それが、甘茶です。

甘茶(あまちゃ)は、ユキノシタ科の植物「アマチャ」の葉を乾燥・発酵させて作る伝統的な飲み物で、砂糖などを入れなくても自然に甘いことが特徴です。

特に日本では、4月8日の灌仏会(かんぶつえ・お釈迦様の誕生日)、いわゆる花まつりで用いられます。この日、寺院では誕生仏の像に甘茶を注ぎ、参拝者にもふるまう習慣があります。

子どもたちが列をなして甘茶を受け取る光景を見ていると、それが単なる伝統行事ではなく、仏教の「慈悲」のかたちそのものに思えてきたこともありました。その甘さは、決して贅沢な甘味ではなく、また砂糖のように主張することのない、どこか控えめで、やさしいものです。渋さの先にある、もうひとつの「味の悟り」のよう、といってもよいのかもしれません。

渋みも、甘味も、どちらか一方では成立しません。人の味覚も、人生も、そのどちらにも開かれていてこそ、深まっていくものなのでしょう。茶もまた、そんな仏教的な広がりを持った飲み物なのかもしれません。


🐷補章 豚の子・蜂の子🐝

日清・日露・大東亜戦争中には多くの歌が作られ、あるものは戦意高揚に使われ、あるものは厳しく禁じられてきました。その禁じられた歌にこのようなものがあります。

昨日生まれた豚の子が蜂に刺されて名誉の戦死
豚の遺骨はいつ帰る
4月8日の朝帰る
豚の母さん悲しかろ悲しかろ

昨日生まれた蜂の子が豚に踏まれて名誉の戦死
蜂の遺骨はいつ帰る
4月8日の朝帰る
蜂の母さん悲しかろ悲しかろ

(作者不詳)

というものです。この歌の最後の「悲しかろ」がけしからん、という理由で禁止されたのです。名誉の戦死なのだから「喜ばなければいけない」と。それでも、子供が死んで悲しくない母親(父親もだけど)がいるわけがありません。だから「せめてお釈迦様と縁のある日に帰ってきてほしい」とうたっているのです。仏教には「縁なきものは救いがたし」という思想があります。この縁はどんな縁でもよいのです。だから灌仏会に遺骨を、とうたっているのです。そのくらい灌仏会は救いの日でもあったのです。

戦時中、悲しみを口にすることすら許されなかった時代に、灌仏会は、唯一「悲しみを抱えていてもいい」とされる日だったのかもしれません。甘茶のやわらかな甘さは、その沈黙の涙までも、静かに受けとめてくれていたのかもしれません。


🔔 第5章 語る茶、沈黙の茶

紅茶は語る飲み物です。

一杯の紅茶は、人と人とをつなぐ道具であり、言葉を交わすための時間を開いてくれます。アフタヌーンティーも、もともと社交の場であり、ティーカップを持ちながらの会話は、紅茶文化の核にあるものです。

それに対して、日本茶は、沈黙を大切にします。

茶席においては、無理に言葉を交わさず、ただ一服の茶とともに時を過ごすことが少なくありません。それはまるで名画を鑑賞するように、言葉を必要としない時間なのです。あるいは、景色を眺めるときのように、「今、同じものを見ている」という「共有された間」が、そこにはあるのです。鎌倉の寺院で住職と並んで景色を眺めながら、無言でお茶を飲んでいた時、どんな雄弁よりも、大切なものを教えてくれたと今も感謝しています。そして、その沈黙をそっと包み込むのが、日本茶のやさしさといえるのでしょう。

一方、紅茶は「語る茶」でありながら、沈黙を否定しません。会話がふと途切れたとき、紅茶はその「間」を、気まずさにせず、自然に埋めてくれるのです。無言の気まずさを消し、やわらかく場をつなぎなおす。紅茶は、沈黙を破らずに、孤独も許さない飲み物なのです。

茶は、人と人とのあいだに流れる「時間」を整える存在だといえます。仏教が説く「今ここ」という感覚。

茶をともにしながら、その時間のうつろいに静かに寄り添うとき、そこにあるのは、語っても、語らなくても許される、やわらかな空気なのです。