Contents- 🕊️ 第1章 キリスト教と紅茶──「祈り」と「断酒運動」のあいだで
- 🧭 1. プロテスタント倫理と「健全な飲料」への志向
- 🍵 2. ティーミーティング ~禁酒運動と紅茶の交差点
- ⛪ 3. 教会の交わりとティータイム
- 👥 4. クエーカー教徒と紅茶の流通
- 🕯️ 5. 紅茶と「祈り」のあいだで
- ☕6.カフェインってどうなの?
- 🌿 くまの一言
🕊️ 第1章 キリスト教と紅茶──「祈り」と「断酒運動」のあいだで
かつて、イングランドの寒く湿った空気の中、日曜の礼拝を終えた信徒たちは、温かな紅茶を囲んで静かに語り合ったといいます。紅茶は、神に祈るように慎ましく、時に力強く、人々の暮らしに入り込んでいったのです。
🧭 1. プロテスタント倫理と「健全な飲料」への志向
宗教改革後のヨーロッパでは、カトリックの祝祭文化から一転、プロテスタントの清貧・勤勉の精神が台頭します。
とりわけイギリスでは、ピューリタン(清教徒)やクエーカーなど、「禁欲的」なキリスト教徒たちが、日々の飲食にも宗教的な意味づけを求めました。
ピューリタンとは、エリザベス1世の宗教改革が不十分だとして、国教会のさらなる改革を訴える形で登場した人たちで、一説にはエリザベス1世に
「あなたたちはピューリタン(清すぎる人々)ね」
と言われたのをそのまま自分たちの自称にしたとも言われています。イギリス人というのはこうした皮肉で言われたものを自分たちのものとして(この場合名前)、取り入れてしまう洒落っ気があります。それだけにブリティッシュジョークは難しいのですけれど。

さて、クエーカー教徒と言ってピンとくる日本人は少ないかもしれません。でもこのおじさんのオートミールは見たことがあるのではないでしょうか?よく輸入食材屋さんに置いてありますし、最近はダイエットに良いということで人気があります。
そして、このおじさんが着ているのはクエーカー教徒の正装です。布教活動などもこの服装で行っていますので、すぐにクエーカー教徒だとわかります。日本にもクエーカー教の学校が1つだけありますが、日本ではなじみが少ない宗派です。
こういう人たちが当時の(今も)のキリスト教に対して「もっと清らかに!」と行動を起こしていたわけです。
この運動の中で、紅茶は「酒に代わる健全な飲料」として受け入れられていきます。当時はビールやジンが衛生的な理由もあり常飲されていましたが、アルコールがもたらす酩酊や暴力性は「道徳的退廃」だと彼らは主張して、かわりのものとして「紅茶」を持ち上げていたのです。
🍵 2. ティーミーティング ~禁酒運動と紅茶の交差点
19世紀、イギリスの各地で起こった禁酒運動(Temperance Movement)は、紅茶と深く関わっています。
🍷禁酒運動とは?
1830年に禁酒運動(temperance movement)が起こりました。当時はビクトリア朝の時代、華やかな時代であると同時に、産業革命による大きな貧富の差が作られた時代でもあります。貧富の差と労働環境の悪化、それに加えて長時間勤務のストレスから、飲酒が社会問題化するほど深刻になります。そして、この飲酒問題を解決しようとしたのが禁酒協会による「tee’total(禁酒運動)」です。
“tee’total”の”tee”とは「絶対」を強調する言葉です。この” tee”が紅茶の”tea”の発音と同じだったので「アルコールの代わりに紅茶を飲もう」というスローガンの下、禁酒運動が始まったのです。
これが広がって身分を問わずに誰でも紅茶を楽しめるようになり、紅茶が広がっていきました。さらに、1839年には16歳以下の子供にビール以外のアルコールを禁じる法律が成立し、パブ自体が衰退します。そしてさらに多くの人が、アルコールの代わりに紅茶を手にとるようになっていきました。
くまの『紅茶用語辞典』から引用しました。
こうした社会的な流れを受けて、教会のホールで開かれる「ティーミーティング」は、酒場に代わっていったのでした。
特に労働者階級の子供たちや若者への教育・教化を目的として「紅茶を飲むこと」は一種の道徳的選択ともされていたのです。
⛪ 3. 教会の交わりとティータイム
礼拝後に教会の一角でふるまわれる紅茶とビスケット。これは今もイギリスの教会文化の一部として残っています。単なる“おもてなし”ではなく、信徒同士の霊的・人間的な絆を深める時間としてティータイムは機能してきました。
プロテスタント系の教会では日本でも「教会でお茶を飲む」というのが実践されているところは少なくありません。日曜の礼拝の後や、水曜日を中心とした週の半ばにお茶会をしているというのは割とあるようです。
もっとも、私がかつてお邪魔した「教会でのお茶会」は平均年齢が高く(一番若い方がもうすぐ70とおっしゃっていました)、みんなでお茶を飲みながら「今度の爺さんの法事がね……」など、およそ教会向きではない話で盛り上がっていました。
👥 4. クエーカー教徒と紅茶の流通
クエーカー(Quaker)教徒は、その倫理観とビジネス実務の誠実さで知られます。彼らの中には紅茶やカカオといった「嗜好品の代替品」を扱った商人も多く、たとえばキャドバリー家(Cadbury)やフライ家(Fry)はチョコレート企業で名を成しました。
質素な生活を標榜している割に、商売で成功している人も多く、正直に言えば「くまにはよくわからない人たち」でもあります。ただ、クエーカーのオートミールは好き嫌いが結構分かれていて(くまは嫌いです)、アメリカ人の中でも子供のころに食べさせられて大人になった今でも毛嫌いしている人も(たぶん)少なくないです。実際に、くまの友人のアメリカ人はクエーカーオートミールの箱のおじさんのことを「文字では書けない呼び方」で読んでいました。
アメリカでも、紅茶は「倫理的な商品」として流通の対象になり、労働者階級に提供する良質な飲料として注目されました。
🕯️ 5. 紅茶と「祈り」のあいだで
紅茶そのものが祈りの対象ではもちろんありません。しかし、「祈るように紅茶を淹れる」という感性、あるいは一杯の紅茶に心を落ち着け、沈黙に身をゆだねる時間は、キリスト教的な沈思黙考(Contemplation)とも通じるものがあるようです。
でもくまは紅茶はもっと楽しく飲むべきだと思います。「倫理的な飲み物」かどうかはわかりませんが「おいしいから飲む」でよいような気がします。
☕6.カフェインってどうなの?
宗教改革の時代ってカフェインについてはまったく無頓着なのも面白いと思います。宗教改革の時代、人々は酒や性的退廃には極端なほど敏感だったのに、カフェインの“か”の字にも触れてもいません。
宗教改革の時代、ヨーロッパにはまだ紅茶もコーヒーも十分普及しておらず 「心身を興奮させる飲料」という概念自体が珍しかったので、カフェインがよくわかっていなかった上に「刺激物」と認識されていませんでした。
さらにアルコールとの対比で「清浄な液体」扱いされたのも大きかったです。衛生面から見ても「水よりマシ」な安全な飲み物だったこともあり、
紅茶・コーヒー・カカオはむしろ歓迎されました。だからクエーカー教徒でカカオで成功した人がいたりするのです。
さらにプロテスタント倫理との親和性が高かったのもありました。勤勉・清貧・節制という倫理観にとって「目覚めさせてくれる熱い飲み物」は、ある意味「労働の友」であり、霊的というより実用的な存在とされたのです。
逆にクエーカーやピューリタンの後に発生したエホバの証人やモルモン教などのキリスト教プロテスタントの異端宗派は身体の「清浄さ」や「律し方」を宗教的規範として、カフェインを含む飲料(コーヒー、紅茶、緑茶など)を避けています。
🌿 くまの一言
キリスト教と紅茶は、決して「宗教儀礼で茶を供える」といった表面的な関係ではありませんでした。そこには宗教的理念と「それに都合の良いもの」
としての紅茶があったのです。
しかし笑えるのが(と、言ったら怒られるかもしれませんが)カメリア・シネンシスの葉が、ある時代には「労働の味方」、また別の時代には「悪しき刺激物」と同じキリスト教徒からみなされる。
どちらの立場も、それぞれの信仰の中では一貫していても、宗教と文化の交錯がいかに複雑で、柔軟で、時に滑稽ですらあるとくまには見えてしまいます。