紅茶と宗教(6)ヒンドゥー教と茶文化(1)

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🕌 ヒンドゥー教における飲食の基本観

🔥浄性

ヒンドゥー教はヴェーダ的伝統を背景に、食事に強い宗教的規範を持っています。食物は「身体・魂・宇宙の調和」を左右するものとされています。そこで、多くのヒンドゥー教徒は菜食主義を守ります。特にバラモン(僧侶)階級ではそれが顕著です。また「火を通したもの」や「手で作ったもの」の浄性に対する意識が高いのも特徴的です。浄性というのは簡単に言えば「清められている」ということです。

🍵 茶に対する宗教的視点

茶葉そのものは植物であり、基本的にタブーではありません。ただし「誰がいれたか」「どんな器で出されたか」によって浄性が問題となることがあります。「誰が入れたか」については入れた人の身分や社会的階級によって判断されます。すごく乱暴な説明をしてしまうと、自分より階級の低い人の入れたものは不浄とされる、ということになります。「どんな器で出されたか」についてはもう少し複雑です。ヒンドゥー教における「どんな器で出されたか?」というのは、単なる材質や形状の問題ではなく、宗教的浄性(シュッチャ)と社会的身分(カースト)に深く関わっています。


🛕 ヒンドゥー教における「器」と浄性の関係

1.器の材質と儀礼的浄性

材質浄性備考
金属(特に銀)高浄性儀式や寺院で多用される。熱消毒が可能。
土器(素焼き)1回限りで高浄性使用後は破棄する前提
プラスチック・ガラス低い~中程度近代以降のもの。浄性には疑念を持たれることも。
他者の使用済み器不浄誰が使ったかで絶対的に変わる。
器の材質と儀礼的浄性の関係
  • 器の材質が金属(特に銀)の場合、熱消毒が可能なので浄性が高いと判断されます。なので儀式や寺院でも多用されます。
  • 器の材質が土器(素焼き)の場合、一回限りで壊してしまうので浄性が高いとされています。
  • 器の材質がプラスチック・ガラスの場合、浄性は低い〜中程度と考えられています。近代以降のもので、浄性に疑念を持たれることもあります。
  • 材質を問わず、他者の使用済み器は不浄とされます。そして誰が使ったかでその浄性が絶対的に変わります。

2.器の「使用履歴」が問題になる理由

誰が触ったか、誰が洗ったかがその器の「霊的清浄度」を決めると考えられています。ですから低カーストの者や異教徒が触れた器は、内容物が何であっても「不浄」とされます。そのため、寺院外での飲食では「使い捨て土器」や「紙コップ」が重宝されることも少なくありません。(とくに敬虔派)

3.「飲み回し」や「シェア文化」が敬遠される背景

日本や西洋ではカップや茶器の共有に文化的美徳がある一方、ヒンドゥー文化では「口が触れた器を他人が使う=穢れの共有」とされます。特にバラモン階級では、「専用の食器・専用の調理器具」が必要とされる場合もあります。

☕ 茶との関連で起こること

チャイを 素焼きカップ(クルハド) に入れて出す理由のひとつは、「誰が触れても構わない、使い捨てで清らかな器」であることがあげられます。

信仰の深い人は、チャイを出されても「器が不明」であれば断ることもあります。一方、都市部ではこの意識は弱まりつつあって、プラスチックカップでの提供も広まりつつありますが、依然として「不安視」されることがあるのも事実です。

路上のチャイ屋のチャイは「カーストを超えた飲み物」としての側面もあるのですが、敬虔な信徒が不浄と見なすこともあります。


🛕 ヒンドゥー寺院における飲食の規定

多くの寺院では「外部の食物の持ち込み」は禁じられていて、特定の祭儀者や調理担当者によって儀礼的に調理された供物(プラサード)のみが信徒に配布されます。プラサードとは「神に捧げた後で信徒に分け与えられる聖なる食べ物」のことで、神と「食物の交換」を行うことで浄性が生まれるとされています。

寺院での茶の提供は原則行われませんが、寺院外で供されるチャイでも、浄性の基準を満たさなければ避けられる傾向があります。特にバラモン階級では、低カーストや異宗教者の手に触れた飲食物を「不浄」とみなす伝統が根強いです。寺院関係者は、自らの階級や儀礼純粋性を維持するため、一般の飲食行為に関しても厳格な管理意識を持っているのが普通です。


🛕 「どこで飲むか」が意味すること

ヒンドゥー教では茶を「どこで飲むか」も重要です。その判断は、その場所の宗教的・儀礼的な「浄性(シュッチャ)」が保たれているかどうかで決まります。大きく分けると次のようになります。

一般的な評価基準

🛕 寺院の内部は原則不可です。儀礼的純粋性が最重要で神域は「供物」以外の飲食を認めません。

🏠 自宅(信徒宅)は条件付きでよいとされています。確かに家で食事がとれなかったら大変ですよね。それでも家の浄性が保たれていることが条件になっています。また使用人の階級が問題になることもあります。

🍽 宴席(結婚式・供養など)は特定の食事のみという条件はありますがよしとされています。儀礼料理(サットヴィック)がふるまわれる場合は問題ありません。ただし作り手が重要なのは言うまでもありません。

🏙 路上のチャイ屋は信仰により分かれます。カーストを越える庶民的場なのですが、敬虔派は「誰がいれたか」を問題視して避ける傾向があります。

🛤 駅・バス停など公共空間 は不特定多数の「気」が交差する場であり、霊的に不浄と見なす者もそれなりにいます。なのでどちらかといえば不可です。

🪷 ガンジス河沿いなどの聖地では特に儀礼中は飲食不可とされます。ただし、外縁部ではよいとされていることが多いです。それでも聖地での飲食は制限されることが多く、観光的な施設でのみ許容されやすい傾向があります。