紅茶と宗教(7)ヒンドゥー教と茶文化(2)

Contents

🛕 「どこで飲むか」 神域と家庭

🛕寺院・神域における飲食の制約

場所による飲食の許容度について前回よりさらに深く見ていきます。
🛕 ガルバグリハ(聖室・本尊が祀られている場所)での飲食は完全禁止です。神の「霊的核」に最も近いため、飲食行為は冒涜とされるからです。
🛕 寺院の内部(拝殿含む)も原則禁止です。供物以外の私的な飲食は「浄性を乱す」とされるからです。
🛕 寺院の境内(外殿・庭)では軽食や供物の配布(プラサード)は許可されますが、日常的な飲食は避けられます。
🛕 寺院に隣接する茶店などは社会的に許容されています。チャイ屋は寺院参拝後の休憩所として機能していますが、信仰の深い人は避けることもあります。

🏚️家庭内の神棚(プージャー)の前での飲食

🙏 供物として茶を捧げるのは認められています。ミルクティーやハーブティーが神への供物になる例もあるからです。ただしこれは特定の神に限ります。
🧎 プージャー(礼拝)中に飲むのは禁止です。礼拝中は一切の私的行為を控えるべきとされているからです。
🪑 神棚の前で通常の食事や茶を取ることは避けられる傾向があります。礼拝空間の「気」を乱すとして避ける家庭が多いようです。物理的に距離を置くのが基本と考えられています。
🛋 同室だが視線を避けて飲むのは神の「目」に触れない構造なら許容される場合もあるようです。棚にカーテンをかける等という工夫をすることもあるようです。ただしこれは地方差があります。


🔥 チャイとヒンドゥー文化の交差点

☕チャイの位置づけ

インドにおいてチャイ(煮出し式のミルクティー)は、宗教的・社会的境界を越える「共有の場」となっています。とくに街角のチャイ屋では、カースト・宗派・言語を超えて人々が集う日常風景があります。

一方、寺院内では「特定の人がいれたものしか口にしない」「他宗教者から受け取らない」など厳格なルールも存在しています。

🧭 背景思想

ヒンドゥー教では「その場に宿る霊性」が浄か不浄かを判断なります。なので、寺院は神の身体の一部とされているため、通常の飲食行為は「身体の外からの汚染」と見なされるのです。

一方、チャイ屋のような「人々が交わる場所」は、社会的には融和の象徴であっても、宗教的には「穢れ」が混じるとされるため、敬遠される傾向があるのです。

🌿 なぜ飲食が問題になるのか?

ヒンドゥー教では「神の場=清浄な気が集う霊的空間」と見なされており、飲食行為は「口により外部を取り入れる行為」はすなわち、身体的・俗的・穢れを伴うとされています。

特に「咀嚼・唾液・手」という一連の動作は浄性を壊すとされ、神前では極力避けられるのです。神の場は「あくまで神のための場」であり、人間が茶を楽しむ場所ではないと考えられているのです。

🕯 なぜ断食(ウパヴァース)が多いのか?

このような飲食に対する考え方があるので、食べないことで身体を静め、精神を清め、神に集中する断食はよく行われます。また、断食まではいかなくても飲食を減らすことで「外部世界との交わり」を減らすという考えもあります。また、特定の神に捧げるために、特定の曜日・満月・祭日に制限食や断食を行うということも珍しくありません。

そこで、茶のような「刺激的な味や香り」は「ラジャス(動的・欲望的)」な性質を持つとされ、断食日や儀礼日には避けられることが多いのです。

🍵 茶との関係で生じる葛藤

チャイ文化は「路上」や「市場」など、ヒンドゥー儀礼的に「半不浄」とされる場所に根付いています。なので、紅茶を飲むという行為は、場所によって「日常」か「冒涜」かに分かれるのです。現代都市ではこの意識がかなり薄れているようですが、地方や伝統的家庭では今なお根強いようです。

☕ 茶を捧げる例外的ケース

クリシュナ神やハヌマーン神などの一部の神はミルクや砂糖を含む飲料を好むとされていて、甘いチャイなどを供える例があります。ただし「捧げる」のと「そこで飲む」のはまったく別次元の話で「自分のために飲む行為」は原則的に神域で避けられます。


🪷 ジャイナ教との比較

🥛飲食と茶に対する姿勢

ジャイナ教はヒンドゥー教と同じくインドの土着宗教ですが、非暴力(アヒンサー)の徹底度がヒンドゥー教と比べて極めて高いのが特徴です。飲食においても「生命を一切傷つけない」原則から、地中に育つ根菜(ジャガイモ・ニンジンなど)は避けますし、発酵・菌類・微生物を含むもの(ヨーグルト、酒、キノコなど)も避けます。夜の食事や保存された食事も忌避されることが多いようです。

🍵 ジャイナ教と茶

茶葉自体は植物であるため理論上許容されるのですが、

  • 摘採時に虫を殺す可能性
  • 製造・抽出・保存の過程で微生物が繁殖する可能性
  • 熱や香料、牛乳との組み合わせによる刺激性(ラジャス性)

が問題視され、厳格派の信徒では飲まない人が多いです。

また、禁欲の考えも強くあるので、甘味やミルクを加えたチャイは「嗜好品」として避ける傾向が強く、茶は浄性飲料とは見なされにくいのです。


🫖ヒンドゥー教とジャイナ教の比較

🍃茶そのものに対して

ヒンドゥー教では条件付きではありますが許容されやすいですが、ジャイナ教の厳格派では回避する傾向が強いです。

🍯香料・甘味

ヒンドゥー教ではまったく問題にならないどころか、多く使う人が圧倒的です。それに対してジャイナ教ではラジャス性として避ける傾向が見られます。

🤲他人の手による調理

ヒンドゥー教では浄性にきわめて敏感で、階級が重視されます。ジャイナ教では浄性に加えて生命倫理に基づく考え方から忌避される傾向が強くあります。

☕チャイ文化との親和性

ヒンドゥー教は親和性が高いですが宗教者になると低くなります。ジャイナ教では親和性は低いです。


🧸まとめ

ここまでで見てきたようにヒンドゥー教において「茶葉そのものは禁忌ではない」のですが、誰がどういれたか、どこで飲むかが決定的に重要です。

インドにおいてチャイは庶民文化として栄えましたが、こうした事情で宗教的には複雑な立場を持っているのです。ジャイナ教は非暴力と禁欲を極めた結果、茶に対しても慎重になった、ということです。

どちらも宗教的には「飲めるか」ではなくて「どのような思想で飲まれているか」が本質に関わっているといえるでしょう。