Contents🧸くま回りました🌀
🍃誰にも内緒
あるとき私は、信頼していた知人に「他の人には内緒で」とだけ言われて、とある場所に連れていかれました。そこは外観は古びていたけれど、中に入ると驚くほど丁寧に掃除されていて、静かで、澄んだ空気が満ちていました。誰にも見せないからこそ、余計に大切にされているような、そんな空間でした。
「特別な体験ができる」とだけ聞かされていたけれど、まさかあれがセマー(旋回舞踊)だとは、その時は知りませんでした。
そこにいたのはほんの数人。私ともう一人以外は、みな準備ができているような静けさを身にまとっていました。見物人もいなければ、案内もない。「そこに居合わせる」こと、それだけが求められていたような感じでした。
そして事前に言われたことがありました。
「知り合いがいても、声をかけるな」と。
あの場にいるときは、誰もが個として神と向き合っているからなのでしょう。その集中を妨げないように、ただ静かに在ることが求められていたのだと思います。もっとも、あとになって思えば、集中を保つためだけではなく
「誰がその場にいたかは、外には出さない」という了解が、あの場を静かに支えていたのだと思います。
🍰おいしいものはどこに行った?
そしてもう一つ。「空腹で来い」ともいわれました。お気楽なくまは「何かおいしいものでも用意してくれているのかな?」と期待していました。しかし、その理由は、あとで「死ぬほど」よくわかりました。あれ、慣れている人ならともかく(?)何かを口にしていたら、おそらく私は途中で耐えきれなかったと思います。
🌀くま回り回ってへたりました
最初はゆるやかに旋回しているように見えた舞も、気づけば空間のリズムのようなものに飲み込まれ、自分の体が、自分とは違うリズムで勝手に回されているような感覚になっていきました。
香りもありました。甘いような、熱のこもったような、でもただの香ではない、場をつくる香りだったと思います。
あの没入感は、他ではなかなか味わえないです。
後になって試しに回ってみましたけど、ただの旋回ではあそこまでの感覚にはならなかったです。やはり、あの空間と、音と、香りと、静けさ。そして「これは神に向かうための行」として行われている、という意志の力が、あの体験の中心にあったのだと思います。
と、今だからこんな格好よく語っていますが、ともかくグルグル回って、何か知らないけど勝手に回転が速くなっていって、気が付いたら床に倒れていました。起き上がろうとしたら猛烈な吐き気が襲ってきて、動けません。しばらく動けずにそのままへたっていたら、だんだん回復してきて、回っている人たちの輪から外れたところにいた友人が、手招きをしていました。

🌀セマーに参加して
スーフィーにとっての旋回は、「神との合一」を目指す一種の祈りであり、トランスに近い状態に身を委ねることで「我を空にする」ための儀式でもあります。
だからこそ、今にして思えば「空腹で来い」という言葉は象徴的でした。これは身体の準備であると同時に「空っぽでなければ、神の声は届かない」という思想そのものなのです。当然当時のくまはそんなこと知りませんでしたけど。
また、そこに香りが加わるのも必然です。香りは、最もプリミティブでダイレクトな感覚刺激です。そして、記憶と結びつきやすく、意識の深層に働きかけます。香りと旋回によって「自己が薄れていく」感覚、その先に、神と一体になるというスーフィーの目的があるのです。でもくまにはハードすぎました。
☕現実への帰還
それで、何とかそこまでたどり着いたけれど、自分の体がどこにあるのかも少し曖昧な感じでした。すると、目の前に差し出されたのは、取っ手のない小さなガラスのグラス。
「熱いから気をつけて」
と、ただそれだけ言われて、私はふちをそっと指でつまみ、口に運びました。それは、ミルクもスパイスもレモンも加えられていない、ストレートの紅茶でした。けれど、砂糖がたっぷりと入っていて、ふだん何も入れない私には、少し甘すぎました。
でも、なんだか不思議でした。その熱さと甘さが「ようやく我に返った」って思わせてくれたのです。しかも、ガラスの器って熱さをそのまま伝えます。あの手のひらに感じる熱さが、現実の感覚を確かに蘇らせてくれたのです。
📌補足
🕋スーフィーとは? スーフィズムとは?
スーフィー(Sufi)は、イスラームにおける神秘主義者のことを指します。スーフィズム(Sufism)は、「神との一体化」や「神の愛に浸る」ことを目的とするイスラームの霊的伝統です。厳密に言えば、スーフィーはイスラーム信徒でありながら、より内的で個人的な体験を重視する傾向が強いのが特徴です。
イスラーム世界では一部から異端視されることもありましたが、多くの地域で尊敬を集め、独自の修行法や詩、音楽を通じて信仰を深めてきました。その象徴的な実践の一つがくまが体験した「セマー(Sema)」と呼ばれる旋回舞踊です。この舞踊は、ただの舞ではなく、祈りであり、神聖な舞踏とされています。
🕌セマーとメヴレヴィー教団
この儀式は、トルコでよく知られるメヴレヴィー教団(Mevlevi Order)の系譜に連なるもので、詩人ルーミーの教えに基づいた「回ることによる神への接近」というスーフィズムの実践形式です。
「旋回すること(ワル)によって神との合一に至る」という独特の神秘思想を実践してきました。なので彼らの舞は、ただの舞踏ではありません。音楽、詩、動作、衣服の一つひとつに象徴があり、すべてが「神への接近」という一点に向かって整えられています。
2008年にユネスコ無形文化遺産としても認定され、今でも儀式として守り継がれています。
通常は公開イベントや観光客向けに行われる場もありますが、この時のような非公開で静かな場での体験は、非常に珍しく、より内面的で、宗教的な意味が強く感じられるものだったということを後で知りました。
🫖現実への架け橋としての紅茶
🌿儀式の後のお茶
前回でも触れましたが、多くの宗教には「儀式の後に何かを口にすることで現実に戻る」という伝統があります。それは、地域も時代も異なる宗教、ときにまったく交わることのなかった古代宗教同士ですら、驚くほど似た習慣を持っているのです。
おそらく、「飲食する」という生物的な行為が、精神を現実へと引き戻す力を持っていることを、人間は本能的に知っていたのでしょう。
たとえば、イスラームにおいても紅茶は重要な役割を果たしています。
断食(サウム)を終えた直後のイフタールでは、デーツや水と並んで、紅茶がテーブルに並びます。またくまが経験したように、スーフィーの儀式のあとにも、紅茶が静かに差し出されることがあります。
その紅茶は、もうただの嗜好品ではありません。
それは、「祈り」や「神秘体験」と「日常」との間をつなぐ、現世への橋渡しの一杯なのです。
