contents
- はじめに
- 1.トレイの配置美学
- 2.なぜ差が生まれたのか?
- 3.茶器への美意識と日本とイギリス
- 4.日本とイギリスの茶器文化
- 5.ナプキンの扱いも実はポイント
- 6.振る舞いとしてのトレイ
- 7. 「紅茶で見せる階級」とは
- 8.おわりに
はじめに
「Tea Tray(ティートレイ)」は、単なる給仕の道具ではなく、ヴィクトリア朝の家庭における“静かな舞台”でした。上流・中流階級の女性たちは、紅茶の味だけでなく、その出し方やトレイの整え方を通して、教養・品位・美意識などを語っていたのです。今回は、19世紀〜20世紀初頭の家庭マナー書などを手がかりに、紅茶文化におけるティートレイの作法=”Tea Tray Etiquette”を紐解いていこうと思います。
1.トレイの配置美学
Tea Trayの基本構成と格式
「Tea Trayの構成要素」には若干の違いがあり、組み合わせの変化が階級意識や場の格式感を反映している場合があります。組み合わせには大きく分けて、個別配置型と統合配置型があります。


この2つの型を比べると個別配置型はカップ&ソーサー以外は個別になっているのがわかります。対して、統合配置型ではミルクジャグとシュガーボール、スプーンとナプキンがセットになっているのがわかります。また、個別配置型にはナプキンがありません。
共通するのは左右対称と秩序感が美徳とされる点です。違いは親しい客人と格式ある訪問者とで、用いる器やナプキンに変化があるからです。
🔹個別配置型
実は個別配置型が格式が高く、フォーマルな形式なのです。実際、ヴィクトリア朝〜エドワード朝の上流階級で行われていたもので、給仕人やホステスの作法が重視される正式なティーセッティングなのです。
🔹統合配置型
こちらは個別配置型に比べて格式が低く、ややカジュアル(準フォーマル〜ミドルクラス)なものとなります。エドワード朝以降の中産階級家庭に多い配置型で、スペースと実用性のバランスを重視しています。午後の「友人とのお茶」などのイメージがちょうど当てはまると思います。
2.なぜ差が生まれたのか?
🔹 上流階級(ヴィクトリア朝〜エドワード朝前期)
- 器はすべて単独で「格(役割)」を持っているという意識があります。
- 例:シュガーボウルとミルクジャグを別に置く=「それぞれの扱いが丁寧」。
🔹 中流階級以降(エドワード朝後期〜戦間期):
- セットとして売られるティーウェアが普及(WedgewoodやRoyal Doultonのカジュアルシリーズなど)したことがあげられます。
- 実用性と収納性を優先し、2-in-1化(ミルク&シュガーなど)傾向が強まりました。
3.茶器への美意識と日本とイギリス
現代のティーセットでも良いものは「セットのようでいて、セットではない」です。そして、それこそが、本物の美意識が滲むイギリス流の茶器文化だといえるでしょう。
- WorcesterのポットにMintonのカップ
- Royal Crown Derbyのミルクジャグに、ヴィクトリアンの手彫りスプーン
- そして一枚だけ異なるレース入りのリネンナプキン
これらは“取り合わせの妙”とでも言うべき趣向で、「そろいすぎていないこと」にこそ、品位と余裕が宿るという感覚なのです。
実際、ティータイムは“静かな舞台” であり、器たちがそれぞれ役を演じていると考えれば、格を持った個が集まり、それでも調和している、それが格式だといえるでしょう。
ちなみに、上流階級では「全員分が同じカップ」=業務用の印象とされてしまうこともあり、あえてひとつだけ違うデザインのカップをホステスが使うという暗黙のサインすらありました(“私が主人です”という合図)。
4.日本とイギリスの茶器文化
もっとも、これは日本の茶道にも同じものがあります。「そろえすぎない」「あえて外す」「調和の中にある個性」という美意識はイギリスのティーセッティングと、日本の茶道の根底に通じるものがあります
🇬🇧 英国のティー文化における「ずらし」
- 同じブランドのセットでも、あえて違う時代のものを取り合わせたり、
- ナプキンだけを地方仕立ての手縫いリネンにしたり、
- ソーサーとカップの組み合わせを微妙に変えることで、親しみと品格を同時に演出します。
🇯🇵 茶道における「取り合わせ」の美学
- 主茶碗・替茶碗・建水・棗・掛軸・花入れなどのすべてに“格”があり、
それぞれの取り合わせは**「季節・客筋・亭主の心持ち」**によって変化します。 - 同じ意匠で揃えすぎると、「わかりやすさ」が先に立ちすぎて品位が薄れる。
- “ずらす”“はずす”ことで、空間に深みと余韻を生む。
こう見ていくとイギリスと日本の茶器文化の底流に同じものが流れているのを感じることができます。ただし、イギリスにお茶が入ってきたのは1662年にCatherine of Braganza (キャサリン・オブ・ブラガンザ)が持ち込んでからで、さらにAfternoon Teaのような様式美の始まりは1840年代以降のAnna Mariaによるものです。
対して日本の茶道は奈良時代の729年と749年には宮廷や東大寺で行茶の儀が行われたとされていますし、今のような日本独自の様式美が整ったのは1544年の千利休の茶会あたりになります。少なく見積もっても日本の方が300年は早くに完成していたということは日本人として誇らしいものがあると思います。
この「統一美」よりも「調和美」を尊ぶ感覚は、階級社会の形式美と、東洋の “間”の美意識が不思議に交差するところだといえます。つまりお茶とは「整っていないこと」を美しく整える芸術でもあるわけです。
5.ナプキンの扱いも実はポイント
話を戻して、統合配置型にはナプキンがあるのに、格式が高い個別配置型にはナプキンがありません。これにも理由がしっかりあるのです。
- フォーマル:ナプキンはトレイに添えられず、別皿・別配置が正式。
- カジュアル・家庭的:ティースプーンの下やカップの隣に折りたたんで置く。
と、いう決まりがあるのです。ですから、格式の高い個別配置型にはナプキンがないのです。
6.振る舞いとしてのトレイ
ホステスの所作
これは1800年代の家政書(Mrs. Beeton’s Book of Household Management, 1861)に書いてありました。
“The tea-tray must be arranged with grace and symmetry, the pot to the hostess’s right, milk and sugar close by, and the cups set outward to be handed. Napkins are to be folded modestly, not fan-shaped, lest it seem immodest.”
(Mrs. Beeton’s Book of Household Management, 1861)
- お茶を注ぐ前に「誰から先に注ぐか」を熟慮すべし。
- 注ぎ方は控えめでありつつ、堂々とした手つきが望ましい。
- 客にミルクの有無・砂糖の量を訊ねたうえで丁寧にサーブする。
サーヴァントの振る舞い
- メイドが給仕する場合も、ホステスの所作を模して訓練された。
- 銀器の扱い方、音を立てない注ぎ方、ナプキンの渡し方も評価対象だった。
7. 「紅茶で見せる階級」とは
暗黙のスノビズム(Tea & Snobbery)
- 「ティーバッグを使わない」
- 「カップを回さず、ティースプーンは“横に置く”」
- 「ミルクを先に入れるのは育ちの違い」
これらは、すべてトレイの上で語られる“無言の階級表現”でした。
トレイは家庭の鏡
- 清潔さ、器の組み合わせ、美的対称性──
これらが揃って、一杯のお茶に込めた家庭の品格”が演出されました。
8.おわりに
今日では「Tea Tray Etiquette」という言葉は検索してもほとんど出てきません。なぜならそれは、かつて当たり前すぎたために書かれなかった、上流家庭の「生活の文法」だったからです。
現代のティーガイドでは「Afternoon Tea Etiquette」や「Tea Service Manners」などの用語に集約され、ティートレイという「舞台装置」そのものに焦点が当たることは少ないです。なので「Tea Tray Etiquette」という言葉はここ以外で読んだり聞いたりすることはほとんどないでしょう。しかし、美しいトレイの上には、紅茶だけでなく、文化・秩序・個人の矜持が静かに注がれていたことをこの言葉と共に意識するとまた、ひとつ、奥の深い世界が見えてくるのではないでしょうか。