JAS制度と国産紅茶

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概説

JAS制度(Japanese Agricultural Standards)は、日本における農林水産物や加工食品の品質や表示の基準を定める制度です。しかし紅茶に対しては、直接的なJAS規格が存在せず、品質等級や表示の基準も極めて限定的です。これは「茶」というジャンルの中でも、紅茶の扱いが制度上曖昧であることを意味しており、特に国産紅茶の生産者にとって制度的な不整備が深刻な課題となっています。


起源・歴史・背景

JAS制度(Japanese Agricultural Standards)の起源は1950年(昭和25年)の農林物資規格化法にあります。戦後の混乱期において食品の品質確保と流通の円滑化を目的として制定され、その後2004年に現行の「農林物資の規格化等に関する法律」へと改正されました。

当初は米や大豆などの基幹農作物を中心に、品質・形状・等級などを細かく定めることで、流通や価格の安定を図ることが主眼でした。やがて、加工食品や有機農産物にも対象が広がり、現在では「有機JAS」や「特別栽培農産物」などの表示認証制度もJASの一部となっています。

一方、紅茶は当初から制度設計の主流には組み込まれていませんでした。戦後日本では、紅茶は高級嗜好品として輸入される存在であり、国内での大規模生産や需要の拡大も限定的だったため、規格化の対象とされにくかったのです。

また、茶業においては「緑茶」こそが国内需要の中心であり、JAS規格も主に煎茶や番茶を対象とした形で整備されてきました。その結果、紅茶はJAS制度の中では周縁的な存在となり、特に「国産紅茶(和紅茶)」に関する基準や等級の整備は現在に至るまで明確に定められていません。


主な内容構成

JAS制度は大きく分けて以下のような構成で運用されています。


1. 品位・品質に関する規格(一般JAS)

  • 原材料・加工方法・水分量・糖度・粒度など、客観的な数値や基準に基づく等級判定。
  • 主に緑茶(煎茶・番茶など)が対象。
  • 国際的な取引慣行や農産物市場の標準化を意識した設計。

2. 表示に関する規格(表示JAS)

  • 食品ラベル・産地表示・製造者の記載方法など。
  • 消費者の「誤認防止」を主目的とする。
  • 紅茶も対象になり得るが、実際の規格運用の対象外となっているケースが多い。

3. 有機JAS(Organic JAS)

  • 農薬・化学肥料・遺伝子組換え技術の使用有無などに基づく、認証表示制度。
  • 有機農産物としての紅茶は、この制度の周辺に位置するが、紅茶に特化した規格・等級は存在しない
  • 茶葉としての紅茶には、JASマークがあっても内容的には「農産物としての有機基準」のみで判断されている。

このように、JAS制度全体としては枠組みが存在するものの、紅茶、とりわけ国産紅茶に適用される具体的な内容はきわめて限られています


実務的な内容

国産紅茶に対してJAS制度が直接適用されるケースは稀ですが、実務の中では以下のような対応や工夫が行われています。

1. 有機JASマークの取得

  • 有機農法で栽培された茶葉については、有機JASの認証を取得して出荷・販売する生産者もいます。
  • しかし「紅茶」としての規格が存在しないため、農産物一般としての認証に留まります。
  • 認証書には「紅茶」の文字が入らない場合もあり、販売時に説明を要することがあります。

2. 地方自治体や第三者機関による「補完的基準」

  • 一部の地域では、独自のガイドラインや指導要領によって品質確保を行っている例もあります。
  • 例:県独自の茶品評会基準、地域団体商標による品質表示など。

3. 製造・表示の自主基準の設定

  • 生産者や加工者が独自に製造・表示ルールを設定し、品質保証や安全性を担保。
  • 例:等級名の代わりに「春摘み」「萎凋あり」などの表記を用い、製法や時期を透明化する。

4. 行政との調整と認識の差異

  • JAS規格の対象外であることから、行政側の知識や対応に差が出る
  • 実務上は農水省や自治体の「現場判断」による運用がなされており、判断基準が一貫していないことも。

こうした対応の背景には、制度の不備を補う形で現場が努力しているという側面がありますが、次の「問題点」では、その限界と課題について触れます。


🛠 問題点

■「定義されていない」ことの重さ

有機農産物の制度設計において、「紅茶」そのものが正式な定義対象として扱われていないことは、根本的な問題の一つです。
2023年改訂の農水省『有機農産物 検査認証制度ハンドブック(第5版)』にも、紅茶という語は一切登場しません。
これはつまり、「ルールがない」のではなく、「定義を与えられていない」ことを意味し、制度的な空白状態にあるといえます。

■ 裁量の幅と「運用」のグレーゾーン

制度の適用・運用は地方自治体や個別の認証団体の判断に委ねられている部分が多く、
「同じ商品でも自治体によって判断が異なる」
「指導の根拠が文書ではなく“慣例”や“口頭”のみ」
といった実態が存在します。

特に、新規参入者や若い生産者にとっては、制度への信頼性を損なう要因となりかねません。

■ 実務を担う現場と制度のズレ

制度設計上は“現場に任せている”とされがちですが、実際の現場はその「任され方」が不明瞭で、過剰に忖度を求められる傾向があります。
誰が、どこで、何を基準にしているのかが不透明であるため、結果として「通るか通らないかは運次第」とすら言われる場面もあります。

■ 制度が「障壁」になる危険性

本来、有機認証は「消費者保護」「農業の信頼性担保」のための制度ですが、基準が明確に定義されていないまま運用されることで、
むしろ「制度が障壁となる」危険性が生じます。
とくに、小規模な国産紅茶生産者にとっては、“申請するだけでリスク”ともなりうる状況です。

🧯 「紅茶にJASは向かない」という“定型理由”への再検討

紅茶がJASの対象として扱われてこなかった理由について、農水省資料などでは以下のような説明が見られます。

理由通説の説明再検討の視点
品質が主観的香り・味・水色などの評価が人によって異なる✅ ワインや日本茶も同様。
✅官能評価を制度化した事例は他にも存在する。
✅ 実際には国主導で評価体系を構築してこなかった結果とも言える。
等級の国際基準が主導ISOやインド・中国の格付制度に依拠✅ならば逆に「ISO準拠の日本基準」を設定するという選択もある。
✅「現実は簡単ではない」というなら、むしろ国際基準をJASに取り込むことで輸出・輸入の相互互換が進み、消費者への説明も明確になる。これは難しくない。
国内生産量が限られる全国流通に耐えるほどの生産規模がない✅ JASは“量のための制度”ではない。小規模でも品質保証が必要な場面はある。

🔈 音声対応・要約(読み上げのための文章版)

紅茶がJAS制度に適さないと言われる理由は3つあります。
1つ目は「品質が主観的で評価が難しい」というものです。しかし、ワインや日本茶のように官能評価を含んだ制度も存在します。

2つ目は「等級の国際基準がすでにある」というものです。国際基準があるなら、それを活かしてJASに取り込むことはむしろプラスに働きます。これは決して難しいものではありません。

3つ目は「国内生産が少ない」というものです。JASは量のためのものではありません。本末転倒とはこのことです。


国産紅茶の育成と輸出入の整合性を進める上でも、今こそJAS再検討の時期なのかもしれません。


こうした「定型的な説明」が、実際には制度設計や改訂の手間を避けるための“方便”となっていた可能性も否定できません。
国産紅茶が台頭し、消費者の関心も高まる現在、このような理由を再検討する時期にきているのではないでしょうか。


🌐 海外制度との比較

  • インド:CTCなどの等級分類とオークション制度が長年機能し、品質表示に活用されている。
  • スリランカ(セイロンティー):SLTB(スリランカ紅茶局)が公的に輸出基準・格付け制度を定め、「セイロンティーマーク」で信頼性を保証。
  • EU:農産品の原産地表示(PGI、PDOなど)に加え、“Organic”認証は成分規定に基づき厳密に管理。
  • 中国:国家標準(GB)に基づき、緑茶・紅茶・烏龍茶などでグレード分類と安全基準を併記。

いずれも「主観的だから制度にできない」とはしておらず、むしろ曖昧さを前提に“枠組みを設けることで透明性を高めている”。


🏛️ 戦後の制度的遅れと行政構造の問題

戦後の日本において、紅茶は「贅沢品」として長らく輸入規制・配給制度の対象となり、制度化の対象から外れたまま時間が流れた。その後、紅茶輸入が自由化された1960年代以降も、制度としての整備は後回しにされてきた。

🔍 背景にある構造的課題

  • 必需品ではなかったことによる後回し
    • 日本茶と異なり、紅茶は戦後「嗜好品」のまま扱われ、国家的支援や研究体制の構築が行われなかった。
  • 農水省内の縦割りと「誰の所管でもない」問題
    • 紅茶は「農産物」だが、日本茶のように歴史的に守られてきたわけではなく、関係部署が明確に責任を持たない状態が続いた。
  • JASの構造自体が「既得権」として運用されている側面
    • 伝統産品や特定団体が関与する分野においては規格制定が進むが、「新しく小規模なプレーヤー」が参入する余地が少ない。

☕ 国産紅茶の現場が直面する“ねじれ”

現在の国産紅茶の生産者、とくに若手や独立系の農家・クラフトティーの生産者は、「制度がない」ことで自由に展開できる反面、「信頼を得にくい」「流通で不利になる」「輸出のハードルが高い」という矛盾に直面している。

  • 表示が曖昧になりがち
    • 「有機」や「無農薬」表示の運用が県単位などで異なる場合もあり、消費者や取引業者に混乱を招く。
  • 担当者レベルで対応が変わる
    • 制度化されていないがゆえに、「担当者の裁量」に委ねられすぎるという実務上のリスクがある。
  • 小規模ほど制度に頼れない
    • 信頼性を担保する制度がない中で、小さな生産者ほどブランディングに不利。

⚖️ なぜ制度が整わなかったのか?——「整備しなかった」立法と行政

📜 国会(立法府)の責任

  • 農産物の価値の序列化
    茶全体では国会での議論もあったが、紅茶は一貫して「片隅」扱い。法的整備の俎上に載せる動きすら乏しかった。
  • 農水族と利権構造
    特定団体の後押しを受ける「族議員」が、既存の品目に予算や制度を集中。
    🍵→緑茶(日本茶)やコメ、畜産など「声が大きい既得品目」に集中することで、紅茶のような新興・小規模市場は無視されてきた。
  • そもそもJAS法改正が「業界からの要望待ち」で動いている
    政治家がリードするのではなく、「業界団体が要望を出してきたら動く」が暗黙の運用。
    ☞ 団体のない産業は、立法の視野に入らない。

🏛️ 行政(農水省)の責任

  • 「制度がない」ことを盾にしてきた70年
    所管不明・部署たらい回し・「前例がない」として放置。
    特に紅茶・ハーブ・スパイスなどの新規農産品には不透明な対応が続いている。
  • 法制度よりも「通知」「運用基準」「県ごとの慣例」に依存
    これは一見柔軟に見えるが、透明性がなく、公平性にも欠ける。担当者次第、都道府県次第で全く扱いが違ってしまう。
  • 政令・省令による補完の怠慢
    JAS法や関連政省令で対応可能な部分も、農水省主導で整備されなかった。

☕ 小さな農業にこそ「制度」が必要

  • 大規模業者は制度がなくても自社基準・ブランド力で対応できる。
  • 小規模な生産者・個人農家こそ、「制度」の存在によって信用と流通の機会を得られる。
  • にもかかわらず、制度が「声の大きなところにしか降りてこない」状況が、現場の意欲を削いでいる。

この構造を「戦後の名残」として片付けるのではなく、「今の制度設計の欠陥」として明確にする必要があります。

「制度がないから仕方ない」は、制度設計を担う側にとっては言い訳にはならないのです。


📌 総括的な問いかけ

「なぜ紅茶にはJASがないのか?」
という問いは、
「なぜ戦後80年も経って、なお“戦後構造”が残っているのか?」
を問い直すことでもあるのです。


🧸 くまの一言

「制度がないから仕方ない」と言う前に「どうすれば制度にできるか」を考えるべき時代になってきたのかもしれません。紅茶はもう、嗜好品という枠を超えて、きちんとした品質と価値の評価が必要な文化財なのです。


🧩 関連語(Related Terms)


🔗 リンク

📘 農林水産省『有機農産物 検査認証制度ハンドブック(改訂第5版)』
👉 「有機紅茶」や「発酵茶」の定義が明記されていないことが確認できます
公式PDFはこちら(新しいタブで開きます)

📘 紅茶用語辞典 『紅茶輸入再開』
👉 戦後の輸入規制と、国産紅茶の誕生背景が分かる用語解説

📘 紅茶ことば辞典 『紅茶輸入自由化』
👉 紅茶が「自由に買えるもの」となった背景と政策的経緯を解説