紅茶の輸入制限解除

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📝 概要

大東亜戦争後、日本は統制経済体制のもとで物資や食料の輸入を厳しく制限していました。紅茶も例外ではなく、戦時中から終戦後もしばらく輸入は停止されていました。しかし、1950年代に入ると経済の復興とともに自由貿易への転換が進み、紅茶も「輸入制限解除」というかたちで市場に再登場することになります。

紅茶の本格的な輸入自由化が始まるのは、1961年の第一段階(準自由化)を経て、1964年のOECD加盟と為替管理緩和政策による完全自由化の流れに沿っています。

🛃 統制の背景と制度

戦後の外貨不足と貿易管理政策の下、日本は「重要物資」や「贅沢品」の輸入に厳しい統制を敷いており、紅茶も例外ではありませんでした。1950年代を通して、政府は外国紅茶の輸入を制限し、国産紅茶の保護と外貨節約を目的として、輸入には許可制が適用されていました。

🔓 1961年:準自由化と段階的解除

1961年、日本政府は「輸入自由化計画」を打ち出し、紅茶を含む嗜好品も一部自由化リストに加えられました。この時点での自由化は限定的でしたが、外国紅茶の店頭流通が徐々に拡大していきました。

🌐 1964年:OECD加盟と完全自由化

1964年のOECD(経済協力開発機構)加盟にともない、日本は国際貿易ルールに基づく経済開放を進め、紅茶も完全自由化されました。これにより、海外のブランド紅茶──たとえば英国リプトンの「黄色い缶」などが、スーパーや百貨店の棚に並ぶようになります。

📦 制度としての再導入

1952年の主権回復後、日本はGATTに加盟し、国際貿易体制のなかに復帰します。そのなかで、物資の輸入統制も段階的に緩和されていきました。紅茶に関しては1954年頃から制限が緩和され、イギリス・セイロン(現スリランカ)・インドなどからの紅茶輸入が再開されていきました。

このとき再び姿を現したのが、リプトンやトワイニングスなどの英国系ブランドです。彼らは主に缶入り紅茶というかたちで流通し、贈答品としての価値を持ち始めます。日本市場における「紅茶=高級品」というイメージの定着は、まさにこの時期に起きたことでした。

🛍 紅茶流通の風景が変わる

自由化により、かつて贈答品や喫茶店専用品だった輸入紅茶が、一般家庭でも手に取れる“日常の飲み物”へと変貌しました。この時期以降、日本の紅茶市場は輸入品が主流となっていき、国産紅茶は徐々に姿を消すようになります。

🎁 贈答文化との接続

輸入制限解除は、単に市場の拡大を意味しただけではありません。それは「紅茶を贈る」「紅茶を飾る」という文化の再構築でもありました。明治屋や不二家などの高級食料品店を中心に、外国製の紅茶缶は上流階層や都市生活者にとって「ハイカラ」な贈り物として認知されていきます。

🧭 制度による記憶の上書き

この時期、日本国内の紅茶生産は外貨獲得政策のもとで輸出に向けられ、国内市場ではほとんど認識されていませんでした。輸入紅茶の再登場は、消費者にとって「紅茶とは海外のもの」という認識を再度植え付け、戦前の国産紅茶文化は次第に記憶の彼方へと追いやられていきます。

🔚 文化と制度の交差点

輸入制限解除は、紅茶の流通制度の変化であると同時に、「舶来文化」への再接続でもありました。それは同時に、戦前の記憶や国産紅茶の可能性が“見えなくなっていく”プロセスの始まりでもありました。

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