1830年に”temperance movement(禁酒運動)”が起こりました。当時はビクトリア朝の時代、華やかな時代であると同時に、産業革命による大きな貧富の差が作られた時代でもあります。貧富の差と労働環境の悪化、それに加えて長時間勤務のストレスから、飲酒が社会問題化するほど深刻になります。そして、この飲酒問題を解決しようとしたのが禁酒協会による”tee’total(禁酒運動)”です。
“tee’total”の”tee”とは「絶対」を強調する言葉です。この”tee”が紅茶の”tea”の発音と同じだったので「アルコールの代わりに紅茶を飲もう」というスローガンの下、禁酒運動が始まったのです。
これが広がって身分を問わずに誰でも紅茶を楽しめるようになり、紅茶が広がっていきました。さらに、1839年には16歳以下の子供にビール以外のアルコールを禁じる法律が成立し、パブ自体が衰退します。そしてさらに多くの人が、アルコールの代わりに紅茶を手にとるようになっていきました。