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India tea (1) 歴史的概略

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目次
  • インドの紅茶の歴史
    • 第三次英蘭戦争
    • 阿片戦争
    • 産業革命
    • アッサム種の発見
    • Darjeelingの誕生

インドは世界の紅茶生産量の半分以上を占める世界一の紅茶生産国であり、同時に世界一の消費量を誇る国です。

インドの紅茶の歴史

第三次英蘭戦争

1610年にオランダ人がヨーロッパにお茶をもたらして以来、イギリスではお茶が一大ブームを巻き起こしていました。当時のイギリスでは、宮廷の貴族から一般庶民まで、幅広い層の人々の間でお茶が楽しまれていたようです。

しかしオランダが清 (今の中国) の茶の交易権を独占していたので、イギリスはこれに反発。1672年~1674年の第三次英蘭戦争にイギリスが勝利し、オランダから紅茶の輸入の独占権を奪い、清から紅茶を輸入する権利を手に入れました。その結果、イギリス東インド会社が、清からお茶を輸入する独占交易権を手に入れます。

第3次英蘭戦争Painting made by Willem van de Velde (II), 1687
第3次英蘭戦争
Painting made by Willem van de Velde (II), 1687

阿片戦争

しかし、その後もイギリス国内での紅茶の需要は急増して、清との間に著しい貿易の不均衡が生じてしまいました。大量の銀が清に流出してしまったのです。そこで、銀の代わりにインドで作っていた阿片を銀の代わりの対価としました。

阿片は清に蔓延し、これを問題視した清は阿片の販売を禁止しましたが、イギリスの圧力で阿片流入が拡大し、今度は清が貿易赤字に陥りました。清は阿片を取り締まり、没収し、廃棄処分し、阿片を扱っていたイギリス人商人を追放しました。イギリスはこれに反発して1840年に開戦します。これが阿片戦争です。

Destroying Chinese war junks by E. Duncan (1843)
Destroying Chinese war junks by E. Duncan (1843)

1842年にイギリス軍の勝利で阿片戦争は終結しました。この時にイギリスは南京条約を清と結び、清に対して賠償金の支払い、香港の割譲、上海、広州、廈門(あもい)、福州、寧波(にんぽー)の開港をさせます。その結果、清からさらにお茶の輸出が増大することになりました。

The Signing of the Treaty of NankingPainted by Captain John Platt
The Signing of the Treaty of Nanking
Painted by Captain John Platt

産業革命

このようにして清からの紅茶の確保はできるようになったものの、イギリスで産業革命が起こります。その結果、紅茶は上流階級、中流階級だけでなく労働者階級にまで広がり、その需要は桁違いに大きくなりました。もはや清からの輸入のみで紅茶の需要をまかなうことに限界を感じたイギリスは、植民地のインドでの紅茶の栽培を行うことを決意します。

イギリスはそれまでの清の紅茶生産独占を破ろうと清のチャノキの種子を使い、栽培方法を真似てインドでの紅茶の生産を発足させました。しかし、それはなかなかうまくいきませんでした。

Power loom weaving in (1835)Illustrator T. Allom
Power loom weaving in (1835)
Illustrator T. Allom

アッサム種の発見

1823年にはイギリスのRobert Bruce (ロバート・ブルース / 1789–1824)はアッサム地方の密林でインドに自生する茶樹(アッサム種)を発見し、自生していた茶の種と苗とを持ち帰り、植物学者に鑑定を依頼しました。しかし、その時植物学者が出した結果は「ツバキ」でした。新しいチャノキの発見の期待が大きかったRobertは失意の中亡くなりました。

ところがその後、この植物があらためて「ツバキ」ではなく「茶」であると認定され、インドでの栽培が始まります。1835年ころ初代インド総督Lord William Henry Cavendish-Bentinck (ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク) 卿は「the Tea Committee (茶業委員会)」をつくり、発見者の弟Charles Alexander Bruce(チャールズ・アレクサンダー・ブルース / 1793–1871)を茶生産の責任者に任命し、中国人技師2人を招いて茶を作らせました。そして1838年、アッサム種の原種から作られた緑茶が、the Tea Committee のもとに届けられました。翌年、ロンドンのオークションにかけられ高値で落札されます。兄の遺志を継いで、努力を重ねたCharlesの執念ともいえる緑茶だったのです。こうしてアッサムカンパニーが設立され、お茶の本格的な生産への期待が高まっていきました。アッサム種は清種と比べ、葉が倍くらい大きく、収穫量が多いために生産は盛んになり、今ではインドで一番生産量が多い茶種になっています。

アッサム種
アッサム種

Darjeelingの誕生

Darjeeling (ダージリン)地方での紅茶栽培は1841年に医師のArchibald Campbell (アーチーボルト・キャンベル / 1805–1874) が清から盗んできたチャノキの種子を自宅周辺にまき、試験的に栽培を始めました。これが成功してDarjeeling紅茶が生まれました。今では世界三大紅茶の一つと言われるほどまでに有名になりました。

茶葉の搬入 ダージリン 1890
茶葉の搬入 ダージリン 1890

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