各国の紅茶の飲み方(5)中東の香り文化
学習目標
- 茶が「物」ではなく「構造」であることを理解する
- 茶が特定の場所に存在するのではなく、関係の中に現れることを捉える
- 茶を見るのではなく、「茶を通して世界を見る」という視点を得る
3行まとめ
- 茶は葉ではない
- 茶は単体では存在しない
- 茶は関係の中に現れる構造である
この講義の問い
- 茶は、どこに存在しているのか?
ここまで、私たちは茶を分け、整理し、理解してきました。
けれど、ふと思うのです。
私たちは、いったい何を飲んでいるのでしょうか?
茶葉でしょうか?
それとも、色でしょうか?
もしかすると、私たちは香りを飲んでいるのかもしれません。
では、その「香り」はどこにあるのでしょうか?
はじめに🍂紅茶文化いろいろ
前回、前々回とみてきたように、同じ紅茶でもその飲み方はかなり違いがあります。今回はくまの思い出話も含めて、中東の一部の紅茶文化のお話をしたいと思います。紅茶文化といっても、紅茶とコーヒーの関係など「紅茶と何か」の話になっているので、今までとは少し毛色の変わった回になると思いますが、おつきあいください。
1.くまの思い出話
いきなり紅茶とは関係のない話をします。でも、この香りの文化の話のために必要な「くまの思い出話」なので、良ければお付き合いください。
🧔🏻♂️ある男性との出会い
くまがサウジアラビアに滞在していた頃のこと。
くまと友人が地元の食堂で食事をしていると、一人の、どこか薄汚れた風貌の男性があちこちの席の人に何か声をかけては追い払われるように次のテーブルへと動いていました。やがて彼がくまたちの席に近づいてきて、空いていた椅子に腰を下ろし、そのまま話しかけてきました。
早口で、えらく訛っていたので細部はうまく聞き取れませんでしたけど、ようするに言わんとしていることは
「何かおごってくれ」
ということでした。最初は、
「不案内な外国人に、ちょっとたかってきたのかな」
という雰囲気にも見えましたが、よくよく話してみると、悪い人ではなさそうでした。むしろ、妙に憎めない感じです。
友人がくまに軽く目配せをすると、
「好きなものを頼んでください。ただ、私たちにも美味しいものを一品頼んでくださいね」
と声をかけました。
すると、彼は遠慮なく自分用に軽く二人前ほどの料理を注文し、くま達にも一品ずつ料理を頼んでくれました。
🚢船がつかない?
食事をしながら話を聞くと、彼はどうやら貿易商だとのことでした。
しかし、予定の船が遅れ、支払いばかり先に発生してしまい、家族の食費にも困るほど資金が尽きたという話でした。
彼には妻が二人、子どもが四人。
その全員を食べさせるため、日雇い労働でなんとか凌いでいる状況だったそうです。
「家族にお腹いっぱい食べさせると、自分の食べ物がなくなる。だから“外で食べてきた”と言って、皆が食べるのを眺めるんだ」
どこか訛りの強い話し方で、細部は聞き取れなかったのですが、話の大筋は理解できました。
すると友人が、
「明日もここで会いましょう」
と声をかけた。
そのときの彼の表情、驚きと喜びが一度に走り、そのあとに浮かんだ、とても素直な笑顔。その顔は今でも記憶に残っています。
💰アルバイト?
こうして、くまと友人、そして彼の三人で夕食を取る日々が続いていました。今考えてみるとかなり異様な光景だったと思います。だって、地元の人しか来ないような食堂に日本人とドイツ人とアラブ人の3人が怪しいアラビア語で話しながら毎日夕食をとっている、という光景です。今思えば、あれはかなり周囲から浮いていたと思います。
五日目のこと。
彼は突然、深刻な顔で、そしてすぐにとてもうれしそうな笑顔になって言いました。
「三日後に船が着く。本当にありがとう。もしよかったら……船が着いたら、荷物検査の仕事を数日手伝ってくれないか?ぜひお礼がしたい。」
特に予定もなく、何事も経験だと思ったのでその話を受けることにしました。
三日後、本当に船が入港してきました。しかも結構大きな船でした。
その時は彼もしっかりした格好で別人かと思うほど威厳がありました。その時くまと友人は正直なところ、
「彼の話は本当だったんだ……」
と思ったのを覚えています。
作業は、荷物の個数を数えて台帳に記録するだけの簡単な仕事でしたが、見たこともない品物を数多く扱えて、とても興味深かったです。
そして何より驚いたのは、1日5時間くらいの楽な仕事なのに、その日給が(今の日本円で)25,000円ほどになったことでした。当時のその地域での一般的な肉体労働の日給が今の日本円で7,000~8,000円だったので破格です。
その日の作業が終わると、今度は彼の家に招かれました。食事をごちそうになり、そして、ここからが、今回の核心となるのです。
2.ある一杯の記憶
🍗夕食の後に
仕事を終え、くまたちは彼の家へ案内されました。かなり立派な家で、丁寧に掃き清められており、玄関先には砂漠の風に乾いた布が揺れていました。彼が実は相当なやり手の貿易商で、たまたま不幸が重なった時に出会ったのだということを実感しました。
通された食堂には珍しい置物が置かれ、大きな絵が壁に掛けられていました。中央に立派で大きなテーブルがあり、彼の席の両脇の席を進められました。例の場末の食堂でのなじみの「くまたちのポジション」でした。
夕食は一見素朴な肉料理でしたが、羊肉、牛肉、鶏肉などが大皿に盛られ、家族の子どもたちがにぎやかに皿を運び、奥さんたちは微笑んでいました。食べたことがないスパイスが使われたとてもおいしいものでした。
そして食事が終わると、彼はひとつのトレイを運んできました。銀色の小皿の上には、砕かれた「何か」が置かれています。色は乳白色か薄い黄金色。少し薄暗い室内で妙に輝いて見えました。その横に、湯気を立てるコーヒーが並んでいました。
彼はコーヒーにトレイの上の「何か」を一つまみづつ入れて、くまたちに勧めてきました。
底沈んでいたのは小さな樹脂の粒でした。何とも言えない、香りの深い一杯でした。熱いコーヒーの中で乳香や安息香はゆっくりと溶け、焚いた時とは異なる「静かな甘さ」と「神聖な香り」を放っていました。味だけでいえば少し重かったです。しかし、その香りは圧倒的でした。
🏚️二日目の変化
翌日も夕食に招かれましたが、案内されたのは前日とはまったく違う部屋でした。細い廊下を抜けて入ったその空間は、空気からして別世界でした。
乳香(フランキンセンス)と安息香が長年焚かれ続けた部屋。
絨毯、壁、クッション……
あらゆる繊維に香りが沁み込み、部屋そのものが静かな香炉のようでした。
ここにはテーブルも椅子もなく、柔らかな絨毯が敷かれ、みんなで円く座るためのクッションが置かれていました。そしてその中央には大皿が置かれていました。
アラブの家では、どの部屋に通されるかがもてなしの深度を示します。
初日はとても立派な「公式の客間」。
二日目以降はとても暖かい「家族の部屋」。
彼は何も言わず、部屋を変えることでくまたちを礼節を持って、さらに「内側」へと迎え入れてくれたのでした。

⭕カブサと同じ円
その日の料理の中心は、大皿いっぱいのカブサ1でした。カブサというのはスパイスのきいた炊き込みご飯の上に、さらにスパイスのきいた肉が乗っている料理です。
そして、その食べ方も変わっていました。それまでにレストランなどで食べたことのあるカブサにはスプーンが添えられていましたが、そこでは手で食べる方式でした。でも、とてもおいしかったです。
中東では「手で食べる」は信頼の証であり、家族の作法なのだそうです。
右手で米を寄せ、軽く握り、口へ運ぶ。くまと友人も自然にそれに倣い、見様見真似で絨毯の上で円を描きながら食事をしました。
今思えば、その円こそが、彼の家族の輪に「入れてもらった証」だったのです。

🫖食後の紅茶
食後には前日のコーヒーではなく、紅茶が出されました。彼は当たり前のように、コーヒーの時と同じように紅茶に「ひとつまみ」を入れてから、くまたちに勧めてくれました。コーヒーよりも軽やかで、熱湯の中で溶ける樹脂の香りがより繊細に感じられました。
どちらも日本の感覚では少し驚きます。実際驚きました。味だけを言えば、たしかに「入れないほうがおいしい」のかもしれません。けれど、その香りの奥には、砂漠を渡ってきた長い歴史と「最高のおもてなし」という、人の気持ちが宿っているのを感じずにはいられませんでした。
初日はコーヒー、二日目に紅茶。
中東の一部に残る「もてなしの順序」を思わせるその流れに、くまと友人はようやく気がつきました。
「まずコーヒーで、家の香りを分かち、次に紅茶で、親しみを深める。」
その共通の意味を、彼は言葉にはしませんでしたが、その香りがすべてを語っていました。
3.順番の持つ意味
☕アラビアコーヒーは「扉を開く飲み物」である
中東では、最初のもてなしはコーヒーと決まっている地域が多いらしいです。それは単なる習慣ではなく、彼らの世界における「来訪者を迎える儀式」に近い意味を持っているのです。
アラビアコーヒー(カフワ)は、深煎りではなく、薄い金色をした、ほのかにスパイスをまとった独特の飲み物です。
客が来ると、まずはこのガフワを出します。それはつまり、
「あなたを歓迎している」
という最初のメッセージなのです。
コーヒーは家の敷居に最も近い場所にあるともいえます。客はまずそれを飲みながら、その家の空気や距離感を測り、会話がゆっくりと始まるのです。このエリアで、コーヒーは「扉を開く飲み物」なのです。

🫖紅茶は「関係が一歩深まった証」
そして、その次に出されるのが紅茶です。コーヒーが「外側の儀礼」だとすれば、紅茶は「内側の親愛」を意味するといえます。
紅茶は、家族や友人が長く話すときに選ばれる飲み物です。より柔らかく、より自由で、コーヒーよりも会話の時間が自然に長くなるからです。紅茶が出されたとき、客は気づくのです。
「この家の内側に、少しだけ足を踏み入れたのだ」 と。
つまり、紅茶は「もう少し話を続けよう」という心の表現でもあるのです。
後から知ったことですが、くまが体験した
「初日はコーヒー、二日目に紅茶」という順序は、まさにこの文化構造にそのまま重なっていたのです。
彼は最初の日に、旅人としてのくまと友人を迎えた歓迎の印だったのです。そしてそこで最大限の礼節を示してくれたのです。
そして翌日、一緒に時間を過ごしたことを喜び、もっと深い親しさを込めて紅茶を出してくれたのでしょう。間違いなく親愛と信頼の印だったのです。
🍯コーヒーと紅茶に樹脂を入れる意味
中東ではコーヒーにも紅茶にも、乳香や安息香などを入れることがあります。これは、香りを「飲む」という文化の一部であると同時に、香りそのものがもてなしの中心にあることを示しています。そしてそれは「客人に最大限の敬意を示す」方法だったのです。
コーヒーに入れれば、客を迎える香りになります。
紅茶に入れれば、語らいの香りになるのです。
香りは飲み物の外側にあるのではなく、もてなしの核にあるのです。中東の家にとって香りは、言葉よりも早く、食べ物よりも正直に「その家の心」を表してしまうものなのです。
後で知ったことですが、あれはその地域でできる「最高のおもてなし」だったのです。砂漠の暮らしでは、香りは清めであり、祈りであり、尊敬のしるしでもあります。だから、その最も価値のある香りを茶に入れて添えるということは「あなたを心から歓迎しています」という無言の言葉だったのです。
味の好みとは別のところで、文化は人から人へと手渡されていくのです。あの時、彼は自分の持てる最高のものを惜しむことなく差し出してくれていたのです。
あの一杯の中にあったのは、乳香や安息香の甘い香りと、その人が示してくれた、小さな誇りと礼節だったのです。
4.中東のレジン文化と「もてなし」の深層
☕「香りを飲む」文化
さて、紅茶やコーヒーには、世界のどこでも「その土地ならでは」の飲み方があります。しかし、中東の一部には、それらとはまったく異なる系統の飲み方、一言でいえば「香りを飲む」文化が存在します。くまが体験したのもそれにあたります。
特に、サウジアラビア南部やオマーン、イエメン、UAEなどのアラビア半島(特に南部)・紅海沿岸文化圏の地域では、紅茶やコーヒーに乳香(Frankincense/フランキンセンス)、安息香(Benzoin/ベンゾイン)、没薬(Myrrh/ミラ)といった天然樹脂を細かく砕いて加えることがあります。これは単なる嗜好ではなく、その土地の宗教・歴史・社会構造が重ね合わせた、深い文化の表れなのです。

🌿乳香(Frankincense)について
中東の飲み物文化を理解するには、例えば先ほど挙げた、乳香(フランキンセンス)がいかに「特別な物質」であるかを少しだけ押さえておく必要があります。
乳香は一年中採集できますが、最も香りがのる季節は3月~5月で、空気が乾き、砂漠の風が吹くころ、樹皮に切れ目を入れると、透明な涙のような樹脂が滲み出ます。砂漠に近いほど木が乾き、樹脂はゆっくりと濃縮され、質が高くなると言われています。
この採集作業は、誰でもできるものではありません。古くから産地では限られた家系や部族の人だけが採集を許されるという慣習があり、それは今も変わりません。彼らは「マンカフ」と呼ばれる平べったい専用のナイフを使い、丹念に樹脂を集めます。
乳香には大まかに四つの品質階層があります。
- アル・ホジャリ
乳白色に近く、香りは澄み、甘く、透明度が高いものです。「最上質品」でなかなか手に入らないものです。 - ナジェディ
高原地帯の産で香りが強く、宗教儀礼でも用いられます。一般的に「高級品」とされるのはこれです。 - アシャズリ
山と砂漠の中間地帯で採れる、素朴でスモーキーな香りのもので「上級品」とされます。 - アジャビ
日常使いの樹脂で、家庭でよく焚かれるものはこれです。日本のハーブ屋さんで売っているもののほとんどがこれです。
🔥レジンという「香りの宝物」
このように乳香や安息香などのレジンは、野生の木の樹皮からにじみ出る天然樹脂で、古代から特別なものとして扱われ、以下のような用途がありました。
- 神殿で焚く香り
- 聖書・イスラム圏での儀式
- 治療・浄化
- 高級香料
つまり、樹脂=神聖で価値のある香りという位置づけなのです。
5.唯一無二の香り
🕌あの時の香り
それから数年して、くまは日本でハーブを扱う仕事を始めました。必然、乳香や安息香などを手に取る機会が増えましたし、品質を見極める訓練もされました。
ナジェディ、アシャズリ、アジャビ、中東で一般的に流通する樹脂の香りは、品位はあるものの、どこか素朴で、火で焚いたときの香りが中心にあります。
しかし、あの夜の香りは違っていました。
軽く、澄みきっていて、広がりがあって、雑味が一切ありませんでした。
一度だけ、偶然手に入ったナジェディであの時の香りを再現しようとしたことがありましたが、結果は全く違うものでした。
考えれば考えるほど、あれはアル・ホジャリの中でも特に最上質のアル・ホジャリだったと思うのです。貿易商の彼だからこそ手に入れることができた、特別なものだったのでしょう。
「本当に良いものは本当に大切な客へ」
という文化が、中東では徹底しているといいます。彼は、あの時、自宅にあった最高品質の乳香を、迷いなく、そして惜しげもなくくまたちに使ってくれたのだと、改めて思い知ったのです。
6.紅茶とコーヒーと樹脂
🐫三つの要素が「偶然ではなく必然」として出会った文化
以上がくまが経験した「香りを飲む体験」でした。ところで中東で生まれたこの飲み方は、実は以下の三つの物語の交点にあります。最後にそれをまとめておきたいと思います。
🏺樹脂(乳香・安息香) 香料交易と宗教の歴史
樹脂は香りは「聖」「浄」「祈り」の象徴で、3,000年以上前から「神に捧げる香り」とされてきました。古代アラビアの主要輸出品で、エジプトなどに輸出されていました。その価値は非常に当時から高く、乳香は金より高かった時代もあるほどです。つまり、樹脂は最初から文化の中心にあったのです。
☕コーヒー アラビア半島発の「もてなし」の飲み物
16世紀に世界へ広がる前、コーヒーの中心地はイエメン周辺でした。そして家に来た客へ真っ先に差し出す「歓迎の印」だったのです。そこでガフワ(アラビアコーヒー)は儀礼の起点でした。つまり、先に触れたようにコーヒーは「扉を開く飲み物」としての伝統を持っていたのです。
🫖紅茶 イギリス帝国を経て「家庭の語らい」として取り込まれた飲み物
紅海沿岸に英領の影響で紅茶が普及しました。コーヒーより軽く、長く話すときに向く紅茶は家族や親しい客に出される「内側の飲み物」として定着していきます。つまり、紅茶は「関係が一歩深まった印」となったのです。
🌌そして樹脂が「香りの橋」になる
コーヒーは儀礼の中心。
紅茶は親密さの中心。
そして樹脂は宗教と香りの中心。
この三つは役割が異なるのに、香りという一点で見事に融合しています。
香りは祈り
香りは浄め
香りは家族の誇り
香りはもてなし
香りは客への最大の敬意
中東では、飲み物よりも香りのほうが文化の中核にあるからこそ、樹脂はコーヒーにも紅茶にも自然に入ったのです。だから紅茶とコーヒーと樹脂という組み合わせは、中東という大地でしか生まれなかった「文化の奇跡」なのです。
宗教、交易路、気候、社会構造、家族観、もてなしの精神、これらのすべてが重なって、一杯の飲み物に凝縮されているのです。これが世界の茶文化における中東の独自の位置なのです。
🧸おわりに
これを書きながら「今思えば」があまりに多いことに改めて気が付きました。もっとも、くまたちをもてなしてくれた貿易商の彼はくまたちが文化や伝統をほとんど知らないのを承知の上で彼のできる最大限のものをくれました。
「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。一緒に食事をとり続けることは人を他人ではなくします。奇妙な三人が場末の食堂で過ごした日々、それは十日間だけの「家族」だったのかもしれません。
食堂で始まった奇妙な三人の夕食会は、香りの部屋でのカプサとマンディへと変わり、さらに彼の本当の家族を加えた「小さな家族」になったのです。
文化も宗教も言語も違う。
それでも、食卓は人を家族にしてしまうことがあるのです。
そしてそこには「特別な香り」が添えられていました。
茶はそこにあるのではありません。
関係の中に、ふと現れるものです。
だから私たちは、茶葉を飲んでいるのではありません。
香りを飲んでいるのです。
これはもうずいぶん前の話ですから、彼ももう現役はとっくに引退しているでしょう。あの時、くまと友人の間を行ったり来たりしてはしゃいでいた、彼の一番下の男の子も、もう立派な大人になっているでしょう。
でももし当時、今と同じ知識があったら……
くまはどこかできっと感動して泣いてしまっていたと思います。
📌脚注
今日のポイント
- 茶は「どこか」にあるものではない
- 茶は、要素がつながったときに現れる
- 私たちは、茶葉ではなく「香り」を飲んでいる
- 茶は対象ではなく、世界を見るためのレンズである
森のくまのひとこと
今回はくまの体験を例にして中東の香り文化をご紹介しました。
日本人にとって「香りを飲む文化」というのはあまりなじみがないと思います。
でもそれは知らないのはもったいない文化でもあります。
そしてこれは紅茶にも言えます。
私たちはもっと「香り」に敏感になり意識を向けるべきなのかもしれません。