Contents1.地政学とは
地政学(geopolitics)とは地理政治学の略からきている言葉です。
地政学は、国家や社会の行動を、地理・資源・交通路・文化圏といった空間的条件との関係から読み解こうとする視点です。本来それは、戦争を起こすための理論でも、特定の思想を正当化する道具でもありませんでした。
海はどこにつながっているのか。
資源はどこから来るのか。
人と物は、どの経路を通って移動するのか。
そうした「当たり前の前提」を言葉として整理しようとする試みが、本来の地政学でした。
この分野を語る際、避けて通れない二人の人物がいます。アルフレッド・セイヤー・マハンと、カール・ハウスホーファーです。
マハンは、制海権と通商路の重要性を説いた海洋戦略論で知られる地政学者です。彼の議論は、島国や海洋国家がどのように国家存立を維持するかを、極めて現実的に示したものでした。一方、ハウスホーファーは、地理的条件と国家行動の関係を理論化し、地政学という学問を体系化した人物です。
しかし問題は、これらの視点が次第に「理解のための学問」から「戦略を正当化する学問」へと変質していったことにあります。とくにハウスホーファーの理論は、国家戦略と強く結び付けられ、本来の冷静な観察の視点から外れて受容されるようになってしまいました。
地政学は、この段階で、世界を説明するための言語であると同時に、世界を動かすための言語として扱われ始めてしまったのです。
2.大日本帝国と地政学
明治から大正期にかけての大日本帝国は、地政学、とりわけマハンの海洋戦略論を熱心に学んだ国家でした。制海権、シーレーン、通商路など、大日本帝国は島国である以上、海を失えば国家が立ち行かないことを、理論としても実感としても理解していたのです。
しかしその大日本帝国は、やがてマハンのテーゼを破り、大陸侵攻へと踏み出してしまいます。日中戦争の長期化とともに、国家戦略の重心は海から陸へと移り、結果として大日本帝国は、自らが学んできた地政学の前提から大きく逸脱していったのです。
同じ海洋国家であるイギリスは、アヘン戦争に勝利した後、中国大陸の内側に深く関与することはしませんでした。通商と海上優位を確保した段階で、大陸の内部統治には踏み込まなかったのです。これは海洋国家が大陸国家に深く立ち入った場合破綻することが明白だったからです。
当時の大日本帝国は、この点から十分に学ぶことができませんでした。あるいは、学ぶ余裕を失っていたと言うべきかもしれません。こうして大日本帝国は、地政学的合理性から少しずつ、しかし確実に大きく離れていったのです。
3.敗戦と、禁止された学問
大東亜戦争敗戦後、日本において地政学は、学問として正面から語ることができなくなりました。GHQの占領政策のもとで、地政学は軍国主義と結び付けられ、教育や研究の場から事実上排除されたのです。
それは「否定された」というより、「触れてはいけないもの」になった、と言ったほうが近いでしょう。東京大学図書館などに資料は残されましたが、それらは公然と参照されるものではなく、静かに保存される知となったのです。
日本の地政学は、ここで一度、明確な歴史的断絶をしたのです。
4.1980年代の復活と「ゲオポリティクス」
1980年代後半、冷戦の終盤に差しかかる頃、日本でも再び地政学が必要とされ始めました。エネルギー問題、中東情勢、シーレーンの安全保障など、現実の世界が、地政学的な理解を要求し始めたのです。
この時期、防衛大学校では地政学的研究が細々と継続されていました。表立って語られることは少なかったのですが、学問としての火は完全には消えていなかったのです。
また、防衛大学校を退官した教授たちを通じて、地政学という言葉や視点が、わずかに民間へと「漏れ聞こえ始めた」時期でもありました。この頃から、地政学を学ぶ必要を感じる人々が、静かに現れ始めたのです。
しかし、復活の仕方は歪でした。
学問としての連続性は失われ、断片的な知識を寄せ集め、それを現実にあてはめながら理解しようという半ば無理筋の復活でした。必死に現実を理解しようとする中で、地政学は「必要だから学ぶ学問」だったのです。
当時、日本で使われていた呼称は「ジオポリティクス」ではなく「ゲオポリティクス」でした。これは誤りではありません。当時参照できた資料の多くがドイツ語経由であり、それが唯一許された入口だったからなのです。
5.地政学が普通に語られるようになった時代
現在、地政学は特別な学問ではなくなった。地政学に関する本がいくつも書店に並び、ネットでも解説され、日常会話の中でも語られています。かつては秘匿され、忌避された言葉が、普通の語彙になったのです。
それは一見すると社会の成熟を示しているようにも見えます。しかし同時に、現実そのものが、あまりにも地政学的になってしまった結果でもあるのです。エネルギー、食料、通貨、制裁。それらが生活に直結する時代に、地政学を語らずに世界を理解することは難しいのです。
これが平和の象徴なのか、それともその真逆なのか、その判断は簡単にはできません。
ただ一つ言えるのは、地政学が再び必要とされる時代が来た、という事実がある、ということだけです。
おわりに
本稿は、地政学を肯定するためのものでも、警戒を煽るためのものでもありません。ただ、日本において地政学という学問が、どのように断絶し、どのように再び語られるようになったのか、その経緯を静かに記録するためのものです。
この先、「紅茶と地政学」という棚で扱われる話題は、すべてこの背景の上に置かれることになります。