contents
📘第1章 はじめに──「労働者の飲み物」としての紅茶
「紅茶」と聞いて、まず思い浮かぶのは優雅なアフタヌーンティーでしょうか。それとも、カップから立ちのぼる蒸気とともに一息つく、あの午後のブレイクでしょうか。けれどそのどちらでもなく、朝から晩までの現場仕事の合間に、大きなマグで濃いミルクティーをがぶりと飲み干す、そんな風景こそが「紅茶と労働文化」の核心にあるのです。
イギリスにおいて、紅茶は単なる嗜好品ではありませんでした。とりわけ、産業革命以降の労働階級にとって、紅茶は「日々を乗り切るための燃料」とも言うべき存在でした。疲れた身体を温め、炭水化物中心の食事に少しの栄養を補い、あるいは無言の連帯を感じる時間を提供してくれる――紅茶は、日々の重労働を支える、最も身近で実用的な飲み物だったのです。
この文化は、アジアやアフリカからの植民地茶葉輸入によって低価格で紅茶が手に入るようになったことと密接に関係しています。安価で手に入りやすく、しかも牛乳や砂糖とあわせればカロリー源にもなった紅茶は、まさに労働者の生活に最適化された飲料でした。
その意味で、紅茶はイギリスの階級社会のなかで「下から積み上げられた文化」でもあるのです。上流階級が紅茶を洗練の道具として使ったように、労働者階級は紅茶を日々の実用と誇りの象徴として育て上げました。
ここでは「紅茶と労働文化」の交差点をたどりながら、ティーカップの中にどのような社会の姿が映っていたのかを探っていきます。
📘第2章 ヴィクトリア時代の労働環境とティーブレイク
ヴィクトリア時代(1837–1901)は、イギリスが「世界の工場」としての地位を確立し、急速な工業化と都市化が進んだ時代でした。蒸気機関が石炭を燃やし、鉄道が国中を走り、機械の音が町の鼓動のように鳴り響く中、工場や炭鉱で働く労働者たちの生活は、極めて過酷なものでした。
🍞労働の中の「一杯の紅茶」
このような時代背景において、「一杯の紅茶」が果たした役割は小さくありません。長時間労働と疲労、栄養状態の悪さ、清潔な飲料水の確保の困難──そうした現実の中で、熱く、甘く、清潔で、カロリーのある飲み物は極めて貴重だったのです。
紅茶は沸かしたお湯で淹れるため、水質が悪くても安全に飲めるという利点がありました。牛乳や砂糖を加えることでカロリーが増し、空腹を紛らわせる効果もありました。つまり紅茶は、エネルギー補給と衛生の両面を兼ね備えた、労働者向けの万能飲料となったのです。
🕰️ 工場法とティーブレイクの制度化
労働時間が過度に長く、児童労働も一般的だった当時の工場において、労働者の権利保護のために制定されたのが工場法(Factory Acts)でした。
1833年の工場法では、9歳から13歳の子供に対する労働時間が1日8時間までと定められ、午前と午後に30分ずつの休憩が認められるようになりました。これが、制度としての「ティーブレイク」の起源のひとつとされています。
やがてこの休憩は大人にも広がり、職場において「お茶の時間」が自然と組み込まれるようになっていきます。それは、工場主が提供する形であったり、労働者がポットを持ち寄って自分たちで淹れる形であったりしました。いずれにせよ、「紅茶を飲む」ことは職場における小さな自由の象徴となったのです。
🚬「タバコ休憩」より紅茶休憩?
興味深いことに、イギリスでは「タバコ休憩」よりも「ティーブレイク」のほうが古くから社会に根付いていました。特に女性労働者の多かった繊維工場では、紅茶を囲んでの短い休憩が、日々の過酷な労働における重要なリズムとなっていたのです。紅茶を飲む時間は、仲間と交わす言葉の時間であり、疲れた身体を和らげる時間であり、そしてほんの少しだけでも「人間らしさ」を回復する時間でした。
このように、ヴィクトリア時代におけるティーブレイクは、単なる習慣ではなく、労働環境の改善と人間性の維持に密接に関わる、文化的かつ制度的な存在だったと言えるでしょう。
📘第3章 ビルダーズ・ティーの誕生と定着
工場の汽笛とともに始まり、重い道具を手に肉体を酷使する──そんな日々の労働の合間に、イギリスの労働者たちは決まって「強い紅茶」を飲みました。やがてその飲み方は文化となり、Builder’s Tea(ビルダーズ・ティー)という名で定着していきます。
🧱スプーンが立つほど濃く、たっぷりと
ビルダーズ・ティーの特徴は何といってもその濃さです。ティーバッグを長めに浸け、たっぷりのミルク、そして多めの砂糖。小さなティーカップではなく、大きめのマグカップに注いでがぶりと飲む──それが、この紅茶のスタイルです。
「スプーンが立つほど濃い」とは、いささか誇張に聞こえるかもしれませんが、実際の労働現場では濃さが “効く” 紅茶こそが求められました。寒い朝、骨のきしむ午後、背中の汗が引く夕方。Builder’s Teaは、エネルギー、暖かさ、精神的支えのすべてを一杯に詰め込んだ飲み物だったのです。
🛠️ なぜ「Builder’s」なのか?
この呼称が定着したのは1970年代からと言われていますが、その飲み方自体はもっと以前から存在していました。肉体労働者、とりわけ建設現場の作業員(builder)たちが好んで飲んでいた紅茶のスタイルだったため、いつしかそのまま名前となったのです。
実際、イギリスでは建設現場にケトルや電気ポットを設置し、「お茶担当」の作業員が大鍋で紅茶を煮出すことさえありました。手早く、たっぷり、そして温かい──合理性と効率性を追求した現場の中で、紅茶だけは「しっかり味わう」ことが大切にされていたのです。
🧱 ThatcherismとBuilder’s Teaのアイロニー
1980年代、サッチャー政権下においては「個人責任」「自立」「弱者救済の縮小」などの政策が進められ、伝統的な労働者階級の文化や共同体が切り崩されていきました。
皮肉なことに、こうした政治状況の中で、Builder’s Teaは“労働者の誇り”や“庶民の粘り強さ”の象徴として持ち上げられるようになります。政府のメッセージではなく、庶民自身が「自分たちはこれでやっていける」と語る際の象徴として、ビルダーズ・ティーはその名を知られるようになったのです。
「何があっても一杯の紅茶さえあれば」という意地と諦念。その中に、イギリス労働者階級の不屈の精神が静かに湛えられていたのでしょう。