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📝 概要
戦後日本は、深刻な物資不足と混乱のなかで、国家主導の統制経済体制を採用しました。この中で紅茶もまた「贅沢品」とみなされ、配給や輸入が厳しく制限されていたのです。統制経済は、物価・輸入・生産・流通のすべてを政府が管理し、日常生活の隅々にまで介入する強力な経済政策でした。
📋 統制の構造と紅茶の位置
1945年から1952年までの占領期において、政府は「物資統制令」などの法令に基づき、紅茶を含む嗜好品の製造・流通・販売を厳格に管理しました。贅沢品に分類された紅茶は、配給制度からも外され、闇市でしか見かけない希少品となりました。
また紅茶の原料はほとんど輸入に依存していたため、輸入制限政策の下では事実上市場から姿を消す状態となりました。国内産の紅茶も主に外貨獲得用として輸出され、庶民の口にはほとんど入りませんでした。
📦 経済統制と“日常の飲み物”の消失
このような状況のもと、紅茶は一時的に「日常の飲み物」という地位を失います。緑茶や麦茶が家庭用飲料として台頭し、紅茶は記憶の中の飲み物、あるいは一部の上流層の贈答品へと変化していきます。
🕊️ 転換点としての経済自由化
1950年代中頃から統制は徐々に緩和され、1960年代には経済自由化政策とともに紅茶の輸入再開が実現しました。これにより紅茶はようやく一般家庭にも再び届くようになり、流通の自由が紅茶文化の復興へとつながっていきます。