聞く紅茶教室

講義時間:約8分

第15講 海を閉じた中国、海を開いた世界

唐や宋の時代。

中国は、
海へ向かう力を強めていました。

港が育ち。

交易が広がり。

海路が整っていく。

けれど明代に入ると、

流れは大きく変わります。

海禁政策です。

これは簡単に言えば、

民間の海上交易を、
強く制限する政策でした。

海へ出ること。

海外と自由に取引すること。

それらを国家が管理し始めたのです。

理由はいくつもあります。

海賊対策。

密貿易。

沿岸支配。

国家統制。

つまり中国は、

「海を自由に広げる」

よりも、

「海を管理する」

方向へ進んでいきました。

もちろん、
例外もあります。

その代表が、

鄭和。

ていわ、
と読みます。

巨大な船団を率い、

東南アジア。

インド洋。

アラビア。

アフリカ沿岸にまで至った人物です。

くまは、
鄭和の航海には、

「世界へ出る中国」

の可能性を感じます。

もしあの流れが続いていたら、

世界史は、
かなり違う形になっていたかもしれません。

けれど実際には、

この巨大遠征は、
長く続きませんでした。

そして中国は、
少しずつ、

海から距離を置く方向へ進みます。

ここが、
大きな転換点です。

なぜなら同じ頃、

ヨーロッパでは逆のことが起きていたからです。

ポルトガル。

スペイン。

そして後のオランダやイギリス。

彼らは、

海を閉じる

のではなく、

海を開こうとしていました。

その象徴が、

喜望峰航路です。

アフリカ南端。

喜望峰を回り込み、

インド洋へ入る。

つまりヨーロッパは、

「陸の終わり」

ではなく、

「海の向こう」

へ活路を求め始めていたのです。

くまは、
ここがとても面白いと思っています。

同じ時代に、

中国は海を管理し、

ヨーロッパは海を拡張した。

この違いが、
後の世界を大きく変えていきます。

そして茶もまた、

この流れへ巻き込まれていきました。

最初、
茶は中国の内側にありました。

けれど海運の時代が始まると、

茶は、

世界市場の商品

へ変わっていきます。

そしてその中で、

ある紅茶が、
特別な意味を持つようになります。

ラプサン・スーチョン。

正山小種です。

武夷山で作られた、
燻香を持つ紅茶。

松材で燻しながら乾燥させることで、

保存性を高め、

長距離海運へ耐えられるよう工夫されていました。

つまりこれは、

「海運仕様の茶」

だったのです。

くまは、
ここに紅茶の面白さを感じます。

紅茶は、
単に美味しくなる方向だけで進化したわけではありません。

保存。

輸送。

湿気。

長距離航海。

そうした現実の問題に応えながら、

香りを変化させていった。

だから紅茶の歴史は、

香りの歴史であると同時に、

物流の歴史

でもあるのです。

そして茶はここから、

本格的に、

風へ乗り始めることになります。


くまのひとこと

くまは、

「海を閉じる」

という選択も、
すごく人間らしいと思うのです。

外へ出れば、
豊かさも来ます。

でも同時に、

混乱や危険も入ってくる。

だから歴史は、

ただ「進歩」するわけではありません。

開いたり。

閉じたり。

揺れながら進んでいく。

茶もまた、
そんな世界の揺れの中で、

海を渡っていったのかもしれません。