聞く紅茶教室
講義時間:約8分
第19講 ヨーロッパ最初の茶
日本茶と中国茶
ヨーロッパへ最初に渡った茶。
そう聞くと、
多くの人は、
「中国茶」
を思い浮かべると思います。
もちろん、
それは間違いではありません。
けれど実は、
ヨーロッパ人が最初に出会った「茶」
という視点で見ると、
そこには日本茶も含まれていました。
16世紀後半。
ポルトガルの宣教師や商人たちは、
日本へやって来ます。
そして彼らは、
茶の湯
という文化を目にしました。
静かな空間。
儀礼。
所作。
抹茶。
そこにあった茶は、
単なる飲みものではありませんでした。
むしろ、
文化。
精神性。
ある種の儀式。
そういうものとして見られていたのです。
くまは、
ここが面白いと思っています。
ヨーロッパ人が最初に見た茶は、
「家庭の飲みもの」
ではなく、
かなり特別な文化
だったのです。
そして17世紀。
今度はオランダ東インド会社。
VOCが登場します。
VOCは、
長崎・出島で日本茶を扱い、
それをバタヴィア経由で、
ヨーロッパへ運びました。
もちろん量は多くありません。
けれど、
「ヨーロッパ人が茶に触れた最初期」
には、
確かに日本茶も存在していたのです。
では、
なぜ後に市場を支配したのが、
日本茶ではなく、
中国茶だったのでしょうか。
理由は、
かなり現実的です。
まず、
生産規模。
中国は、
圧倒的な茶生産地でした。
さらに、
港湾制度。
広州一港体制。
そして、
海運に耐えられる茶。
つまり中国には、
「世界へ輸出するための仕組み」
が、
すでに整っていたのです。
くまは、
ここがとても重要だと思っています。
文化だけでは、
世界商品にはなりません。
そこには、
物流。
制度。
輸送。
保存。
大量供給。
そうした現実的な構造が必要です。
中国茶は、
その構造を持っていました。
だから後に、
「茶」
と言えば、
中国茶
という時代が生まれていくのです。
ただし、
最初の「茶のイメージ」
を作った段階では、
日本茶も、
確かにその中にいました。
日本茶は、
「最初の茶の印象」
を作った。
中国茶は、
「市場の主役」
になった。
この違いを知ると、
後にイギリスが、
「紅茶」
という文化を見つけていく流れが、
少し立体的に見えてきます。
くまのひとこと
くまは、
「最初に出会ったもの」
というのは、
かなり大事だと思うのです。
最初の印象は、
その後の文化に残り続けます。
ヨーロッパ人にとって茶は、
最初から、
少し神秘的で。
少し東洋的で。
少し特別な存在だったのです。
だから後に、
ただの飲みものではなく、
文化
として広がっていったのかもしれません。