聞く紅茶教室

講義時間:約11分

第46講 戦時紅茶は、精神インフラだった

戦場で必要なものは何でしょうか。

武器。

弾薬。

食料。

水。

医薬品。

普通なら、そう答えると思います。

けれどもイギリスという国は、そこにもうひとつ、大切なものを加えていました。

紅茶です。

それも、「余裕があるときに飲む嗜好品」としてではありません。

「絶対に途切れさせてはいけない補給物資」として扱われていたのです。

第一次世界大戦のころ、イギリス政府は紅茶を配給品目に含めます。

しかも、それは後回しではありませんでした。

優先して確保すべき物資として扱われていたのです。

ここで不思議なのは、紅茶はカロリー源ではないということです。

武器でもありません。

薬でもありません。

それでも政府は、「紅茶を切らしてはいけない」と考えました。

なぜでしょうか。

それは、紅茶が「人間らしさ」を保つための飲み物だったからです。

戦争とは、人間を極限状態へ追い込みます。

寒さ。

泥。

疲労。

恐怖。

死。

その中で、紅茶を淹れる時間だけは、「いつもの生活」を思い出させる瞬間でした。

つまり紅茶は、身体を支えるだけではありません。

心を壊さないための飲み物だったのです。

第一次世界大戦の塹壕では、兵士たちは、お湯を沸かせる時間になると、一斉に紅茶を淹れたと言われています。

泥だらけの塹壕。

砲撃。

雨。

その中でも、湯を沸かし、紅茶を飲む。

それは単なる休憩ではありませんでした。

「自分たちはまだ人間である」という確認に近かったのです。

海軍では、さらに徹底していました。

イギリス海軍の潜水艦には、紅茶用のボイラーが備えられていたと言われています。

潜航中でも紅茶を切らさない。

つまり深海の中でも、ティータイムは必要だったのです。

さらに第二次世界大戦では、その考え方は戦車にまで持ち込まれます。

イギリス軍の戦車には、湯を沸かす装置が搭載されました。

砲撃の合間に、紅茶を淹れるためです。

ここまで来ると、少し冗談のようにも聞こえます。

けれども、イギリス軍にとっては本気でした。

「紅茶を淹れられない戦車は問題がある」

それに近い感覚が、実際に存在していたのです。

ここには、イギリス人の紅茶観がよく表れています。

紅茶は、余裕があるから飲むものではない。

むしろ、「余裕がなくなったときほど必要なもの」だったのです。

戦場から帰ってきた兵士たちの証言にも、似た言葉が残っています。

「紅茶を飲んだ瞬間、人間に戻れた。」

これは、とても象徴的です。

戦争は、人間から「普通の生活」を奪います。

しかし紅茶は、その普通を一瞬だけ取り戻してくれる。

だから帰還兵たちは、酒ではなく、まず紅茶を求めることが多かったのです。

そして、この感覚は前線だけではありませんでした。

空襲を受けた家庭。

壊れた家。

不安な夜。

そんな中でも、人びとは紅茶を淹れ続けました。

当時の日記には、こんな感覚が記されています。

「ティーセットが残っているなら、まだ生活は終わっていない。」

つまり紅茶は、「家庭がまだ壊れていない証拠」でもあったのです。

ここで見えてくるのは、紅茶のもうひとつの役割です。

紅茶は、戦争に勝つための飲み物ではありませんでした。

戦争で、人間が壊れないための飲み物だったのです。

武器が国を守るなら、紅茶は「心」を守っていた。

だから政府は、砂糖や茶葉を配給してでも、紅茶を守ろうとしました。

それは贅沢品を守っていたのではありません。

「日常」を守ろうとしていたのです。

そして戦争が終わると、紅茶は再び家庭へ戻っていきます。

けれども、その意味は少し変わっていました。

戦後の紅茶は、「平和が戻った証」として飲まれるようになります。

つまり紅茶は、帝国の飲み物であり、商品であり、広告であり、そして最後には、「壊れないための文化」でもあったのです。


くまのひとりごと

日常というのは、
普通の毎日では意識することが、
ほとんどありません。

でも日常というのは、
災害時や、
病気などで、
いきなり崩れたりするものでもあります。

そんな日常が壊れた時、
日常と同じものがあると、
人間性を取り戻せる瞬間が、
訪れます。

紅茶を丁寧に淹れて飲む。

これを習慣にしていると、
日常が壊れた時、
一杯の紅茶が、
日常を取り戻してくれます。

だから、くまは、

「豊かな紅茶習慣」を

あなたに、お勧めします。