聞く紅茶教室

講義時間:約11分

第56講 日本だけが、紅茶を失った国だった

世界には、さまざまな紅茶文化があります。

イギリス。

インド。

スリランカ。

中国。

それぞれの国で、紅茶は少しずつ違う形で発展してきました。

けれども、その中で日本だけが持っている、少し特殊な歴史があります。

それは、

「日本は、一度、紅茶を失った国だった」

ということです。

これは、案外重要な事実です。

1940年代。

戦時体制の中で、日本ではさまざまな輸入品が統制されました。

紅茶も、その対象でした。

茶葉は入ってこなくなる。

店から消える。

つまり紅茶は、「飲めないもの」になっていったのです。

ここで面白いのは、コーヒーとの違いです。

コーヒーもまた、入手困難になりました。

けれどもコーヒーには、「代用品」がありました。

たとえば、タンポポコーヒーのようなものです。

もちろん、本物とは違います。

けれども、「コーヒーらしいもの」を残そうとした。

つまりコーヒー文化は、細くてもつながり続けていました。

しかし紅茶には、それがありませんでした。

代用品がなかった。

その結果、日本では、「紅茶文化そのもの」が生活から消えていったのです。

つまり日本人は、

「紅茶を日常的に飲む感覚」

を、一度完全に失ったのでした。

これは他国には、あまり見られない現象です。

イギリスでは、戦争中でも紅茶は重要視されました。

兵士にも配られた。

市民生活の支えとして扱われた。

つまり「紅茶文化」が途切れなかったのです。

しかし日本では、紅茶は生活から切り離されていった。

ここに、日本紅茶史の大きな特徴があります。

そして敗戦後。

統制解除とともに、紅茶は再び市場へ戻ってきます。

けれども、それはもう、以前と同じ形ではありませんでした。

紅茶は、

「高級で」

「舶来で」

「特別なもの」

として戻ってきたのです。

つまり日本では、紅茶は「日用品」としてではなく、

「憧れの文化」

として再上陸したのでした。

ここで重要なのは、

日本では紅茶が、

「生活の延長」

ではなく、

「外国文化への入口」

として受け入れられていったという点です。

この違いは、とても大きい。

イギリスでは、紅茶は日常でした。

けれども日本では、紅茶はまず、

「英国らしさ」

を感じるものとして広がっていったのです。

つまり日本人は、紅茶を「飲む前に」、まず「憧れた」。

この感覚が、その後の日本の紅茶文化を大きく形作っていきます。

そして、ここが面白いところです。

日本は、一度紅茶を失ったからこそ、

あとから自由に「作り直す」ことができたのかもしれません。

もし文化が連続していたなら、

「こう飲むべき」

「これが正統」

という固定された形が強く残っていたでしょう。

けれども日本には、大きな空白がありました。

だからこそ、

英国紅茶。

ティーサロン。

和紅茶。

フレーバーティー。

ミルクティー文化。

さまざまなものを、自由に取り込みながら、「日本なりの紅茶文化」を作っていくことができたのです。

つまり日本の紅茶史とは、

「紅茶を持っていた国の歴史」

ではなく、

「紅茶を失った国が、もう一度紅茶を探していく歴史」

だったのかもしれません。


くまのひとりごと

本の紅茶史は、
意外なほど語られてきませんでした。

もちろん、
紅茶好きの人たちの間では、
昔から調べられてきました。

けれどもそれは、
どちらかと言えば、
一部の愛好家やマニアの世界でした。

一般向けの知識として、
広く整理されることは、
あまり多くなかったのです。

そしてその傾向は、
今もまだ残っています。

だからTea Worldでは、
「紅茶用語辞典」の中に、

「戦後政策・戦後文化」

という分類を作り、
誰でもアクセスできるよう整理しています。

さて、
日本の紅茶史を一言で表すなら、

「断絶と再構築の歴史」

なのだと、くまは思っています。

日本は、
一度、紅茶文化を失いました。

そして敗戦後、
もう一度、
紅茶を受け入れていきました。

でもそれは、
単なる「輸入」ではありませんでした。

そこには、
日本に合わせて、

「翻訳する」

という作業があったのです。

英国文化を、
日本人の感覚へ翻訳する。

紅茶の時間を、
日本の日常へ翻訳する。

そうして日本は、
少しずつ、
独自の紅茶文化を作ってきたのです。