聞く紅茶教室

講義時間:約8分

第25講 甘い紅茶の裏側

イギリスの紅茶。

その特徴を一つ挙げるなら、

多くの人は、
こう答えるかもしれません。

「甘いミルクティー」

です。

けれど、

この甘さの裏には、
かなり大きな歴史があります。

今回は、
その話をしてみましょう。


十九世紀のイギリスで、
紅茶は急速に広がっていきました。

しかし、

実際に人々が飲んでいたのは、
ただの紅茶ではありません。

砂糖、

そしてミルク。

それらを加えた、
甘いミルクティーでした。

ここで重要なのは、

これは単なる「好み」ではない、
ということです。

実はこの一杯。

帝国そのものだったのです。


まず、
茶。

最初は中国産でした。

けれど後に

インド、

そしてセイロン、

現在の、
スリランカですね。

そこに巨大な茶園が作られていきます。


次に、
砂糖です。

これは、
カリブ海のプランテーションで作られていました。

広大なサトウキビ畑、

そして、
奴隷労働。

大量の砂糖が、
帝国の船で運ばれていきました。


そして、
ミルク。

これは、
イギリス本国の酪農です。

都市人口の増加によって、
牛乳の需要も拡大していきました。

つまり、

紅茶、

砂糖、

ミルク。

この三つは、
バラバラではありませんでした。

帝国の物流ネットワークの中で、
結びついていたのです。


だから、

イギリス人が、
砂糖入りミルクティーを飲むという

その行為そのものが、

帝国の商品を、
一つのカップへ集めることでもありました。

少し不思議ですよね。

家庭の静かなティータイムの中に、

植民地。

海運。

労働。

そして支配の構造が、
入り込んでいたのです。


もちろん。

当時の人々は、
そこまで意識していたわけではありません。

むしろ。

砂糖は安くなり。

紅茶も安くなり。

「甘い紅茶」が、
普通の生活へ入り込んでいきました。

労働者階級にとっては、

熱くて。

甘くて。

お腹にたまる。

重要なカロリー源です。

一方、

上流階級では、

菓子とともに楽しむ、
優雅な午後になります。

同じ紅茶でも、

階級によって、
意味がまったく違っていたのです。


そして。

この「茶と税」の問題は、
海の向こうでも大きな事件を起こします。

ボストン茶会事件です。

一七七三年。

アメリカ植民地の人々は、
イギリスの課税政策へ反発しました。

積み荷の茶箱を、
海へ投げ込んだのです。

ロンドンでは、

紅茶は、
優雅な習慣でした。

けれど、

ボストンでは違いました。

それは、
支配と搾取の象徴だったのです。

同じ紅茶でも、

場所が変われば、
意味が変わります。

ここが、
とても面白いところです。


こうして、

紅茶は、
ただの飲み物ではなくなっていきます。

家庭。

帝国。

税。

労働。

植民地。

それらを、
静かにつなぐ存在になっていったのです。


くまのひとこと

くまは苦手ですが
甘いミルクティーには、
なんだか「安心の味」
みたいなイメージがありますよね。

でも。

その甘さの裏には、
かなり激しい歴史があります。

海を渡る船。

植民地。

税金。

奴隷労働。

そういうものを、
全部飲み込んで。

最後に、
「午後の一杯」になっている。

紅茶って、
静かな顔をしていますけれど。

甘いミルクティーの中には、
かなり大きな世界史が入っているのです。