聞く紅茶教室
講義時間:約11分
第33講 産地は、発見ではなく創られた
アヘン戦争のあと。
イギリスは、
強く感じるようになります。
「このまま中国に頼り続けるのは危険だ」
と。
紅茶は、
すでに国民生活そのものでした。
だから。
茶が止まることは、
帝国そのものを揺らします。
そこでイギリスは、
大きな方向転換を始めます。
紅茶を、
「輸入するもの」ではなく、
「自分たちで作るもの」
へ変えようとしたのです。
その舞台になったのが、
インドです。
特に、
アッサム地方でした。
当時、
多くのヨーロッパ人は、
こう考えていました。
「茶は中国特有の植物である」
と。
つまり、
中国にしか存在しない、
特別な植物だと考えられていたのです。
ところが1823年に、
アッサム山地で、
自生している茶樹が見つかります。
発見したのは、
ロバート・ブルース。
スコットランド人の商人でした。
彼は、
現地のシンポ族が、
野生の茶葉を飲んでいることに気づきます。
つまり。
「茶は中国にしか存在しない」
そう考えられていた時代に、
インドにも、
茶樹が存在している可能性を見つけたのです。
くまのワンポイント
ここでくまのワンポイントです。
ロバートは
大発見をしたにもかかわらず
表の歴史からは消え、
その成果はロバートの死後
弟のチャールズ・アレクサンダー・ブルースのものになります。
ロバート・ブルースについては、
ぜひ後で、紅茶用語辞典の
「ロバート・ブルース」
を参照してみてください。
くまはロバートを
みんなに知ってもらいたいのです。
そしてその後で
チャールズ・アレクサンダー・ブルース
も参照してみてください。
兄弟のリレーが感じられると思います。
この発見は、
イギリスにとって非常に大きな意味を持ちました。
もしインドにも茶があるなら、
中国へ頼らなくても、
紅茶を作れるかもしれない。
そう考え始めたのです。
でも、
ここで問題がありました。
茶樹があるだけでは、
紅茶にはならないのです。
葉を摘む。
萎凋。
揉捻。
発酵。
乾燥。
こういう工程を経て、
はじめて紅茶になります。
つまり、
茶を「育てること」と
茶を「作ること」は、
別の問題だったのです。
そこで登場するのが、
ロバート・フォーチュン。
植物学者です。
1848年、
彼は、
ある極秘任務を受けます。
中国へ入り、
茶樹、
種、
製茶技術、
そして職人、
それらを、
インドへ持ち帰ること、
でした。
当時の中国は、
外国人の立ち入りを強く制限していました。
だからフォーチュンは、
中国人へ変装します。
辮髪。
べんぱつ。
という髪型にして。
現地衣装を着て。
中国内陸の茶産地へ潜入していったのです。
まるで、
諜報映画みたいな話ですよね。
イギリス人が中国人に変装できるの??
という疑問をお持ちになるかもしれません。
くまはその疑問を持ちました。
でも、フォーチュンさん、
ものすごく上手だったそうです。
その辺りのお話は
また違う機会にしたいと思います。
さて、
彼が持ち帰ったのは、
単なる苗木だけではありませんでした。
かれはミッションを完全に全うし、
製茶工程。
道具。
技術。
そして、
熟練した職人たち、
を持ち帰ったのです。
つまり。
イギリスは、
中国の「茶文化の技術そのもの」
を移植することに成功したのです。
ここが、
とても重要なところです。
アッサム紅茶は、
ただ「野生茶を見つけた」
ことで生まれたわけではありません。
土地。
技術。
労働。
物流。
そして帝国の資本。
それらを組み合わせて、
「産業として創られた」のです。
だから。
紅茶の産地というのは、
自然に生まれたものだけではないのです。
かなり多くが、
国家、
貿易、
戦争、
植民地政策、
そういう巨大な流れの中で、
形になっていったのです。
そして。
ここから始まるのが、
プランテーションの時代です。
巨大な茶園。
輸出のための農業。
労働力の移動。
紅茶は、
帝国の産業へ変わっていきます。
つまり。
アッサムやセイロンは、
単なる「茶の名産地」ではありません。
帝国が、
流通のために創り上げた産地でもあったのです。
くまのひとこと
紅茶は、
「昔からその土地にあった文化」
みたいに見えることがあります。
でも実際には。
かなり多くが、
人間の都合で作られてきたのです。
船を動かし。
技術を移し。
人を集め。
茶園を広げる。
そうやって、
“産地”そのものが作られていきました。
だから紅茶史というのは。
自然の歴史というより、
人間の構造の歴史なのかもしれません。
そしてしつこいですが
ぜひぜひ
ロバート・ブルース
をよろしくお願いします。