聞く紅茶教室
講義時間:約9分
第34講 誰が茶葉を摘んだのか
アッサム、
セイロン、
そして後には、
アフリカへ。
イギリスは、
巨大な紅茶産地を作っていきました。
でも、
ここで、
一つ大事な問いがあります。
その茶葉を、
いったい誰が摘んでいたのでしょう。
今回は、
その話をしていきます。
紅茶産業が広がった時。
そこに作られたのは、
単なる「茶畑」ではありませんでした。
プランテーション。
巨大農園です。
でも、
ここで重要なのは、
プランテーションというものが、
単に「広い畑」という意味ではない、
ということです。
土地を支配する。
労働力を集める。
商品を輸出する。
そして利益を本国へ戻す。
この仕組み全体が、
プランテーションでした。
つまり、
茶を育てる場所というより、
帝国の経済装置だったのです。
ここで、
問題がありました。
アッサムでも、
セイロンでも、
最初から、
紅茶産業の労働者がいたわけではありません。
だから帝国は、
人を移動させます。
遠くから、
大量に、
労働力を集めていったのです。
十九世紀。
イギリスでは、
奴隷制度が廃止されていました。
けれど、
巨大農園には、
大量で安価な労働力が必要です。
そこで広がったのが、
契約労働、
インデンチャード・レイバーです。
形式の上では、
自由労働でした。
数年契約で雇われ、
賃金も支払われます。
でも実際には、
渡航費、
住居費、
食費、
それらが、
賃金から差し引かれていきます。
すると、
借金が積み上がります。
その結果、
簡単には帰れないし、
逃げられないのです。
つまり、
奴隷ではない。
でも、
本当に自由とも言い切れない。
形としては
その中間のような状態が、
作られていったのです。
やがて、
労働者たちは、
事実上抜け出せなくなります。
その結果、
家族ごと茶園へ定着していきます。
そして、
世代を超えて働くようになります。
つまり、
紅茶産業は、
単に「茶を育てる仕事」ではなく、
人の生活そのものを、
茶園へ組み込む仕組みになっていったのです。
ここで、
とても重要なのは、
紅茶を飲んで利益を得る場所と、
紅茶を作って働く場所が、
分かれていたことです。
茶を摘むのは、
植民地の契約労働者。
茶を運ぶのは、
帝国の商社。
そして、
茶を飲むのは、
イギリスの家庭でした。
つまり、
労働は植民地へ。
利益は本国へ。
そういう流れが、
最初から組み込まれていたのです。
だから、
イギリスで、
数ペンスの紅茶が飲めた時、
その値段の裏では、
誰かが、
遠い茶園で働いていました。
朝から葉を摘み、
重い籠を背負い、
工場へ運び、
乾燥させる。
その労働の上に、
一杯の紅茶がありました。
でも、
面白いのです。
紅茶は、
完成すると、
とても静かな飲み物に見えるのです。
白いカップ。
湯気。
午後の時間。
でもその裏には。
移動した人々。
巨大農園。
帝国経済。
そういう、
かなり激しい流れがありました。
だから、
「紅茶の歴史」を見る時には、
誰が飲んだのかだけではなく、
誰が作ったのか、
そこを見ることも、
とても大切なのだと思います。
くまのひとこと
紅茶というのは、
完成品だけ見ると、
すごく綺麗なのです。
でも、
そこへ至るまでには、
ものすごく多くの人の労働があります。
摘む人。
運ぶ人。
乾燥する人。
箱に詰める人。
船で運ぶ人。
だから紅茶というのは、
実は「葉」ではなく、
人の流れでできている飲み物なのかもしれません。