聞く紅茶教室
講義時間:約10分
第36講 紅茶は、戦後の日常を取り戻す飲み物だった
紅茶は、十九世紀にイギリスの国民飲料となりました。
けれども、二十世紀に入ると、紅茶の意味は少しずつ変わっていきます。
それは、ただ「みんなが飲む飲み物」ではなくなっていきました。
国家が管理するもの。
企業が売るもの。
消費者が選ぶもの。
そして、自分の暮らしや価値観を映すもの。
紅茶は、時代に合わせて姿を変えていったのです。
第二次世界大戦が終わったあと、イギリスの人びとにとって、平和が戻ってきたことを実感させるものがありました。
それは、紅茶でした。
戦争中、紅茶は配給制のもとに置かれていました。
自由に買えるものではなく、国家が管理する生活物資のひとつだったのです。
紅茶の配給が完全に終わるのは、一九五二年のことです。
つまり、戦争が終わっても、紅茶が自由に買える日常はすぐには戻ってこなかったのです。
ここで大切なのは、紅茶が単なる嗜好品ではなかった、ということです。
紅茶は、カロリーを補うための飲み物ではありません。
しかし、戦時中のイギリス政府は、紅茶の供給を守ろうとしました。
なぜなら、紅茶がなくなることは、国民の気持ちを弱らせることにつながると考えられていたからです。
兵士にとっての一杯。
工場で働く人びとにとっての一杯。
家庭で不安を抱えながら暮らす人びとにとっての一杯。
紅茶は、戦争の中で「いつもの日常」を残すための飲み物でした。
だから、配給が終わるということは、ただ物資の制限がなくなるという意味ではありませんでした。
それは、紅茶が再び、自分で選べるものになるということでした。
国家の管理から、個人の暮らしへ。
紅茶は、もう一度、日常の飲み物として戻ってきたのです。
けれども、戦後の紅茶は、戦前とまったく同じ姿に戻ったわけではありません。
国家の管理が弱まると、今度は企業と市場が紅茶の価値を作るようになっていきます。
どの紅茶を飲むのか。
どのブランドを選ぶのか。
どの箱を手に取るのか。
紅茶は、帝国の商品から、企業の商品へと変わり始めました。
この変化を強く進めたのが、スーパーマーケットの広がりです。
かつて紅茶は、店で量り売りされるものでした。
けれども戦後になると、紅茶は箱に入り、名前を持ち、棚に並ぶ商品になっていきます。
そこには、ティーバッグもありました。
パッケージもありました。
そして、ブランドの物語もありました。
紅茶は、ただ飲むものではなく、「選ぶもの」になっていったのです。
しかし、人びとの心の奥には、戦争の記憶が残っていました。
紅茶は、あって当たり前のもの。
切らすと不安になるもの。
暮らしを落ち着かせるもの。
その感覚は、戦後になっても消えませんでした。
紅茶は、水道や電気のような本当のインフラではありません。
けれども、人びとの気持ちの中では、暮らしを支える「疑似インフラ」のような存在になっていたのです。
紅茶がある。
お湯を沸かす。
カップに注ぐ。
それだけで、少しだけ世界が落ち着いて見える。
戦後の紅茶は、そういう力を持っていました。
こうして紅茶は、帝国の飲み物から、企業と消費者によって作られる文化商品へと変わり始めます。
次に見ていくのは、帝国が終わったあと、紅茶の物語を誰が引き継いだのか、という問題です。
国家が紅茶を支えられなくなったとき、その空白を埋めたもの。
それが、ブランドでした。
くまのひとりごと
国家統制の配給制から
ブランドへ
紅茶は国家や企業によって
支えられながら、
イギリス人の日常の飲み物となっているのです。
配給制は想像しかできませんが
ブランドで紅茶を安心して選ぶというのは
くまにも理解できますし、
かつてのくまもそうでした。