聞く紅茶教室
講義時間:約11分
第37講 帝国が終わり、ブランドが紅茶を引き継いだ
第二次世界大戦が終わると、世界地図は大きく変わり始めます。
そして、その変化は紅茶にも深く関わっていました。
十九世紀以来、イギリスの紅茶は、「帝国の仕組み」の上に成り立っていました。
植民地で茶葉を育てる。
船で運ぶ。
ロンドンで売る。
そして、イギリス国民が飲む。
紅茶とは、帝国そのものの流れだったのです。
けれども戦後、その構造は急速に崩れていきます。
一九四七年、インドが独立します。
翌年、一九四八年にはセイロン、現在のスリランカも独立しました。
つまり、イギリスは、自分たちが支配していた巨大な茶の生産地を失ったのです。
ここは、とても重要な転換点です。
それまでの紅茶は、「帝国が育てた紅茶」でした。
しかし、植民地が独立すると、「イギリスの紅茶」という言葉そのものが、少し不安定になります。
なぜなら、茶葉そのものは、もうイギリスの土地では作られていないからです。
では、そのあと何が起きたのでしょうか。
ここで前面に出てくるのが、「ブランド」です。
トワイニング。
リプトン。
そして、ヨークシャーティー。
戦後の紅茶企業は、「どこの国の茶葉か」ではなく、「どのブランドの紅茶か」を前面に押し出していきます。
つまり、紅茶の価値を、「帝国」ではなく「企業の物語」で支える時代が始まったのです。
ここで重要だったのが、「ブレンド」という考え方でした。
ひとつの産地だけに頼るのではなく、複数の茶葉を組み合わせる。
アッサム。
セイロン。
ときにはアフリカ産の茶葉も使う。
それらを混ぜ合わせ、「いつ飲んでも同じ味」を作る。
これによってブランドは、「産地が変わっても、味は変わらない」という安心感を作り出しました。
たとえば、「イングリッシュ・ブレックファスト」という名前があります。
これは、特定の農園の名前ではありません。
「英国らしい朝の紅茶」というイメージそのものです。
つまり、ブランドは茶葉そのものより、「英国らしさ」を売るようになっていったのです。
ここで、不思議なことが起きます。
イギリスでは、紅茶はほとんど育ちません。
気候が合わないからです。
けれども世界中の人びとは、「英国の紅茶」という言葉に強いイメージを持っています。
これは、企業が長い時間をかけて、「英国の味」という物語を作り続けたからです。
銀のティーポット。
落ち着いたパッケージ。
格式あるロゴ。
そして、「英国伝統」という言葉。
それらによって紅茶は、「どこで作られたか」より、「どんな世界観を感じさせるか」で選ばれる商品になっていきました。
国家が紅茶を支えていた時代。
企業が紅茶を支える時代。
その違いは、とても大きなものです。
帝国は、軍事と海運と植民地によって紅茶を維持しました。
しかしブランドは、広告とデザインとイメージによって紅茶を維持したのです。
言い換えれば、紅茶は「国家の力」から、「物語の力」で支えられる飲み物へ変わっていきました。
けれども、その物語の奥には、まだ帝国の記憶が残っていました。
産地は独立しても、「英国らしさ」は残り続けた。
つまり帝国は、政治としては終わっても、文化とブランドの中には生き続けたのです。
そして次の時代、紅茶はさらに別の形へ変わっていきます。
それは、「イギリス人が飲む飲み物」ではなく、「イギリスらしさを体験する文化」として世界へ輸出される時代です。
次に見ていくのは、「イングリッシュ・ティータイム」という輸出文化の誕生です。
くまのひとりごと
イギリスらしさというのが紅茶の世界にはあります。
でも、イギリスで紅茶は作れません。
植民地が次々と独立し
イギリスの紅茶で亡くなったとき
イギリス風に楽しむ
ということが、紅茶の世界の
イギリスらしさ
になったのです。
2025年の大阪万博では
イギリスパピリオンで
アフタヌーンティーと称して紙コップで紅茶を出したり
その後もスタッフが
日本人を馬鹿にするような言動をとったことがありました。
どうやら「イギリスらしさ」に
「紳士的」という概念が
最近は抜け落ちていることも
あるようです。