聞く紅茶教室
講義時間:約11分
第41講 紅茶は、国民飲料から選ばれる飲み物へ
二十一世紀に入ると、紅茶はさらに静かに姿を変えていきます。
かつてのイギリスでは、紅茶は「誰もが飲むもの」でした。
朝に飲む。
仕事の合間に飲む。
来客に出す。
家庭で飲む。
紅茶は、生活そのものの一部でした。
しかし現代では、その姿が少しずつ変わっています。
若い世代ほど、コーヒーやエナジードリンクを選ぶようになりました。
ティータイムの習慣も、以前ほど強いものではなくなっています。
そのため、ときどき「紅茶文化は衰退した」と語られることがあります。
けれども、本当にそうなのでしょうか。
ここで大切なのは、「紅茶が消えた」のではなく、「紅茶の役割が分かれていった」という視点です。
昔の紅茶は、「みんなが同じように飲む飲み物」でした。
しかし現代の紅茶は、人によって意味がまったく違います。
毎朝、習慣として飲むティーバッグ紅茶。
専門店で買うシングルエステートの紅茶。
ホテルで楽しむアフタヌーンティー。
フェアトレードやオーガニックを意識して選ぶ紅茶。
つまり紅茶は、「国民全員が同じように飲むもの」ではなく、「それぞれが理由を持って選ぶもの」へ変わっていったのです。
ここには、大きな文化の変化があります。
十九世紀の紅茶は、「国家の飲み物」でした。
二十世紀の紅茶は、「企業の商品」になりました。
そして二十一世紀の紅茶は、「個人の価値観を映す飲み物」へ変わり始めています。
この変化は、アフタヌーンティーを見ると、とてもよく分かります。
かつてアフタヌーンティーは、日常の社交文化でした。
人びとは、午後に集まり、紅茶を飲み、会話を楽しみました。
しかし現代では、それは少し違う形になっています。
ホテルのラウンジ。
予約制のティーセット。
記念日。
観光。
写真撮影。
つまりアフタヌーンティーは、「日常」ではなく、「体験」として楽しまれるものへ変わっていったのです。
これは、文化が消えたわけではありません。
むしろ、「再演される文化」になったとも言えます。
特別な時間として、意識的に楽しまれるようになったのです。
一方で、家庭の紅茶も静かに変わっています。
ティーバッグ。
大きなマグカップ。
ひとりの時間。
紅茶は、「みんなで飲む飲み物」から、「自分の時間を整える飲み物」へ変わっていきました。
疲れたとき。
気持ちを落ち着かせたいとき。
少し休みたいとき。
そういう瞬間に、人びとは今も紅茶を淹れます。
ここで面白いのは、紅茶が「義務」ではなくなったあとも、消えなかったということです。
国家が押しつけているわけではありません。
会社が必ず飲ませるわけでもありません。
それでも人びとは、自分で紅茶を選び続けています。
つまり紅茶は、「飲まなければならない飲み物」ではなく、「飲みたいから選ばれる飲み物」へ変わったのです。
これは、紅茶の弱体化ではなく、ある意味では成熟とも言えるかもしれません。
紅茶は、長い歴史の中で、さまざまなものに支えられてきました。
帝国。
海運。
労働。
企業。
広告。
大量消費。
倫理。
そして今、その最後に残っているのは、「個人の時間」です。
誰かと話すための紅茶。
静かに休むための紅茶。
気持ちを整えるための紅茶。
紅茶は、世界を動かす飲み物ではなくなったのかもしれません。
けれども、人の心を静かに支える飲み物としては、今も生き続けています。
そして、ここまで見てきたように、紅茶は時代ごとに意味を変えながらも、「飲まれ続ける」ということだけは決して手放しませんでした。
それこそが、この飲み物のもっとも大きな強さなのかもしれません。
くまのひとりごと
二十一世紀になると
紅茶は色々な価値観や
色々な意味を求められるようになりました。
エナジードリンクなどの登場で
飲み物の選択肢が増えて
結果として紅茶を飲む人は減っているのかもしれません。
でも、それは
「紅茶に価値を見出す人」にとっては
純粋に紅茶を楽しめるようになったということなのかもしれません。
少なくてもくまは、
紅茶自体に価値を見つけ出したい、
と、そんな風に思っています。