聞く紅茶教室
講義時間:約11分
第42講 紅茶は“商品”になった
十九世紀までの紅茶は、ただの飲み物ではありませんでした。
国家が管理するもの。
上流階級が楽しむもの。
中産階級が憧れるもの。
そして、戦争の時代には、国民を支えるために配給されるもの。
紅茶は、政治や階級や戦争と深く結びついた、「公共の飲み物」だったのです。
けれども、十九世紀の終わりから二十世紀にかけて、紅茶は大きく姿を変えていきます。
それは、紅茶が「商品」になった、という変化でした。
ここでいう商品とは、ただ売られているもの、という意味ではありません。
人びとが、自分のお金で買うもの。
店で選ぶもの。
家庭に持ち帰るもの。
そして、自分の暮らしの中で飲むもの。
紅茶は、国家や階級が用意する飲み物から、個人が選んで買う飲み物へと変わっていったのです。
この変化を生んだ大きな力は、市場でした。
十九世紀末、イギリスは植民地での大規模な茶生産に成功します。
インド。
セイロン。
アッサム。
ダージリン。
そうした産地から、大量の茶葉がイギリスへ運ばれるようになりました。
かつては高価で、一部の人びとしか楽しめなかった紅茶が、いよいよ大量に流通する時代に入ったのです。
実際、イギリスの紅茶輸入量は大きく増えていきます。
一八六〇年ごろには、およそ八万トン。
一九〇〇年ごろには、およそ二十万トン。
四十年ほどで、二倍以上に増えました。
しかも、紅茶の価格は下がっていきます。
これは、とても大きな意味を持っています。
紅茶がたくさん飲まれるようになっただけではありません。
紅茶を、安く、たくさん、安定して売る仕組みができあがったということです。
つまり紅茶は、貴重品から、大量流通する商品へ変わっていったのです。
ここで、人びとの行動も変わります。
それまで紅茶は、客に出すもの、社交の場で飲むもの、家庭の格式を示すものでもありました。
しかし、紅茶が安く手に入るようになると、人びとは「紅茶を買う」という行為そのものに慣れていきます。
店で選ぶ。
家に持ち帰る。
自分のために飲む。
この当たり前の流れが、近代の紅茶文化を作っていきました。
けれども、ここにはまだ大きな問題がありました。
紅茶は大量に作れるようになった。
船でも運べるようになった。
価格も下がってきた。
では、人びとはそれを、どこで、どうやって買うのでしょうか。
当時の紅茶は、まだ今のような箱入り商品ではありません。
茶商の店で量り売りされることが多く、客は必要な分だけ茶葉を買っていました。
品質も、価格も、店の信用に大きく左右されます。
つまり、紅茶はまだ「近代的な商品」としては完成していなかったのです。
ここに登場するのが、トーマス・リプトンです。
スコットランド出身の若い実業家。
のちに「紅茶王」と呼ばれる人物です。
リプトンがすごかったのは、紅茶の味を少し変えたことではありません。
紅茶の売り方を変えたことでした。
茶畑から、工場へ。
工場から、船へ。
船から、鉄道へ。
鉄道から、店へ。
そして、店から家庭のティーポットへ。
この流れを、ひとつの企業がつなぐ。
リプトンは、紅茶を「作るもの」ではなく、「届く仕組み」として考えました。
これが、紅茶の近代化における大きな転換でした。
紅茶の近代化とは、味の革新だけではありません。
香りの革新だけでもありません。
それは、流通の革新でした。
誰でも買えるようにする。
安定した品質で届ける。
ブランド名を見れば安心できるようにする。
そして、紅茶を特別な日の飲み物ではなく、毎日の暮らしに入れる。
この仕組みができたとき、紅茶は本当の意味で「商品」になりました。
紅茶は、国家の飲み物から、市場の飲み物へ。
階級の飲み物から、大衆の飲み物へ。
そして、憧れの飲み物から、買って飲む日用品へ。
その大きな橋をかけたのが、トーマス・リプトンでした。
次回は、このリプトンが何をしたのかを、もう少し詳しく見ていきます。
彼は、ただ紅茶を売ったのではありません。
茶畑と食卓を、一本の線でつないだのです。
くまのひとりごと
リプトンによって
紅茶は大量流通する
「商品」となりました。
そしてそれは現代まで続いています。
ただ、くまは思うのです。
商品になった大量流通する紅茶と
産地から直接や
信用できるバイヤーから買う紅茶のような
こだわった買い方の
二極に分かれつつあるな、と。
これからどうなっていくのか
くまは楽しみです。