聞く紅茶教室

講義時間:約12分

第44講 ティーバッグとアイスティーは、紅茶を変身させた

トーマス・リプトンによって、紅茶は「大量に届けられる商品」になりました。

けれども、まだ問題が残っていました。

紅茶は、淹れるのに手間がかかる。

茶葉を量る。

ポットを使う。

蒸らす。

後片づけをする。

つまり紅茶はまだ、「時間のある家庭の飲み物」だったのです。

そして二十世紀になると、紅茶はさらに大きな変化を迫られます。

それは、「もっと速く、もっと簡単に飲めるようにする」という変化でした。

ここで重要なのは、この変化がイギリスではなく、アメリカで加速したという点です。

アメリカは、もともと「コーヒーの国」でした。

西部劇を思い浮かべてみてください。

焚火。

金属ポット。

荒野。

開拓者。

保安官。

そこにあるのは、コーヒーです。

紅茶ではありません。

コーヒーは、すぐ作れて、すぐ飲める。

移動しながらでも飲める。

荒野でも飲める。

つまりアメリカでは、「行動する飲み物」としてコーヒーが強かったのです。

それに対して、紅茶は少し違いました。

ティーポット。

ティーカップ。

室内。

テーブル。

ゆっくりした時間。

紅茶には、どうしても「落ち着いた家庭文化」の空気がありました。

つまり紅茶は、アメリカではそのままでは広がりにくい飲み物だったのです。

だからこそ、紅茶の側が変わらなければなりませんでした。

その大きな変化のひとつが、ティーバッグです。

ティーバッグの起源としてよく語られるのが、ニューヨークの茶商、トーマス・サリヴァンの話です。

彼は、顧客へ茶葉の見本を送るとき、小さな絹袋に入れて郵送していました。

すると、受け取った客が、その袋ごとお湯に入れてしまいます。

そして、「これで十分に抽出できる」と気づいた。

これが、ティーバッグの発想の始まりだと言われています。

もちろん最初は絹袋でしたから、まだ高価でした。

しかし後に、紙のフィルターが作られるようになると、紅茶は大きく変わります。

ポットがいらない。

茶こしもいらない。

片づけも簡単。

つまり紅茶は、「すぐ飲める飲み物」へ変身したのです。

ここで変わったのは、味だけではありません。

「時間」です。

紅茶は、準備の多い飲み物でした。

けれどもティーバッグは、その時間を一気に短くしました。

つまり、紅茶は都市生活のスピードに適応したのです。

そしてもうひとつ、アメリカで大きく広がった紅茶があります。

アイスティーです。

ここで象徴的に語られるのが、一九〇四年のセントルイス万博です。

英国の紅茶ブースは、暑さのせいで客が来ませんでした。

そこで困った担当者が、氷を入れて冷やした紅茶を出した。

すると、それが大人気になった。

これが、「アイスティー誕生の物語」として有名です。

史実として完全に正確かどうかは別として、この話には重要な意味があります。

紅茶は、「気候」に合わせて姿を変えたということです。

イギリスでは、温かい紅茶が家庭文化として根づきました。

けれども暑いアメリカでは、冷たい紅茶の方が合っていた。

つまり紅茶は、「同じ形のまま世界へ広がった」のではありません。

その土地に合わせて、自分を変えながら生き残ったのです。

ティーバッグ。

アイスティー。

どちらにも共通しているものがあります。

それは、「機能としての紅茶」という考え方です。

手軽であること。

早いこと。

どこでも飲めること。

つまり紅茶は、香りや格式だけでなく、「便利さ」でも選ばれる飲み物になっていきました。

ここで、紅茶はさらに大衆化します。

誰でも淹れられる。

どこでも飲める。

短時間で飲める。

紅茶は、「特別な時間の飲み物」から、「生活の中に入り込む飲み物」へ変わっていったのです。

そして次に変わるのは、紅茶そのものではありません。

「どう見せるか」です。

パッケージ。

広告。

ブランドイメージ。

紅茶はここから、「広告で売られる時代」へ入っていきます。


くまのひとりごと

アイスティーというと、
しっかり濃く味が出る紅茶なら、
どれで淹れても同じ。

正直くまも長いこと、
そう確信していました。

でも本当に良い茶葉で、
2日間かけて、
水出ししたアイスティー。

まったく別物です。

くまは普通紅茶には、
何も入れずに飲むのですが、
アイスティーは甘くして飲んでいました。

でも、本当に良い茶葉だと、
何もいりません。

できるなら、本当においしいアイスティーを、
みなさんと一緒に飲みたいと、
くまは思っています。