聞く紅茶教室
講義時間:約12分
第58講 和紅茶は、日本が作りなおした紅茶だった
長い間、日本にとって紅茶とは、
「外国から来るもの」
でした。
イギリス。
インド。
スリランカ。
紅茶は、「海外の文化」として受け入れられてきたのです。
けれども2000年代に入るころから、日本の紅茶は少しずつ変わり始めます。
「日本で紅茶を作る」
という動きが、本格化していったのです。
もちろん、日本で紅茶が作られた歴史自体は、もっと古くから存在していました。
明治時代、日本は紅茶輸出国を目指していました。
ですから国産紅茶の多くは、海外輸出用でした。
つまり日本人自身が「日本の紅茶を楽しむ文化」は、まだ弱かったのです。
ところが21世紀に入ると、状況が変わり始めます。
ここで大きかったのは、緑茶産業の変化でした。
日本では、長く緑茶文化が中心でした。
しかし消費の変化や価格低下によって、茶農家は新しい可能性を探し始めます。
その中で注目されたのが、「発酵茶としての紅茶」でした。
つまり和紅茶とは、
「海外文化の模倣」
として始まったのではなく、
「日本茶農家の再挑戦」
として広がっていった面が大きいのです。
ここで面白いのは、日本の和紅茶は、「イギリス紅茶を再現する方向」だけへ進まなかったという点です。
もちろん最初は、
ダージリン風。
アッサム風。
英国風。
そうした方向を意識した作りもありました。
けれども次第に、
「日本の気候でしか出ない香り」
へ注目が集まり始めます。
鹿児島。
静岡。
奈良。
熊本。
三重。
同じ「和紅茶」でも、土地によって香りがまったく違う。
萎凋の長さ。
火入れ。
品種。
発酵設計。
そこに、作り手の個性が強く出始めたのです。
つまり和紅茶は、
「輸入紅茶のコピー」
ではなく、
「日本という土地で、もう一度作り直された紅茶」
へ変わっていったのでした。
ここで重要なのは、「物語」の存在です。
大量流通の時代、紅茶は「ブランド」で選ばれていました。
しかし和紅茶は、
誰が作ったのか。
どの畑なのか。
どんな製法なのか。
そうした「人の物語」と一緒に飲まれるようになります。
つまり和紅茶とは、
「顔の見える紅茶」
でもあったのです。
これは、世界のコーヒー文化で起きた「サードウェーブ」にも少し似ています。
大量消費ではなく、
産地。
農園。
作り手。
小ロット。
そこへ価値が戻り始めた。
つまり人びとは、「均一なもの」ではなく、
「その土地にしかないもの」
を求め始めたのです。
さらに2010年代に入ると、日本の紅茶は、海外からも評価され始めます。
かつて日本は、
「紅茶を輸入する国」
でした。
けれども今度は逆に、
「日本の紅茶が、海外へ出ていく」
時代が始まったのです。
これは、かなり大きな変化でした。
つまり日本は、
紅茶を「受け取る国」から、
紅茶を「語る国」へ変わり始めたのです。
そして、ここに日本らしさがあります。
日本は、外から来た文化を、そのままコピーする国ではありません。
日本語へ翻訳する。
日本の生活へ合わせる。
日本人の感覚で作り直す。
そうして、少しずつ独自文化へ変えていく。
和紅茶も、まさにそうでした。
だから和紅茶とは、
「国産紅茶」
というだけではありません。
それは、
日本がもう一度、自分たちの言葉で紅茶を語り始めた、
その象徴なのかもしれません。
くまのひとりごと
日本の国産紅茶は、
かなり個性的です。
緑茶用品種から作ったり、
在来種と呼ばれる、
昔から土地に根づいた茶樹から作ったり。
海外の紅茶とは、
少し違う方向で発展してきました。
また、日本は南北に長い国です。
鹿児島。
静岡。
奈良。
熊本。
気候も大きく違います。
そのため、
同じ「和紅茶」でも、
土地によって香りや味わいがかなり変わるのです。
そして和紅茶の特徴として、
「繊細な紅茶が多い」
ということが言えるかもしれません。
強さよりも、
やわらかさ。
重厚感よりも、
細やかな香り。
そうした方向へ魅力を持つ紅茶が多いのです。
ただ、現在の和紅茶文化は、
まだ始まったばかりとも言えます。
本格的に復活してきたのは、
2000年代以降です。
つまり、
まだ「完成した文化」ではありません。
これから、
どう育っていくかは、
まだ誰にもわからないのです。
けれども現在、
大手ブランドによる大量流通とは別に、
インターネットを中心として、
「個性のある紅茶」
を求める人たちが、
確実に増えてきています。
小さな茶園。
小ロット。
作り手の物語。
そうしたものへ、
人びとが価値を感じ始めているのです。
この流れをうまく活かしながら、
日本の紅茶が、
世界へ出ていけるのか。
そして、
「紅茶生産国」として、
新しい立場を築いていけるのか。
それは、
これからの楽しみなのかもしれません。